ピューリタリズムと禅の思想は似ている?

 

イギリスは、世界でいち早く

国民が主体の国を作り上げました。
市民革命です。
そこには、それまでなかった

自由があったことは確かです。
 

そして、豊かな生活ができる人々、いわゆる市民層
が厚くなっていきました。

 

海洋国家の長所を最大限生かした貿易国家

でもありました。

 

そうしたことが、市民革命に次ぐ

産業革命につながった土台となった

そんなことを昨日書きました。

 

 
 
 

イギリス産業革命の根底には信仰心

天は自ら助くる者を助く

 

  イギリス産業革命の根底には信仰心

 

有名なマックスウェーバー著
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
という本があります。

この本は、結論からいうと、
プロテスタントの考え方が資本主義を生んだ
ということだと思います。

 

宗教改革の話になりますが、

ルターは「働くことは神の使命」
つまり、「天職」を考えだし、

カルヴァンのいわゆる、「労働による富は神の意志」
「救われるものは神により決められている」は
それを確認をするかのように、
マジメに禁欲的に働いた
ということになります。

ちなみに、日本人は救われる中には入っていない
と何かで読んだ記憶があります。

ただ、プロテスタントたちも、自分たちが神に救われるか
どうかはわからないわけで、

そこでどうしたかというと
まずはやってみようとまじめに働いた
ということのようです。

その働き方は、禁欲的で
例えば、イギリスの清教徒(ピューリタン)革命で
 

その指導者のクロムウェルはまさに
厳格なピューリタンで、それをイギリス国民にも強制し
王政復古にもつながり、評判がいいとはいえません。

クロムウェルは厳格すぎかもしれませんが、
ピューリタンの典型といってもいいと思います。

クロムウェルは日本の松平定信のような感じで
嫌われましたが、

ピューリタンの禁欲的行動様式は
日本の道元のいう

日常が修行という考え方に通じるところがある
と私は思っています。

似て異なるというより、異質だが似ているという感じです。
それは、昨日も紹介したスマイルズの『自助論』を

読むとおわかりいただけると思います。

 

そして、日本人に通じる精神を感じられる方も

多いはずです。

 

「天は自ら助くる者を助くる」

この精神が産業革命を起こしたということです。

カトリックは、欲望そのものを否定し、
清く・正しく生きることを要求したわけで、
結果、ヨーロッパの中世がどうなったかは
私のブログでも述べました。↓

 

 

  天は自ら助くるものを助く


すでに、海外植民地経営を図っていたイギリスでは、
毛織物の需要が高まり、
領主層は、農民を土地から追い出し、
工場制手工業(マニュファクチュア)が盛んになり、
農民たちは、賃金労働者となっていました。



 

さらに、石炭や鉄鉱石も豊富であったため、
この綿織物の需要の高まりは、
工場を機械化するだけでなく、
動力にも革命を起こしたわけです。
  
綿織物の生産量は、
爆発的に増加して供給量が国内需要を
上回るようになります。
イギリス
 

イギリスには石炭も豊富にありました。
その石炭による水蒸気の動力は、
綿織物を織る蒸気機関としての機械だけではなく、
交通手段としての蒸気機関車や蒸気船の発明を促し、

それらは大量の生産物を、
しかも、これまで考えられなかった短時間で
運搬することを可能にしました。
 
イギリスは、これを軍事力にも転用したわけです。
インドを地方ごとに分断してインドの綿織物に高関税をかけ、
自国の綿織物は、汽車で全国に運搬して廉価で売り、
インド産を駆逐していきました。

初代インド首相ネルーが、
イギリスからの独立運動の際、
逮捕された獄中で娘にあてて書いた手紙があります。

「父が子に語る世界歴史3(みすず書房)」には、
次のように記されています。

  「(職を失って)おちぶれた手職人は、…ただ死ぬよりほかに途はなかったものも、多数にのぼったに違いない。…1834年に、イギリスのインド総督(W.Cペンディック)は、『その惨状は、経済史上未曾有のものである、木綿職匠の骨は、インドの原野を白色に染めている』と報告したという」。

インド木綿工業都市、
現バングラデシュのダッカの人口は、
18世紀15万人とされていますが、
1840年は2万人まで減少しています。

このインドの惨状は、映画「ガンジー」で
よく描写されています。

この映画を製作したのも実はイギリス人で、
リチャード・アッテンボロー監督は
1982年第55回アカデミー賞作品賞など

8部門に輝いています。

蛇足ですが、中学生を教えることが多かった私は
機会をとらえて、伝えてきました。

中学生は、頭がいいのは先天的なものと
思い込んでいるのがほとんどです。

頭の中味は皆同じ量だ。
脳みその重さは同じくらい。

アインシュタインは、1320gと小さい方だ。
脳は
いわば、ハードディスクだ。

空っぽなんだよ。最初は。
その中に何を入れるかは、アプリが決める
アプリとは君たちの意志、念いでしかない。

ルネサンスや産業革命は、

まさにそれを暗示しています。

それは、信仰心といってもよいと思います。
それが、ピューリタンであったということです。

日本人にもその深い信仰心は、伝統としてあり、
歴史と家族など同胞への愛情だったわけです。

戦後GHQは、日本人にあったその信仰心を
みごとに取り去ることに成功したわけです。
しかも、感謝されながら。


奪われたことにも多くの日本人が気がつかず、

何を失ったかもわからず

日本は現在に至ります。
 

今の日本の状態は、その証だと思います。

 

どうやら、ハードディスク(大脳)には

 

信仰心、

言い換えるなら、

誇りや勇気、使命感や愛情、忍耐心

などは、取り込めないようです


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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