産経新聞社
オピニオン欄ご担当殿
(阿比留瑠比氏にも回付願います)
662-0082
兵庫県 西宮市 苦楽園 二番町19-13
曾 野 豪 夫 78歳 兼松OB
090-1483-8761
4月17日付け 「話の肖像画」 中島義道 「『人間ヒトラー』という不思議」拝読。
産経新聞はどうして繰返し第3者に、橋下徹市長とヒトラーを対比或は
同質者であるという発言をさせようとしているのか、理解に苦しむ!
1週間前の10日付け渡辺恒雄氏との対談も然り。その時の愚見は
即日貴社阿比留瑠比氏宛にe-mailした通りです(下記参照)。
本日の中島氏に対するインターヴュアー(氏名の明記なし)の冒頭の発言も、
途中で「ー大衆人気の点で、橋下徹・大阪市長と重ね合わせる議論が
盛んですが」との誘導尋問も、ケシカランと思います。
かかる記事は、在京主要各国大使館は即刻翻訳して本国に通報しています。
仲のよい国は、訳文を交換して相互チェックしています。
とにかく、マスコミはヒトラーと日本の政治家とを峻別する態度を取るべきだと
思います。もし、日本の将来を案ずる眞のジャーナリストであるならば!
その意味で、昨16日、民主党の仙谷由人政調会長代行が
「原発止めたら日本は集団自殺」との発言は、日本国家を毀損する発言である。
(”ある意味で”などという修飾語は外国人にとっては無意味である。)
産経は、政治家に対して須らく自分の演説や発言を先ず英語に翻訳し
(韓国語や中国語は無理だろうから)、
外国でどのように解釈されるかを判じた上で話すように提案して欲しい。
言いたいことは山ほどありますが、取り急ぎ。
詳細については是非下記をご一覧願わしう存じます。
曾 野 豪 夫
産経新聞社
阿比留瑠比さま
渡辺恒雄氏は「似非ジャーナリスト」である。
4月10日付け貴オピニオン「話の肖像画」渡辺恒雄氏についての記事拝読。
阿比留瑠比と言うお名前が珍しいこともあり、
15-20年ほど前から新聞、雑誌の貴論は関心を以って拝読してきていました。
今回の渡辺氏に関する貴記事内容については、小生は
野球に一切の関心がないことでもあり、特に論評することはありません。
ただ、最近私は「読売の渡辺恒彦氏は似非ジャーナリストである」と
判じております。
その理由は下記弊「ぶつぶつ(3)」の通りであります。
ご高批頂ければ幸いです。
今後益々のご健勝とご健筆を期待しております。
曾 野 豪 夫 78歳 兼松OB
090-14 83-87 61
西宮市 苦楽園 二番町 19-13
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ぶつぶつ: 曾野豪夫 4月1日 乞ご高批、転送ご随意。
1) 陛下に敬語を使わずして、日本人は誰に敬語を使うのか!
朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 産経新聞
2月17日 天皇陛下が入院 天皇陛下入院 天皇陛下きょう入院 天皇陛下ご入院
3月 5日 天皇陛下が退院 天皇陛下が退院 天皇陛下退院 天皇陛下ご退院
愚息愚娘がマスコミ人を配偶者に、と拙宅に連れてきたら、
敬語の試験をして諾否を決めるつもりだった。アハハ
新憲法草案には「敬語」の項目も入れて下さい。呵呵
本日付け産経石原慎太郎「日本よ」の天皇陛下に関する文章の敬語の
使い方は、さすがである。各社見習って欲しい。
昔「ダイアナ妃と美智子さま」と言う失礼なキャプションが氾濫していて、
あちこちに文句を言ったことがあった…
2) 石原新党の結党の精神(案): 2012年2月8日 産経
草案によれば、日本の建国の精神を「征服や支配、略奪ではなく、共存と協和、
生産であって、今日の平和と繁栄もまた、自然を慈しみ、神々を畏敬し、
和を尊んできた伝統的精神のたまもの」と定義。
日本が直面している諸課題は「文明の衝突や文化の摩擦によってもたらされた
混乱で、競争原理や二者択一の論理では解決できない」と指摘。
新党は建国の精神に基づきながら、第三極としての立場から国家の運営を
目指すとしている。
と、新聞に書いてあった。すぐに「立ち上れ日本」の事務所に電話した:
「前文(案)の冒頭に『征服や支配、略奪ではなく』と書くと、
中国、韓国、北朝鮮、ロシアや反日日本人は、日本が過去に他国を
征服、支配、略奪をしたので新党はそれを認め反省している」と囃し立てるだろう。
慎太郎好みの文章のようだが、削除然るべしだろう。どうしてもその文言を
使いたいのであれば、
『我国の近隣には他国を征服や支配、略奪せんと意図するが如き国々がある
ので云々』とすればどうか」と話した。
電話応対者は、「発表されたのは案である、石原氏が書いたものではない…」
(アレ?)とのことで、私の言わんとすることがピン!ときていないようだった。
「貴意は関係者に伝えます、貴方のお名前と連絡先は?」との反応もなかった。
3)谷垣氏「維新の台頭『ヒトラー想起』」: 2012年3月19日 産経
呆れてものが言えない! 否、だから言う! (ぶつぶつ子)
新聞は書く: 自民党の谷垣禎一総裁は18日、橋下徹市長率いる
「大阪維新の会」の国政進出に期待が高まる政治状況にについて、
戦前に日本軍部やヒトラー、ムソリーニが台頭した際を想起させるとの
観点から警鐘を鳴らした。京都府内で講演し「政党政治が駄目だという
ことで昭和10年代に日本で軍部が出てきた。
ヒトラー、ムソリーニが出てきたときもそうだったのだろう。...既成政党に
期待しても無理との気分があるから、第3極が期待を集めている。...
