「公理」に基づく憲法改正について | 日本世論の会 本部

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  平成2883

東北大学名誉教授

元最高裁判所判事 藤田 宙靖 殿

                    湯澤 甲雄85歳 (元東京銀行ソウル支店長)

横浜市南区大岡3-41-10電話0457137222

yuzawa.motoo@rainbow.plala.or.jp

 

            「公理」に基づく憲法改正について

 貴殿が発表された<自治研究第92号第2号平成282月号「集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」から「公理」>につきまして、日本政策研究センター発行「明日への選択」8月号「藤田論文とその波紋」(同センター研究部長小坂実氏)にて勉強させていただきました。

 現行憲法において、前文1項において「自由民主主義を原理とする政治を国是とし、この原理に反する法律を一切排除する」と定めていることは、ポツダム宣言第10条後段規定「The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.」と有るように、明治憲法時代以来長期にわたって広く承認され、それに基づき現実にも法的・社会的に一定の秩序が形成されてきたものにして、我が国にとって「公理」に則った法的安定性のある政治制度であると思います。

 このような思いから、憲法改正は混乱を極めて未完成となっている自由民主主義の政治原理を補い、礎を整えてから各論に入るべきであるとして、下記提議を行っていますので、ご参考までにお送り申し上げる次第です。以上

                     記

    平成28725

自由民主党憲法改正推進本部  

本部長.   森   英介 先生 

事務局長  上川 陽子 先生 

 <自由民主主義政治体制の完成に向けた憲法改正(提議)>(一部修正)

1、はじめに

 昭和21年に制定された我が国の憲法は冒頭の前文1項において、普遍の原理である自由民主主義を原理とする政治を国是とし、これに反する一切の法律を排除すると立憲しています。この立憲の精神は既に国民の合意を得ているところですが、自由民主主義の原理の法的枠組みを定めた国際人権条約(昭和54年締結)に憲法条文を照合すると、欠陥だらけの憲法であることに気付かされます。憲法改正は、自由民主主義政治体制の完成に向けて憲法の骨格を構築することから手掛けるべきことをここに提議するものであります。

 それは、現行憲法の<前文、第一章 天皇、第三章 国民の権利及び義務>の改正を第一期改正目標として、その他の章の改正は原則として第二期改正目標に分割して行われるべきかと思います。詳細は、末尾5記載の「自由民主主義政治体制完成に向けた憲法改正に対する提議」参照。

 本稿においては、第一期改正目標について、提議させていただいています。

 

 多くの人々によって指摘されている如く、戦後軍事占領下に置かれた我が国は独立国ではないために、連合軍が指定する土地に国民、国土も存在しない日本人だけが辛うじて生活することを許されていた状態にありました。すべての日本人の生殺与奪の権が連合軍に支配され、彼らの命令の下に生かされていた「主権を有しない人民」の状態にありました。そのような状態にある中で、これが憲法であるとマッカーサー司令部から憲法草案が提示され、強制されたものが現行憲法です。その憲法は前文1項において自由民主主義政治を国是と定め、憲法第11条にその核心となる国民の「基本的人権」(Fundamental human rights)と称する概念即ち、日本国民の主権に相当するものを国は永久に保障すると定めています。同条約の中で定めている「基本的人権」の具体的内容は、当然のことながら被占領下の日本人に保有することが許されておらず、空白とされました。また、国連憲章や同条約の中で定めている自由民主主義の国民の「自由」(Fundamental freedoms)の尊重、更には、個人の責務(Duty)と責任(Responsibility)についても、憲法条文の中にありません。同条約の中から日本国憲法の中に採り入れられたものは、同条約3部に記載されている国民の自由享受のために条件として国連が創設した個人の「自由と権利」条文だけであって、憲法第12条と第14条から40条に至る条文がこれに該当します。

 このように現行憲法は、制定の当初から自由民主主義憲法としての要件が欠落した状態にありますが、これに狙いを定めたマ司令部民政局に存在した共産主義者と日本側共産主義者が連携し、天皇の地位を脅かしたり、公職追放権を濫用して日本政府や憲法改正委員会委員を脅迫し、全体主義・共産主義憲法に変質させるべく拍車をかけた痕跡が目につきます。

