皆さん あけましておめでとうございます。
田母神閣下 よろしくお願いします。
私ですね、平成7年1月17日神戸にいました。
阪神淡路大震災 午前5時46分ものすごく揺れました。
すぐに会社の職員の家に助けに行ったんだけど、家が全部潰れているからどの家かわからないんですよ。 すごかったんですよ、 皆さん。
あの時ね、 私の部下が二人亡くなった。 一人は一家全滅。
あの午前5時46分に直ちに伊丹にいた中部方面総監部 。直ちに非常呼集をかけて、あっという間にですよ、 ヘリコプターから戦車からですよ、 すべてエンジンを全開にして出動命令を待ってたんですよ。
あの時すぐに自衛隊がきてくれたら、私の部下2人は生きていたかもしれない。
6千人の方が亡くなったんですよ、皆さん。
あの時の総理大臣を憶えていますか、皆さん、 村山富市ですよ。
あの男が決断しなかったから、 自衛隊に出動命令しなかったから、 そして当時の兵庫県の県知事、貝原何とか、その男が自衛隊に出動要請をしなかったから、多くの死傷者が出たんですよ。 あれは人災なんですよ。皆さん。
もともと兵庫県という県はですね、革新ですから自衛隊と防災の共同訓練をずっとやってこなかったんですよ。 だからあの震災の日の昼すぎにですね、やっと自衛隊がきてくれたけど、共同運営がうまくいかなかったんですよ。 自治体と自衛隊は常に右足と左足でなかったら、我々都民、県民は安心していられないですよ。 それを私はしみじみ感じるんですよ。
あの都知事がね、石原都知事が防災の日に銀座を戦車を走らせた。
朝日新聞は大騒ぎしましたね。平和な銀座に戦車が走る、皆さんね、実際に私、地震を体験してみて、 道路は家が崩れてくるから、普通の車は走れないんですよ。 装甲車しか走れないんですよ、皆さん。 だから戦車で訓練するのは、それはあたりまえですよ、 皆さん。きれいごとをいってる場合じゃあないんですよ、皆さん。
それを朝日新聞はね、いかにも自衛隊はね、悪いといったような感じでとらえている。 皆さんね、自衛隊が神戸にやってきました。あっという間にですよ、 仮設が立ち上がり、、豚汁が出て、お風呂までできちゃった。お風呂まで 三食 避難民はあったかいものをたべさせてもらって、お水は配ってもらってね。 薬や医者はたくさんいて、軍医がいるから、軍医が、あと軍の看護婦さんもいるからね。ナースが。
そして皆さん、ね、 震災が1月だからよかったの、 今度の東大震災も寒かったからよかったの。 真夏にきてみてください、皆さん、 あっという間に遺体が腐り始めますよ。 誰がその処理をするんですか。 誰が埋葬するんですか。 自衛隊しかいないじゃないですか。
警察と消防とどこが違うのか、警察と消防は悪いけどね、我々と一緒になってコンビニで弁当を並ぶんですよ。我々と一緒にトイレに並ぶ。くればくるほど我々とライバルになってしまうんですよ。自衛隊が来るってことは、町全体が来る。1個師団が来るってことは、葬儀屋さんまで揃えて、産婦人科から葬儀屋さんまで、全部揃えて来るってことなんですよ。 この安心感てのは、皆さんすごいですよ。 ものすごい安心感ですよ。 阪神大震災で自衛隊が帰る時にね、 各避難所から「自衛隊さんありがとう」子供たちが泣いて見送ったんですよ、 皆さん。
それを一切朝日新聞は無視しましたから、ひどいですよ。 その後 私は5年後にですね、 今度北海道に転勤したら、今度は有珠山が噴火したの。 行くとこ行くとこ災害がおきるの、皆さん。有珠山が噴火してですよ、3月31日、平成12年の忘れもしないガラガラガラガラガラガラ 石が山から転がってくる、溶岩が来る、もう。
ところがね、その時はね、もうね、 阪神大震災の反省でね、あっという間に 真駒内から自衛隊がね、ヘリコプターでダーと飛ばして来た。 もうね、この安心感たるや、本当に有難かったんです。 もう女の人は自衛隊を見たら泣いちゃうのね、 嬉しくて。 しかもですよ、 皆さんね、山からどんどん石が落ちてくる。 しかも 後ろは海でしょ。 その時にね、 海まで逃げたら、何とね 、あの軍艦マーチがですよ、 堂々たる護衛艦、 海上自衛隊の護衛艦が遊弋しているんですよ。思わず我々避難民は万歳三唱しましたよ。 そのすごい安心感ですよ。これが自衛隊 税金を払っているんですよ。
皆さんね、首都直下型地震ね、この時にね、首長がですよ、知事がですよ、都知事が自衛隊と仲が悪いとかね、共同訓練もうまくいかないとか、 自衛隊が大嫌いだとか。
昔 美濃部とかそういうのがいましたよね。 その時は本当、迷惑、私はね、こういう時ね、知事そのものに自衛官がなればいいんですよ。
じゃあもうひとつね、東京オリンピックが来ますよね、6年後に。
昭和39年のオリンピック覚えている方、ここにはいらっしゃらない、若い人ばかりだから。生まれていた方もおります。私は生まれていましたよ、あの時国立競技場にオリンピック旗を持って、ね、入場したのは誰ですか。陸・海・空の3自衛官2人ずつで6人ですよ。彼らが持って、自衛隊旗を持って行進し、天皇陛下の前でパアーと旗を掲げたんですよ。そして空に五つのジェット機が五輪の輪をやりましたよね。あれだって 航空自衛隊ですよ、皆さん。
メダルを取ったのは誰ですか。 マラソンでメダルを取ったのは誰ですか。 重量上げで金メダルを取ったのは誰ですか。いったい 東洋の魔女、バレーボール。 あの女性たち、 当時オールドミス、行き遅れちゃった、ね。 でもオリンピック終わって引き取ったの誰ですか、自衛官じゃないですか、ね。オリンピックは自衛隊がいなかったらできないんですよ。皆さん、ね。
私、長野オリンピックの時に、長野に住んでいました。私、行くとこ行くとこに、何かあるんですよ。いろいろオリンピックみてるけどね、 あれゲレンデ作ってるの、皆、自衛官ですよ。寒いのに、警備したり、もう雪だるまかと思ったら、中に自衛官がいる。
自衛隊がいなかったら何もできないの。オリンピックこそ自衛隊がいなかったらできない。 皆さん、ね。6年後のオリンピックの時の都知事には自衛隊に理解の深い人、できれば元自衛隊を選ぼうじゃないですか。