日本とフランス、チャイナの近代を考える

 

このブログもいよいよ明治維新を迎えます。

 

以前にも取り上げていますが、

今回は、一年以上前から系統的に

「世界の中の日本史」を記してきました。

 

この明治維新を機会に

日本と、フランスとチャイナを

18世紀~20世紀初頭にかけて

比べてみてみようと思います。

 

比べてその国の優劣を明らかにする

ということではありません。

 

もしかすれば、意外に

日本とイギリスが国民性として似ているんではないか

という人はいます。

 

それは、スマイルズ 『自助論』を読むと

よくわかります。

 

この本は何度か紹介したことがありますが、

幕末にイギリスに留学した幕臣であった

中村正直が『西国立志編』として翻訳出版、

『学問のすすめ』とともに爆発的なベストセラーとなりました。

 

 

 

近代に入り、

革命で王制を廃止したフランスと

同じく明治維新で王政復古した日本との

大きなポイントは

 

王制を廃止して「共和制」としたフランスと

立憲君主制を取った日本の違いです。

 

一方

チャイナは、日本が古来影響を受けてきた

同じ東アジアの大国です。

 

似ているといわれますが、文化の違いはかなりあります。

同じ19世紀末、江戸幕府と清朝は斜陽の時代でした。

 

しかし、その後の歴史は皆さんご存じのように

違った道筋をたどります。

それはなぜなのか、ということです。

 

 

  明治「維新」とフランス「革命」

明治維新とフランス革命何が違うのか  

学者でもない素人の私ですが、この二つについて
考えて見ます。

まず、「維新」  ウィキペディア(Wikipedia)によれば

中国の古典籍や『日本書紀』など、さまざまな古文献に見える。
中国最古の詩篇『詩経』の「大雅・文王篇」に

「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、

その命(めい)は維(これ)新(あらた)なり)」とあり、これが最古の用例とされる。

簡単にいうと「維新」はすべて新しくなるということに尽きます。

 

では「革命」
恐らくチャイナの「易姓革命」からくるものと思われます。
 

つまり、チャイナでは、

天が天子(皇帝)に天下(地上)を治めさせているが、
天命に背くのであれば、天子の姓を易え、

天の命が革められることになります。

したがって

チャイナの歴代王朝は、すべての名称が異なります。
革命が起こるのは、前皇帝の悪徳によるもので、
倒した王朝の天子(皇帝)は徳があるということになります。

 

「Revolution」は「回転」と訳せるが

「革命」とは誤訳だというのが、

東京外語大名誉教授だった岡田英弘氏です。

 

確かにチャイナの革命の意味からすると

フランス革命という場合の「革命」は

 

「天が徳のある皇帝に地上支配を任せる」

意味とは異なります。


 

  「革命」はチャイナの歴史に始まる

 

ここで注意をしなければならないのは、
徳があるから天の命が革まるのではなくて
革まったから徳があるということです。

倒された王朝はすべて悪徳によるものとなります。

ですから、倒された歴代中華王朝の皇帝は

すべて悪者です。

 

早い話が、

中国6000年の歴史というにはかなり矛盾がある
ということになります。

(この革命論理でいくと、大陸での戦争に負けた日本は永遠に悪者で、

名誉が回復することはありません)

それに、中国と呼べるのは、

中華民国と中華人民共和国のみです。

 

しかも、国際的には「china」であり、

これを基にした呼び方になります。

 

この2つの「中国」のほかは、

全く異なる名前でしかも異民族の支配が多い歴史です。

しかも、天が迷っていたのか「戦乱」「混乱」が

歴代王朝が統一していた期間より長いのです。
万里の長城
もともと、司馬遷の「史記」が

「漢」王朝の正当性を明らかにするために書いた

ことがチャイナの歴史の始まりです。

 

しかし、「史記」であり、「歴史」ではありません。

「歴史」ということばは、日本が発祥です。

「history」を和訳した和製漢語です。

 

また、
実際「中国」の建国記念日は、

1949年10月1日としています。
中華人民共和国国慶節として祝っているようですが、
とすれば、「中国」の歴史はまだ74年となります。

なぜ、中国6000年の歴史というかというと
日清戦争後日本に来た留学生が、
日本の皇国史観での「皇紀」という考え方を知ったから
というのが

先の岡田英弘氏や歴史家の宮脇淳子氏です。

ちなみに私が高校生の時チャイナは

3500年の歴史と記憶しています。

 

最近まで「中国4000年の歴史」だったと思っていましたが

いつから6000年と

教科書にも書かれるようになったのでしょう。

なぜ、私がチャイナというかは、

国際的に「China」だからです。

 

発祥は「秦=chin」(ここからだとチャイナ2200年)です。
これを「シナ」と発音する国もあります。

むしろ「シナ」の発音を基本とする国は多いほどです。
 

「支那」というように日本にいったのは

ほかならぬチャイナ、

当時は清国だと
宮脇淳子氏は述べています。

 

あるいは、織田だ英弘氏によれば、

新井白石がシドッチから「シナ」と呼んでいる

と聞いたことに始まるといいます。

敗戦後、GHQ占領下、

蒋介石から「支那」は差別語からいわないようにいわれて
敗戦国の日本の外務省が認めたと
「支那」と呼ばないよう、通達を出しています。

 

 

日本にも「中国」地方があります。
日本も国際表記に倣って
「シナ」がだめというなら

せめて「チャイナ」と呼ぶべきだと思います。

表記が「中華人民共和国」で、それ故チャイナは
「中国」と呼ぶように要請し、日本はわかりましたと
何の考えもなく、「中国」と呼んでいます。

 

その時は「中華民国」です。

この中華民国も辛亥革命を起こした多くは

日清戦争後に日本に留学した「清国」人です。

 

日本が「日の本」という意味の国と知り、

「中国」という名称を思いついたと

歴史家の宮脇淳子氏が述べています。

 

それは無意識にチャイナが「世界の中心の華」そのものだ
と認めてかつての冊封体制に自ら入っていることに
なっているようなものです。

ちなみに「中華人民共和国」
の「人民」、「共和国」はそれぞれ「people」、「republic」を
日本人が翻訳した和製漢語です。

 

現代チャイナの7割がこの日本語だということです。


日本は,チャイナから

多くの文化や品々を取り入れてきましたが
 

近代国家になろうとしているチャイナは
そのほとんどが日本の影響だということは

まちがいありません。

 

さきの宮脇淳子氏は

「中国」は日本人がつくった

とまで述べています。
 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 


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