 例1、憲法第11条の国が尊重する「基本的人権」とは、憲法第12条から40条に至る「個人の自由と権利」条文であると極めつけて法秩序を破壊し、全体主義革命を成し遂げました。因みに左翼勢力が憲法改正反対を叫ぶ最大の論拠はここにあります。法曹界に左翼勢力傾倒者が多いのも、自由民主主義の法理を学ばず、知らぬうちに全体主義の法理を学ばされていることに原因があると思われます。また、中学校公民教科書でも「個人の権利尊重」が掲載され、全体主義革命の定着が教育界にもみられます。

2、マ草案「第1条、the emperor shall be the symbol of the state and the unity of the people,」(天皇は日本国の象徴であり、日本国民と一体である)が、憲法第1条(天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴)と曲訳してあります。

  更にその後に「deriving his position from deriving his position from the sovereign will of the people, and from no other source.  of the people, and from no other source」を挿入し、一人称であるべき天皇を三人称(his )に変え、しかも占領下にあって日本国民の主権を認めていない(=現に基本的人権の具体的内容を空白にしている)にも拘らず、この場合はそれが有ることにして、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と天皇退位の条文を捏造して追加しています。

3、マ草案「第12all japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals.(人道を帯した全ての日本人は、基本的人権を有する家族やその構成員全ての人々として尊敬される)が、憲法第13条(すべて国民は、個人として尊重される)と個人の自由を否定し全体主義に傾斜する虚語を捏造しています。

 上記の事例にみられるように、日本国憲法解釈をリードし定着させた左翼勢力は、制定後

においても意図的に、「基本的人権」と「人権」の区別や、これに伴う「individuals」とindividual」の区別を全く行なっていません。我が国の憲法は個人の自由を前提とした自由民主主義を原理としているものを、個人を尊重して個人の自由を否定した全体主義憲法に曲げる憲法解釈を捏造して、憲法第9条を目くらましに使いながら憲法改正の本質論義を避け護憲を唱える左翼勢力の戦法について、日本国民は冷徹に認識する必要があります。

 本稿は、国際人権条約に照らして誤った憲法解釈を正し、正しい言葉の理解の上に立った自由民主主義を原理とする政治体制の確立を展望した憲法改正論議が行われることを願いつつ、意見を開陳し提議するものであることを改めて申し述べます。

 

2、「基本的人権」とは何か

 広辞苑によれば「基本的人権」とは、「人間が人間として当然持っている基本的権利。近代初頭では、国家権力によって制限されえない思想・信教の自由などの自由権を意味したが、20世紀になって、自由権を現実に保障するための参政権を、更に国民がその生活を保障される生存権などの社会権をも含めて言う場合が多い。日本国憲法は、侵すことのできない永久の権利としてこれを保障している」とあります。

 先ず、この記述は革命思想に基づくものであり全面的に誤りでありますので捨て去ってください。この記述は敢えて言えば、世界人権宣言の「人権」を説明したものであり、或いは、欧州の一部の国にある「基本権」を説明したものであって、しかもそれは永久の権利として保障されるものでは無く、「基本的人権」とは全く違う異次元のものの説明です。

 「基本的人権」とは、19456月に成立した国連憲章冒頭に出てくる言葉です。「我ら一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」という世界平和の概念を帯した言葉です。その世界平和を具体的にどのように築くかについては、国連憲章に定めています。しかし、「基本的人権」の具体的内容については、国連憲章に記述は無く、国連憲章に次いで重要なCovenants(自由権規約と社会権規約がある、これを「国際人権条約」ともいう)という国際法を創り、そこに締約国の内政の根幹となる規則を定めています。我が国は、この国際法条約を昭和54年に締結し、遵守を約束すると共に、憲法第98条の最高法規としています。この条約は、内政を拘束するために国連加盟諸国の調印が大幅に遅れ、特に我が国では上記広辞苑の如き左翼の憲法解釈を転覆させる内容であったために、10年以上遅れて昭和54年に調印しました。しかもこの条約の隠蔽工作が、内閣総理大臣の所轄の下にある日本学術会議を中心に行われているものの如く、同会議が国際人権条約の基本的人権の具体的内容について、法学の対象とし、その法律化を図る

