曾 野 豪 夫
平成24年 月 日
オーストラリア Phillips将軍との懇談
本年2月20日付け産経新聞の「野口裕之の安全保障読本 『英霊への待遇と仕打ち」』は、うまく纏めてありました。愚息には、外国人と話すときの参考とするようにメールしました(英訳文がほしいですね)。
同文の最後に、オーストラリアのドン・キブラー氏が天皇皇后両陛下に拝謁した、と書いてあり吃驚しました。
2000年、豪州退役軍人会(RSL Returned & Services League of Australia)会長(1997-2003)のMajor General Peter Phillips将軍夫妻を、外務省は外郭団体を招待主として日本に招待しました。ある日、外務省大洋州課から西宮の自宅に電話がありました:
「将軍夫妻を大阪で1日応対してほしい、費用は同行の通訳が支払う」。
私は関西日豪協会や大阪日豪協会があるのでそちらでどうぞ、と言ったら「断られた」とのこと。多分大阪の財界人は、反日団体として悪名高い退役軍人会との接触を避けたのでしょう。両協会の役員はお歴々併せて40-50人もいるのに、
情けない!
そこで私は、愚妻の代わりに芦屋に住んでおられるシドニー
生れのMさん(元兼松専務長女Mさん(私より年上)と、オース
トラリアの捕虜第2号高原希國氏(拙著 『写真で語る日豪史 昭和
戦前編(昭和2-17年)』pp25,99)を誘って大阪ロイヤルホテルで将軍
夫妻と懇談、会食しました。
Mさんと将軍夫人はシドニー聖心の同窓生と分かり、時の過ぎ
るのも忘れておしゃべりをされていました。
元1等飛行兵曹、大艇偵察員だった高原氏は、昭和17年2月、
日本から一路南下して戦闘もしないうちにアラフラ海沖で撃ち落されて5名が捕虜となったことを恥じて、将軍と懇談することを非常に躊躇されましたが 「veterans(米、復員軍人)に上下はない」と、六甲のご自宅から強引に引っ張りだしました。
温厚な将軍の経歴書に「Historyに関心がある」、と書いてあったので尋ねたら
「The Civil War」。
私はアメリカの南北戦争よりも、大東亜戦争に対する評価と、戦前のオーストラリアの反共政策を聞きたかったのですが、楽しそうなご夫人方を見て遠慮しました。
後年この話しを長谷川大使にしたら、「将軍夫妻を日本に招待することの手配したのは自分である」とおっしゃっていました。外務省からの電話は大使の示唆によるものだったかも知れません。同大使は私と同じ昭和8年生れ、拙著 『写真で語る日豪史 昭和戦前編』に懇切丁寧な序文を書いて下さいました。