12.ベトナム200万人餓死
言われていること: ベトナムでは1944年から同45年にかけて大飢饉により、200万人が餓死した。原因は、ベトナム駐屯の日本軍が戦時中の日本内地のコメ不足のため内地にコメを送り続けたこと。及び、飢饉のとき駐屯日本軍は2年間分のコメを確保したにもかかわらず、これを一切放出しなかったこと。
真実: 1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムはコメ不足となった。コメの豊富な南部ベトナムからの輸送路が米軍により破壊されてしまった。200万人の餓死者は、台風や洪水及び米軍による輸送路の破壊などが原因。日本軍のせいにしたのは、早乙女勝元『ベトナム”200万人“餓死の記録―1945年日本占領下で』(大月書店)。
13.閔妃暗殺(乙未事変)
言われていること: 1895年10月8日、日本の三浦梧楼公使が手勢をつれて景福宮殿に押し入り、閔妃を殺害した。
真実: 閔妃(李朝26代高宗の妻)は、舅の大院君と骨肉の争いを繰り返していた朝鮮史上最悪の女。殺害の首謀者は大院君だろう。実行犯は禹範善。殺害現場を目撃した閔妃の息子純宗(大韓帝国2代皇帝 李朝27代国王)の証言がある。禹範善は後に純宗により送られた刺客によって殺害される。2009年8月24日テレ朝「報道ステーション」は、この閔妃殺害事件を取り上げた。あたかも日本人が殺人犯かのごとく報道し、実行犯の子孫と称する老人に土下座までさせている。
14.在日韓国・朝鮮人
言われていること: 在日は戦前・戦中、日本により強制連行された人々及びその子孫だ。
真実: 戦前、朝鮮は日本の一部だった。日本による善政のおかげで朝鮮の人口が激増した。余剰人口が日本になだれ込んできた。また、1950年ごろの朝鮮戦争時に済州島などで残虐な事件が続発した。これらから逃れるために日本に難民としてやってきて、そのまま定着した。在日に済州島出身者が多いのはこのためだ。また、その後も韓国からは密航者が相次いだ。
15.毒ガス兵器遺棄
言われていること: 日本軍は、戦時中に毒ガス兵器を中国に持ち込んだが、戦後になりそれらの毒ガス兵器を遺棄したままにした。このため、多くの住民が障害を負った。
真実: それらの毒ガス兵器が日本軍のものだったかには疑問が残る。また、戦後、日本軍は完全武装解除された。遺棄の責任は中国側にある。日本側は、毒ガス兵器処理に関して、総額1兆円を超えると言われる負担を強いられている。
この問題に関しては、『諸君!』2004年4月号に掲載された佐々木俊夫氏の論考「毒ガス兵器を遺棄したのは日本軍に非ず」が参考になる。
16.張作霖爆殺事件
言われていること: 1928年(昭和3年)6月4日、 関東軍参
謀河本大作の謀略により奉天近郊で奉天軍閥の指導者張作霖の乗った列車が爆破され、張作霖らが殺害された。
真実: 河本大作は、事件当時、山西省の収容所におり事件に関わった可能性は低い。ロシアの歴史作家ドミトリー・プロホロフ(1960-)によれば、ソ連の特殊工作員が首謀者で、日本軍の仕業とみせかけたという。また、ユン・チアン『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(2005年 講談社)にも、ソ連特殊工作員説が簡単に紹介されているそうだ。参考: 加藤康男『謎解き 張作霖爆殺事件』(PHP新書)及び、ドミトリー・プロホロフ『KGBソビエト諜報部の特殊作戦』(2004年)
17.泰緬鉄道
言われていること: 泰緬(タイ・ビルマ)鉄道を建設する際に、日本軍は連合軍捕虜を働かせ、過酷な条件下で多くの死者が出た。
真実: 1942年6月から始まった泰緬鉄道建設は、鉄道第五連隊が主体となった。実際の建設は、日本軍工兵隊の兵士らによるもので、連合軍捕虜らは補助的な仕事しかしていない。建設中の死亡率は日本軍側1割、捕虜側2割。日本軍側に1割の死亡率が出たというのは、第二次大戦中の他軍収容所と比べて異常に高い数値である。現実に日本軍は1500名の死者を出している。これは事故によるものであり、連合軍捕虜に対してだけ、特に過酷な仕事をさせたわけではない。
映画『戦場にかける橋』(1957年 主演・早川雪州)は、白人植民地主義者の視点からつくられた映画だ。
18.東テイモール慰安婦
言われていること: 1942年2月20日、日本軍は東テイモール(ポルトガル領テイモール)に侵攻し、3年半占領下に置いた。この間、日本軍は東テイモール住民に対し戦争への協力を強いた。住民は食糧不足のため大変な飢えを経験しただけでなく、敵(オーストラリア)に通じたなどとして、処刑された人も少なくない。さらに、東テイモールの女性らを性奴隷として強制連行した。
真実: 慰安婦問題の虚構が暴かれていく中で、反日左翼は東テイモールを持ち出してきた。アジア女性資料センターなどが、最近「東テイモール日本軍占領期における慰安婦問題の早期解決を求める要請書」を政府に提出している。東テイモールの当時の実情について詳しい人はほとんどいないだろう。70年近く経ち、東テイモールに駐屯していた元日本兵もほとんどいないだろう。そこが彼らの狙いどころなのだ。日本軍の慰安婦だったという東テイモール女性の「証言」があるのみである。彼ら反日左翼は、反証がないことをいいことに.日本軍と日本を貶めようとしている。
以上、日本の冤罪について述べてみた。他にも、「花岡事件」「浮島丸事件」「麻生鉱山」などがあるのだが、筆者は未だ詳細を確認していない。
気がつくのは、これらの冤罪のほぼ全てが日本側から言い立てられているということだ。驚くとともに哀しさを感ずる。細い錐で穴をうがつように、自国の古傷を何が何でも抉り出そうとする蒼白い炎のような熱病に冒されているとしか思えない。彼らにしてみれば、心のきれいな運動を行なっているつもりだろう。正義のつもりだろう。自分たちに疑問を投げかける人たちは、彼らには、心の汚れた人々だと映るのだろう。
後世の人々は、彼らの存在を第二次大戦後日本の社会病理現象として記述することだろう・・・