よう政府に対し提言・勧告を行ったことは過去一度も無いと思われます。日本学術会議は現在の左傾化して誤った憲法解釈がそのまま継続されることを望んでいるに相違ありません。

 

 同条約は基本的人権の具体的内容を次の如く定義しています。

recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of

all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace

in the world,」<湯澤意訳・人間家族と共同体を構成する全ての人々が、歴史的に形成した尊い習俗(我が国で言えば、天皇制、神仏習合、先祖崇拝、文化伝統、領土・領海を含む法律・財産等)並びに道徳や生命を含む人間愛を認めることが、世界の自由、正義、平和の基本である。>

これをFundamental human rightsと称し、基本的人権と翻訳されていますが、「人権」や「基本権」との混同を避けるためにも、「基本的大義」と翻訳されるべきと思料します。

 要するに、「基本的人権」は国毎に習俗が異なるから当然国毎に異なります。

 同条約は、それぞれの国によって認定された「国民の基本的人権」について、同条約第2条において差別なく国が尊重し保障することと規定しています。(Each State Party to the present Covenant undertakes to respect and to ensure to all individuals within its territory and subject to its jurisdiction the rights recognized in the present Covenant, without distinction of any kind, such as race, colour, sex, language, religion, political or other opinion, national or social origin, property, birth or other status.(注、「the rights recognized in the present Covenant」とは、「基本的人権」です。「all individuals」とは「all members of the human family」です。)

又同条約第52項は、他国で認められた、又は存在する基本的人権を侵してはならないと規定し、国際紛争を避ける義務を課しています。(我が国の尖閣諸島に対する中国の行動がこれに該当します。)即ち「There shall be no restriction upon or derogation from any of the fundamental human rights recognized or existing in any State Party to the present Covenant pursuant to law, conventions, regulations or custom on the pretext that the present Covenant does not recognize such rights or that it recognizes them to a lesser extent.」(外務省翻訳文を参照)

 上記の如く、国連憲章の世界平和はそれぞれの締約国が、「自国民の基本的人権」を(「個人の自由と権利」ではない)尊重することによって健全なナショナリズムを育て、国家と国家の間の紛争を、国際法で解決を図る国際理解によって成立しています。

 やや余談になりますが、私の調査では基本的人権尊重の概念は、19454月反日偏執狂ルーズベルト大統領が死亡する以前の米国の外交交渉や国際法の文書の中には見いだせません。察するに、トルーマン大統領の時代に至って、日本との終戦の方法や原子爆弾投下に関する議論の中に、グルー元駐日米国大使等親日の外交官たちが参画できるようになってきて、日本の明治憲法の基本に置かれている八紘一宇という世界平和の精神や教育勅語というhumanityに着目し法律化して、基本的人権という概念を世界平和の礎・基本に据えたものと推察します。人種差別の無い基本的人権尊重の概念は、当時の世界のどの国の憲法にも我が国を除いて無かったのです。また、19456月に国連憲章が定まり、翌7月行われたポツダム宣言第10条以下の条件(日本人を奴隷にしない。明治憲法時代の自由民主主義を回復させる。世界貿易に参加させる)などは、ルーズベルト大統領の下で提示される条件ではないと思います。しかしそれ等の条件は、明治維新から続く我が国独立の悲願であって、これを担って勇敢に戦いに戦い抜いて習俗を守った300万の英霊の賜物以外の何物でもありません。(関連資料・平成28520日産経新聞、「ふりさけみれば」第339号参照) 欧州人によって尊い習俗が破壊され奴隷にされたアラブ人、スラブ人、黒人、中国人、属国の韓国人等は、基本的人権が消滅し奴隷や難民となって、近代国家になり切れないでいます。

 

