「メルマガ」第20号 9月14日(再送)
先に配信されたメルマガの下部の「■御知らせ■」において、提出先が抜けていました。
大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
提出先を明記したメルマガを再送します。
先週は、2013年3月に琉球新報が、「創刊120年」を大々的に宣伝した、という所で終わりました。
今週はその続きです。
確かに「琉球新報」と名の付く新聞が、1893(明治26)年に創刊されています。 ところが、戦前の国策であった一県一紙統合で、「琉球新報」は姿を消しています。
したがって、現在の琉球新報は、明治期に創刊の琉球新報とはまったくの別の新聞なのです。
ところが、琉球新報の富田詢一社長は2013年9月15に付の同紙に「戦火のまだ収まらない45年7月、収容所のあった石川でガリ版刷りの『ウルマ新報』を発行して再出発しました」と、「再出発」と平気で大嘘をついています。
琉球新報が捏造報道を平気ですることを正すため、私たち「正す会」は立ち上がりましたが、社長自ら自社の歴史を捏造するとは捏造新聞の名に恥じない出来事です。
実際は再出発ではなく、明治期に創刊の琉球新報とは縁もゆかりもない「ウルマ新報」を、米軍が沖縄県民を使って住民宣撫工作の機関紙として石川市(現うるま市)で発刊したのが真実です。
「うるま新報」発刊の背景について琉球政府文教局の『琉球史料』は、次のように記しています。
《1945年の米国海軍軍政府の設営後、「マリン将校ウエイン・サトルス大尉が主任となり、二世の小谷軍曹等によって、住民に対し戦況や国際情報を提供する目的で週刊紙の編集が計画されたが思うように進まなかったので、民間人にニュース係を任命し、新聞社の工場関係の旧職員を集め、週刊紙の刊行が計画された。》
「うるま新報」の初代社長は社会主義者の島清氏で、2代目社長は瀬長亀次郎氏です。
実は瀬長氏は米軍統治下では禁止されていた共産党員でしたが、それを偽って人民党を名乗っていました。 瀬長氏は1972年の沖縄の祖国復帰後正体を現します。そして、日本共産党副委員長になったことは周知の通りです。
明治期に創設の「琉球新報」の名称を盗用することになる「うるま新報」は、戦前の沖縄の新聞人が創設したのではなく、印刷工を除いて素人ばかりが集められ、米軍の機関紙として無料で配布されました。
琉球新報の富田社長は「生き残った元社員が集まり、サンフランシスコ講和条約締結の51年9月、『うるま新報』から『琉球新報』に改題、題字の復活を果たしました」(前掲)と述べていますが、米軍統治下の沖縄で“無断”で改題したにすぎません。
そして1968年2月1日付からは発行の通し番号を戦前の琉球新報の分を併せて記載しました。実に念の入った経歴詐称と言うほかはありません。
それではもう一つの捏造新聞・沖縄タイムスの出自はどうなっているでしょう。
戦前の新聞人が生き残って1948年7月に創刊したのが沖縄タイムスですが、これも実際は新聞用紙、印刷機など言うまでもなく、新聞の命とも言うべき情報に至るまで米軍の援助によるものした。
当時、米軍は沖縄戦当時から紙爆弾といわれる大量の宣伝ビラを投下し、日本人と沖縄住民の間に憎悪の楔を打ち込む計画でした。
米軍は沖縄の「離日政策」を徹底するため新たな宣撫新聞を必要としていた時期に、生き残った新聞人が応じた、というのが沖縄タイムスの創刊の経緯です。
1948年7月1日付沖縄タイムスの「創刊のことば」には「吾々はアメリカの暖かい援助のもとに生活している。この現実を正しく認識することはとりも直さずアメリカの軍政に對する誠実なる協力であり、また、これが沖縄を復興する道である」とあります。
現在の沖縄タイムスの米軍に対する憎悪丸出しの記事からは想像も出来ません。
集団自決を巡って「軍命」の根拠として反日サヨク学者らに引用されてきた沖縄タイムスが出版した『鉄の暴風』(50年)を執筆したのは、ベテラン新聞人ではなく、米民政府(実際は軍政府)に勤務していた伊佐良博という人物です。
戦前からの新聞人をさておいて、米軍政府に勤務していた人物に執筆を依頼していたという事実も沖縄タイムスと米軍の関係を如実に表しています。
伊佐良博氏は後に沖縄タイムスを退社、太田良博というペンネームの作家になったことは周知の通りです。
さて、捏造新聞として現在全国的に知られるようになった沖縄2紙の出自来歴を二回にわたって述べてきました。
沖縄2紙が当初は米軍の機関紙として出発したことがお分かりいただけたでしょう。
昨年、当時の仲井真県知事が、沖縄2紙について県の本会議で聞かれ、「(沖縄2紙は)特定のコマーシャルペーパーなどで購読しない」と答弁したことをご記憶でしょうか。
沖縄2紙は、発刊当時は「米軍のコマーシャルペーパー」として出発しましたが、祖国復帰前後から「共産党ら反日団体のコマーシャルペーパー」に変身したことがよくわかります。
※参考
琉球新報の社名登用については2013年9月7日付「狼魔人日記」に詳述していますので、ご参照下さい。
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/bc801cc020c0e5e4cdb862a5ee1737a7
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