~河村市長発言を支持しよう~
自民党名古屋市会議員 藤沢ただまさ
河村たかし名古屋市長の「いわゆる南京事件」はなかったのではないか、という発言が世間の耳目を集めている。この発言の一連の問題を側でみていた、そして、ともに活動してきた一人として、きちんと検証してみたいと思う。
「2月20日の市長の発言に至るまでの経緯について」
昨年、市長と話をしているときに、「30万人虐殺なんてあり得ない」との発言があり、私も同僚の議員も同感だと伝えた。もちろん、これは単になかったと言っているのでなく、我々自身様々な勉強をし、研究者から話しを聞くなかで確信したことである。とりわけ、ここ10~15年の研究により、これまで事実とされてきたことが実際はそうではないなど明らかになっている。
市長とは相反することも多いが(実際、二度の市長選では、私自身は自民党の一員として対立候補の応援をしている)、これは、対中国、南京の問題であるので、市長とも一致協力すべき課題だと考えた。
なによりも、名古屋市と南京市は昭和53年に姉妹都市となっており、現状では未来志向にならないと考えたことも動機の一つだ。
そこで先ず、名古屋に中国総領事館があることから、総領事と懇親を図り、その中で「いわゆる南京事件」について意見交換を図ることになった。
昨年の8月19日に、中華人民共和国駐名古屋総領事館の総領事である張立国氏をはじめとする総領事館の方々と、河村市長、私、山本久樹名古屋市議、桜井治幸元名古屋市議、名古屋市の市長室職員らとの意見交換の場がもたれた。会費制にて市内の飲食店で行った。
席上、様々な会話がなされたが、市長や我々市会議員から、「30万人虐殺なんてなかった」「南京の虐殺記念館の展示については改善を求める。それが姉妹都市を推進するために必要だと考える」「南京にも出向くので公開の場で議論させてほしい」「南京市政府やお国にも伝えてほしい」などの発言をした。
それに対して、張総領事からは、「議論はおおいにやれば良いが、公開でやることには否定的だ」「南京問題については証拠もたくさんあり(いわゆる大虐殺について)、自信をもっている」「経済的にも損失を被ることになるし、中国側もだまっていないので、この問題を取り上げるのは賢明とは思えない」などの発言があった。
もちろん、課題は南京問題に限らず、姉妹都市のこと、経済的交流のことなど多岐に亘った。
お互いに、考えや意見は述べたが、決して険悪なムードということはなく、酒を酌み交わし、冗談もでる(河村市長は衆議院時代に多くの政党を渡り歩いたが、張総領事はずっと共産党一筋だなど)など、和やかなうちに会は終了した。
後日、我々(市長及び3名の現・元市議)は、文章にしておいたほうが形も残るし、正式に申し入れるという形式にもなり良いだろうと判断し、別紙(※資料1)のような申し入れ書を張総領事あてに提出した。(23年9月に私藤沢と名古屋市国際交流課職員とで総領事館に持参し、総領事に渡してほしい旨を領事館職員に伝えた。)

しかし、案の定と言おうか、この申し入れに対する返事は一切無かった。
そこで、一度南京市に出向いて直接申し入れよう、そのことが必ず日中関係、名古屋・南京の姉妹都市関係にもプラスになるはずだ、と考えたからだ。
「南京訪問をし、南京市政府と会談をおこなう」
2月7日から9日かけて南京市を訪問することにし、友好親善を図るとともに、「いわゆる南京事件」について意見交換をしたい旨の訪中であることを事前に名古屋市国際交流課を通じ、南京市政府に伝えておいた。訪中は、私、山本久樹名古屋市議、桜井治幸元名古屋市議の三人である。
2月7日に先ず、南京市を管轄とする上海の日本総領事館に立ち寄り、中国のこの問題についての雰囲気や日本総領事館の対応などについてお聞きした。
応対して頂いた首席領事からは以下のような発言があった。
1.「南京記念館」については、行き過ぎた展示であり、従来以上に30万人が強調されており、諸説ある犠牲者数について色々な意見に耳を傾けるべきだとして、「日本政府の問題意識」として抗議しているとのこと。(記念館が拡張された直後の2008年と現在の総領事が着任した時に二度しているとのこと)
2.国(中国共産党)の方針で行っているため、南京市政府だけでは対応は難しいのではないか。