3、「人権」とは何か

「人権」とは何かについて端的に表しているものが、「世界人権宣言」の中の「人権」です。憲法条文で言えば、憲法第12条と第14条から第40条に至る条文です。

 「人権」とは、「個人の権利と自由」の俗称であって、「世界人権宣言」や「国際人権条約」の英語の原文に出てくるeveryone, he, individualの様に、単数の人称代名詞を主語とするものは全て「人権」を帯した個人を表しています。因みに、「世界人権宣言」第2条以下の文章の主語の殆どはeveryone, one, を主語としています。

これに対し、all members of the human family, they, individuals,と複数のものは全て「基本的人権」を帯した人々を表しています。

 

次に、国際人権条約は、「基本的人権」(Fundamental human rights)や「自由」(Fundamental freedoms)と「個人の自由と権利」(freedoms and rights)とを峻別して、両者の法秩序、を次のように規定しています。

家族や共同体を構成する全ての人々は生まれながらにして「自由」(Fundamental freedoms)です。人間の脳細胞の数だけある人々の「自由」を国が尊重したら「自由」がなくなり、全体主義になります。また、放置したら争いが生じ、争い事を治める基準もないので「自由」が享受できません。そこで個人が「自由」を享受できるようにするために、国連が32の「個人の自由と権利」(freedoms and rights)なる条件(「表現の自由」を含む)を創設し(if conditions are created whereby )、これを参酌し国が国民の「個人の自由と権利」なる条件を憲法条文として挿入し、国がそれを保障することによって自由が享受できるようにしています。国民個人は「自由と権利」を不断の努力でこれを保持する義務があり且つ、常に公共の福祉のためにこれを使用する義務があるとされています。従って憲法第12条と14条から40条に至る条文は、国民の憲法に対する義務条文です。また、同条約3部の個別条文には、公共の福祉(基本的人権の擁護、公共の安全、道徳等)のために「自由と権利」の行使が制限できる項目が、具体的に記述されていますので、それに従うべきです。

しかるに、中学校公民教科書東京書籍52頁には、「国民の義務」として「普通教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」の三つだけ挙げており、これ以外は「国民の権利」としています。この記述は根本的に誤りにつき訂正を要します。

また、同東京書籍53頁「人権と公共の福祉」には、「人権は、法律によって侵されない権利であり」とあります。しかし上述説明の如く「人権」は国際条約や法律によって創設された条件だから法律に劣後します。この教科書の記載も誤りでありますので訂正を要します。

更に、憲法第28条(労働の基本権)によって、公務員も労働の基本権を有するものとしています。しかし憲法上最高法規とされる国際人権条約社会権規約第8条(労働基本権)は、「労働組合=Trade Unions」に付与されると規定しています。公務員職員団体はこれに該当しないので労働の基本権はありません。従来の解釈の訂正を要します。但し平成24627日法律第42号「職員団体等に対する法人格の付与に関する法律、第1条(目的)」は、「商行為を目的として職員団体に法人格を付与する」と、法人となる目的変更が行われています。これによって職員団体はTrade Unionsとなり、労働基本権を得たとするのであろうか?公務員法を設立の準拠法規とする職員団体がその準拠法規から離れて、別の準拠法規に基づき「職員団体の商行為を目的とする法人を設立する適法性」並びに、法律第42号は最高法規に優先する法律であるかについて、改めてその法律の有効性について調査を要すると思われます。

 

4、個人の本分と責任について

 国際人権条約前文は前段において、国が国民の基本的人権を永久に尊重することによって国民が享受する福利、或いは、自由を享受するために創設された「個人の自由と権利」の保障により国民が享受する福利について述べています。後段末尾において常に個人は、家族や共同体の人々のために尽くすべき義務を負い、且つ、家族や共同体の人々が歴史的に形成してきた基本的人権の増進擁護に努める責任を負うとする規範を定めています。(=the individual, having duties to other individuals and to the community to which he belongs, is under a responsibility to strive for the promotion and observance of the rights recognized in the present Covenant,

 憲法改正時にこの国民個人の本分と責任も、国民の義務条文として挿入されるべきです。

 