軍部やヒトラーらが出てきたのは、既成政党や議会政治では
物事を処理できないと多くの国民が思ったときだった。議会政治家は
それを十分に意識し、国民の批判を受け止めなければいけない」と力説した。
そのような事態を招いた張本人は自民党の、しかも2年半前には第93代
総理大臣になり得たかも知れない谷垣氏自身ではないのか。
天に唾する者よ!語るのなら、党内の反省会で密やかに言うべきだろう!
それよりも問題なのは、若き後輩の日本人政治家とそれを支持せんとする
多くの日本国民を誹謗中傷するに、ヒトラーやムソリーニに比するを以って
したことである。しかも公の場で。
谷垣氏は、世界中の人々のヒトラーに対する評価を知らないのだろう。
情けない。国際音痴も極まれり、だ。
将来、もし橋下氏が日本国家の政治を左右する更に大物となった時、
世界中のマスコミが「元最大野党の谷垣党首が橋下をヒトラーだと難詰していた」
と報道する怖れが充分にあることを想定して(或は希望して)発言したのだろうか。
それは日本の地位を貶める最大の侮蔑の言葉である、と言うことを承知して
いるのだろうか。
橋下氏をヒトラーと同類と看做すことは、第40代日本帝国総理大臣東條英機
をもそのように位置付けることになる!
私は1950年代から、貿易取引で海外の知友と交流するとき、政治と宗教の
話しはしてはならないと会社の上司から幾度も教えられていた。しかし、
宗教や戦争問題の話題を避けていては本当のお付き合いは出来ないので、
親しくなるとこの種の話題を誘引していた。戦後日本の復興問題が話題となると、
自然に戦争の話しとなる。しばしば相手は「ヒトラーと東條」が第2次世界大戦の
最大の悪者として話して来る (ムソリーニやスターリンの名前は出てこない)。
その時私は、ヒトラー総統と東條元首相とを一緒くたにされてたまるか、と
浅い歴史の知識と拙い英語で両者の違いの説明に、日本人として
自信を持って応対したものだった。アメリカ人やオーストラリア人には、
日本は最初は防共のために戦っていたが、それを邪魔したのは誰だと思うか?
と質問したりしていた。
敗戦の5ヶ月前に生れた谷垣氏は、どっぷりと戦後教育に毒されている
のだろう(野田佳彦総理は昭和32年生まれ)。
世界の歴史観と国際感覚ゼロの谷垣氏は、橋下氏(昭和44年生れ)を
ヒトラーになぞらえたことを国民に謝し、潔く政治家を辞めるべきである。
それが10年、50年、100年後の日本のためである。
自民党や他党の政治家から、上述の様な論評がないと言うことは、
彼らも知識人もマスコミ人も同じ穴の狢(ムジナ)だ。
文芸春秋4月号で、読売グループ会長兼主筆の渡辺恒雄氏(大正15年=
昭和元年生れ)は、次のように書いている:
「私が想起するのはアドルフ・ヒトラーである。…橋下氏の「白紙委任」と
いう言葉が失言ではないのだとすれば、これは非常に危険な兆候だと思う。」
(「日本を蝕む大衆迎合政治」p101)
しかしその数行前には「ある種の白紙委任」と橋下氏の発言を引用されている。
然るにあろうことか渡辺氏は「ある種の」を省略して、あたかも橋下氏が
「 100%の白紙委任」を求めているかの如き表現をカッコ付きで紹介している。
ジャーナリストとしては失格であろう。このような論法を操る人々を、
我々無学文盲の素人は ”デマゴーグ“と揶揄する。
谷垣氏はひょっとしたらこの文章を読んで、京都での講演に含めたのかも
知れない。無定見にも。と、言うことは、私より8歳も年長で世界の左右の
陣営の過去を熟知している老練のジャーナリスト渡辺氏の罪の方が幾重にも重い。
いや、ジャーナリストよりも野党第1党党首の方がタチが悪いかな?
何れにせよ、谷垣氏と同時に渡辺氏も天下に謝罪して筆を折るべきである。
日本の知識人は国際的な反響を考慮に入れ、100年、200年先のことを
慮って発言、行動しよう!
4) マイケル・グリ-ン氏「橋下氏 キングメーカーなりうる」: 2012年3月22日 産経
米国政府の元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長の論評である。
5) 「日本は自衛戦争『マッカーサー証言』都立高教材に掲載 贖罪史観に一石」:
2012年3月30日 産経東京版(関西版にはナシ)
1951年 5月3日、マ元帥は米上院で「彼ら(日本)が戦争に飛び込んで行った動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と証言したことが、やっと公式に?
日の目を見ることになった!
43歳の愚息に聞いたら、「友人は誰も知らないだろう、自分は最近何かで読んだが」との答え。
本人が学生時代、小生が購読していた『諸君!』や『正論』を読んでいたのだが。
識者やマスコミはもっともっとPRしてください! 以上 妄言多謝。