3.反日教育は行われてはいるが、日本の文化などには中国の若者の人気が集まっている。
2月8日の午前中に、「南京記念館」を見学した。極めて恣意的な展示が多く、また最近の研究で間違いが指摘されている資料がそのまま展示されている、また解説の文も非常に反日を煽る表現となっているなど問題が多い。
指摘すべきこと、したいこと多数あるが、本文は今回の一連の動きをお伝えすることが目的なので、別の機会にしたいと思う。
同日午後に、南京市人民政府を訪問した。
南京市側出席者(名刺のコピーを参照…※資料2)
① 汪正生氏 南京市人民対外友好協会名誉会長
南京市側から3名の方が応対してくれたが、この方が代表という位置ずけで、発言もほとんどなされた。(元南京市議会議長とのこと)
② 任叢林氏 南京市人民政府外事弁公室副巡視員
この方は後々述べるが、2/20の訪名団の一員であった。
③曹文堂氏 南京市人民対外友好協会副会長
この方は「南京市人民政府外事弁公室」の肩書きも持つ。
以上3名の方々が我々との会談に応じて頂いたが、後方に④郎叙氏南京市人民政府外事弁公室職員がおられたし、彼は後述する2月20日の訪名団には通訳として来名されている。

会談内容
・40~50分間の会談。
藤沢から受け入れについての謝辞、友好の一層の促進をはかりたい旨の発言とともに、会の冒頭に河村市長の親書を手渡す。南京市長に渡しますとの言あり。
その後、「南京事件」について言及。
その柱は、
「30万人はあり得ないのではないか」
「互いに意見の違いはあるが、それを議論したい」
「そうすることが日中、名古屋・南京の友好促進にとって大事だと思う」
「記念館を見た日本人の中には、中国は日中友好と言いながら、こんな展示をするなんてそれは口先だけではないかと思う人もでてくる。それは互いの利益にならないので、行き過ぎた展示については改めてほしい」
「市長の親書にも同じ思いが書かれていると思うし、市長も我々と同じ考えだと思う」
桜井元市議からは、
「日本だけが悪者になっている。アメリカ等と比べて日本だけ突出した感じになっているのが気になる」
山本市議からは、その際に発言はなかった。
中国側は、基本的に①汪正生氏が発言
「今日はようこそ、友好を深めたい」
「日本には何度か行ったことがあり、その際よくして頂いた」
「議論は良いでしょう」(公開についての言及はなかったと思う)
「被害者のためにも記念館は必要」
「この記念館は憎しみや恨みからやっていることではなく、過去を認識し、未来のためにやっていることだ」
通訳は、⑤「孫曼南京市人民政府外事弁公室」がおこなった。
ムードは決して悪くなかったと思う。最後は、握手・記念品の交換、写真を撮り別れた。
夜は、中国南京市側が歓迎懇親会を開いてくれた。
その席上は、基本的に南京事件について言及していないが、自然発生的に出た会話として、
「日本がこのことを言えば言うほど、中国側もムキにならざるを得ない」
「証拠はいくらでもあり、全世界から集める」
「河村市長は、この問題に触れない方が良い」
との発言があったが、友好ムードで進んだことは間違いない。
なお、この夜の懇親会には、昼の会談に参加した②③の人たちも参加していた。(及び④⑤ も参加)
その他に、⑥「孫家興外事弁公室主任」がリーダーとして、⑦「孫文学南京市人民政府駐日本事務所首席代表」も参加された。
昼の会談も夜の歓迎会も極めて友好的であった。また、昼の会談で、我々の議論をしたいとの提案に対し、「議論すること自体は問題ない」旨の発言に意を強くしたし、その実現に向けて努力していこうと考えもした。
我々は、8日夜の歓迎会の席上、②任叢林氏と④郎叙氏が2月20日に名古屋市役所を訪れ、河村市長と面談することも知り、名古屋での再会を約束した。
「問題とされている2月20日の会談について」
2月20日(月)午前9時30分、南京市より中国共産党南京市委員会常務委員、南京市副市長劉志偉氏、以下総勢8名の方々が名古屋市役所を訪れ、河村市長と会談をおこなった。なお、本席には、8日に南京市を訪れた私、山本久樹名古屋市議、桜井治幸元名古屋市議の三名も同席した。(中国側出席者名簿参照…※資料3)