5、自由民主主義政治体制完成に向けた憲法改正に対する提議

 現行憲法は既述の如く、「基本的人権の具体的内容不明(=国民の主権内容不明(独立心の欠如)=自衛の目的物不明=自衛は人殺し行為)」、「家族や共同体の人々の生まれながらに有する基本的自由を認定していない(=左翼勢力による自由の制限=全体主義の侵入)」、「個人の本分(責務)と責任の欠落(=家族愛、愛国心の欠如=無気力と無責任の横行)」という、自由民主主義の三大原理に欠陥があります。このため残念ながら現行憲法の規定は、国民の健全な合意形成を図り健全な自由民主主義政治を遂行できる状態になく、常に真っ向からの激しい政治的対立を生じさせています。近時の国際情勢の激動を考慮すれば可及的速やかに、自由民主主義の旗の下に国民が団結する憲法改正に取り組むべきです。

 

 そこで、衆院議長の下に「憲法改正案起草特別委員会」を創設する下記法案の制定を提議致します。

                  記

1)同特別委員会の委員は、3年以上大臣経験者の中から、内閣総理大臣が任命した者3 にて構成されるものとし、<現行憲法前文1項に従い、「自由民主主義の原理に反する一切の草案作成を排除すること」>について、特に誓約した者とすること。

2)同委員は、第一期改正目標については任命後六カ月以内に草案を衆院議長宛提出する。

   また、第二期改正目標は上記提出後六カ月以内に草案を衆院議長宛提出ものとする。

3)草案は、多数決をもって3人の共同提案とすること。委員の付帯意見を付すことは可。

4)同草案を受け取った衆院議長は憲法審査会にこれを諮り、憲法審査会は多数決にて

   議事進行を諮り、六カ月以内に「憲法改正法案」として、国会に提出すること。

5)衆院議長は、憲法審査会委員全員から<現行憲法前文1項「自由民主主義の原理に反する一切の法律を排除する規定を遵守して、立法・審査にあたることを誓います」>と記した誓約書を徴収すること。誓約書の提出の無い委員は委員としないこと。

 

6、憲法第9条の扱い他、

 194611月に発効した日本国憲法第9条の条文は、19456月に作成された国連憲章第51条「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものでない」に違反します。何故国連憲章に違反する条文があるかというと、

我が国は当時国連加盟国ではなく、且つ19459月に締結されたポツダム宣言における「連合国占領軍による日本国占領、日本国軍隊の完全な武装解除と無条件降伏」という軍事占領下にあり、軍事占領当局が行政目的に必要だったからです。その後19519月桑港平和条約締結により軍事占領は終結しました。同条約第5C「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」とあり、且195612月に我が国が国連に加盟したことにより国連憲章第51条の効力が発生し、憲法第9条は完全に効力を失いました。人間の体で言えば、憲法第9条は今や尾てい骨のようのものと言えるでしょう。

 前述したように憲法改正により基本的人権の中身が、世界の自由、正義、平和の基本である「家族や共同体の全ての人々が歴史的に形成した尊い習俗であり、人間愛」となることにより、憲法第11条(基本的人権の享有)「国民の基本的人権は国民の永久の権利として奉仕者たる公務員によって保障される」ことになりました。換言すると、「国民の基本的人権の安全が永久に保障される」即ち「安全保障」されることになりました。これにより、敵の攻撃が発生した場合(if an armed attack occurs against Japanには、奉仕者たる公務員は固有の権利である個別的或いは集団的自衛権を行使して、基本的人権を護り抜く義務があるものとなりました。同時に国民個人も、基本的人権を増進擁護する責任を有する立場になりました。これにより国民が一致団結する政治体制が完成します。また、我が国が世界平和を希求する国であることは、基本的人権尊重に基盤を置いた自由民主主義を原理とする政治を国是としていることにより、国際社会に向かって十分披瀝できます。

 与党がこのような認識に立つならば、憲法第9条を憲法改正国会の冒頭で憲法から削除する決議を行うか或いは、左翼勢力が夢から覚める時間をかけることにするために決議を後日に回すかについては、何れであっても格別の問題は無いと思われます。

 本提議は、現行憲法の自由民主主義の原理の完成に向けて欠落部分を補完すること及び、これに伴う憲法解釈を変更することにあり、全くの新規の条文を追加するものでは無いので、公明党の言う「加憲」に相当すると思われます。以上