今日は、

読む人によっては耳の痛い、

不快な記事になるかもしれません。

 

また、多少ややこしい表現をお許しください。

これでもうまく伝わるかどうか…


ただし、

誰かの悪口とか中傷では決してなく、

そうするつもりもありません。
 

事実を中心に私の考えを整理させていただきます。

感情的にならず、先入観やこれまでの考え方にとらわれず
ご自分の頭でじっくり考えていただきたいと存じます。

大東亜戦争(太平洋戦争)の話を続けます。


1944年以降の日本の戦死者は急増します。
日本は、武器も弾薬も食料も尽きていました。
その上、海上の補給路を奪われていました。
 

もちろん、
制空権も失い、サイパンから自由に飛んでくる
爆撃機や戦闘機の空襲や機銃掃射で

犠牲になっているのが民間人でした。

終わってみれば皆、「なんでこんなバカな戦争をした」
「大人と子供の戦争だとわかりきっていたことだ」
 

そんな声を戦地から戻った山本七平氏は聞いたといいます。
それは、今でも識者からもよく聞くことばでもあります。

山本七平氏は、

開戦した時とまるでかわっていることにことばを失います。
 

何度も書きましたが、

 

半藤一利氏も開戦時の気分の爽快さは
自分だけでなく、

一般人から文化人までが思っていたことだと
 

当時の記録をもとに述べています。
新聞も同じで開戦を喜んだのです。

当時の記事は残っており、うそのつきようがありません。

山本七平氏は、

「日本人は自分の頭で考えない

いつも他人の考えでものをいっている」

といいます。

 

こうもいわれたといいます。

「なぜ、戦争に反対しなかったのか」

 

これに対して、戦時中の雰囲気がわかれば

簡単にできるわけがない、と言い切っています。


つまりこれが、

同調圧力とか空気とかという正体かも知れません。

「われわれは、(政府や軍に)だまされた」
ということで、ファシズム、軍国主義が、言論を封じ
 

それが一気に戦争へ向かわせた。
中華民国への侵略も軍国主義がよくなかった など

その時代とその場にいた自分とは無関係な

大きな存在が時代を狂わせ、隣国に迷惑をかけた

こうしたなにか戦後の他人事が、

戦後一般的な「太平洋戦争」の反省ではなかったでしょうか。

 

結局何も反省にも総括にもなっていないわけです。

そもそも、認識自体がまったくずれているわけですから。
 

それは、戦後

「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と
「支那」(シナ)は「中国」と呼ぶようになったことと
私は本質的に同じだと考えています。

 

この辺で「なにをいってるんだ」
と思われる方がいるかもしれません。

かつて自分がそうでしたから。


少しわかりやすくいえば
「大東亜戦争」はいうまでもなく日本の戦争の目的である
東亜(アジア)解放をいいあらわしたもの

「太平洋戦争」はアメリカが目指した「白い太平洋」
つまり、白人のための太平洋です。

事実、アメリカはハワイ、フィリピンと
太平洋を西から東へ併合してきました。

グアム、サイパンから
日本を占領して魂を抜き去り、韓国を支配し
沖縄とフィリピンを永久基地化し、
南ベトナムを独立させる

この「白い太平洋」実現の呼称を
われわれは「太平洋戦争」と呼んできた

いや呼ばされてきたと思っていることに
どれほどの日本人が意識しているでしょう。

 

GHQの管理下、言論統制は確実にありましたから、

日本が自主的に言い換えたことになっているはずです。

そして今も「太平洋戦争は…」とニュースが流れます。
 

「ニュースを流している」と主語を変えると
少しその影響の大きさがわかっていただけるでしょうか。

「影響」の上に「恐ろしい」がつき約80年です。

小学生の頃からおとなになってもずっとです。

 

しかし、実際には

「何か悪いのか」「何がどおしたというのか」

という感じでしょう。

 

逆に私の昭和一桁生まれの母は

常に「大東亜戦争」でした。

「太平洋戦争」なんて「タ」もでませんでした。

もっとも、アメリカの「白い太平洋」が甘かったことは
「太平洋戦争」から5年後に
アメリカはいやというほど知らされます。

一貫して80年

日本が大陸と向かい合わねばならなかった理由の重さを
アメリカは、痛烈に実感したのです。

朝鮮戦争です。


ただし、

310万人の日本人の命が犠牲になった後でした。

「支那」については

差別語というので戦後GHQの管理下にあった外務省が
使わないようにマスコミに通達したという話です。

 

このコンピュータソフトには「支那」の文字は

でてきませんでした。

 

ここにかなりよく述べられています。↓

 

日本共産党の見解も読んでみてください。

たぶん私は、20代前半はこんな感じだったと思います。

 

 

どう感じ、どう思い、どう判断されるかはご自身です。

 

最後に私のスタンスを記します。

私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る

    ヴォルテール (1694~1778)仏・哲学者

とまでいかないので

私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張することには反対しない。

人を傷つけたり、法に触れたりしない限り。

これが、私の学級や学年での生徒に求めたスタイルでした。

 

正直議論は好きではありません。

 

おおかた、こちらを理解した上で反論するのではなく

ひたすら気にくわなくて感情的になる場合が多いからです。

 

この話は長くなるので、今日はこの辺で終わりにします。

 

 

今日はここまでにさせてください。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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