孔子様の国。
鑑真や三蔵法師(玄奘)など偉いお坊さんがいる国
井上靖の「天平の甍」や孫悟空の話
歴史や文化の水準が高く、日本が手本にしてきた国
これが、私が高校時代まで描いたイメージです。
どこの国かおわかりと思います。
「中国」の歴史はいつからか
日本では、中華人民共和国を「中国」といっています。
また、「中国の歴史」は6000年というように
殷 周 春秋・戦国 秦 漢…隋…元…中華民国 そして現在までを
皆さん中華王朝の名前を知らなくとも
含めて6000年というと何となく思っていると思います。
しかし、「中国」は、秦=Chinが統一ということも
そういえば習ったと思い出す方もいるでしょう。
ですから、
岡田英弘氏は、「中国」の歴史は
「秦」から数えてせいぜい2300年
といっています。
ところが、「中華人民共和国」は建国を
1949年10月1日とし、国慶節として祝っています。
ということは、中華民国もそれ以前も別の国
ということになります。
つまり、74年の歴史ということになります。
実際「中国」といえるのは
中華人民共和国と中華民国だけで、
他はまったく別の国名であり、支配民族も
元=モンゴル 清=満洲人 と異なることが多いのです。
本当は、何年の歴史なのでしょうか。
日本人のあいまいな「中国」
今、日本ではチャイナのことを「中国」
以前は「支那」と呼んでいました。
なぜ「支那」なのかといえば、
世界的に「中国」は、China、チャイナ、シナが一般的で
ここは、岡田英弘著「日本人のための歴史学」(WAC)
から、長いですがそのまま引用します。
(略)
日本語の「支那」ができた。
江戸時代、新井白石が、
日本に密入国してきたシドッチを尋問したところ
「中国」のことをイタリア語で「チーナ」と言うことを知り、
「支那」という字面を当てはめたといいます。
ちなみに「天下」には
一人の皇帝しかいてはいけないはずなのに、
チャイナ(天下)が一つの国であったことはほとんどなく、
皇帝もいつも多数いたことになります。
江戸時代、
日本人は清国人のことを韃靼(満洲)人、
支那人のことは唐人といってきちんと区別していたと
岡田氏は述べています。
簡単言えば、皆さんの知ってのとおり
元=モンゴル人、清=満洲人、のように、
シナ=漢人であり続けたことはありません。
しかも戦後、「支那」は差別語だから「中国(中華民国)」と呼べと
戦勝国の蒋介石からいわれて
外務省が「中国」と呼ぶように通達を出しています。
日本は卑屈な態度のままであり
支那が差別語なら「シナ」と呼ぶのが
「チャイナ」や「シーナ」とよんでいる
国際的な呼び方に近いはずです。
無意識で日本がチャイナを「中国」と呼んでいるのは
意識的に冊封体制に組み込まれているのと同じだと
いうのは考えすぎでしょうか。
かつて石原慎太郎氏も中嶋嶺雄氏も「シナ」といっていました。
「シナ」は差別用語ではないことは、
先ほどの岡田氏が証明しているように
差別語ではないでしょう。
「東シナ海」「南シナ海」って
地図に明記しています。
ただ、1930年の浜口雄幸内閣閣議で、
中華民国が「支那」が侮蔑的だというので
「中華民国」と呼称するようした、
と言う外務省外交資料Q&Aというものを
最近Web上で見つけました。
一方下のような文書もあります。
これは戦後のことです。
ただ、そういう本家は
倭、卑弥呼、蒙古、鮮卑、氐、羯、羌
などというのは、どういうことなのか。
本ブログでは、
何度も触れていますが「倭」がチャイナの命名であり、
あまり意味のよくない国名だと気づき
天武天皇の頃、自ら「日本」と名乗り
独立宣言をしたのです。
日本にも「中国地方」がある以上区別する意味でも
チャイナはチャイナまたはシナというのが妥当だと思いますが。
まあ、私がいってもどうなるものではないのですが。
そうすれば「シナ」の歴史というと
少なくとも「秦~現在」とはっきり区別できます。
お隣さんとは、日本人であれば誰もが
なかよくして穏やかな毎日を過ごしたいのです。
でもいつもなんでも、
「悪いのはお前だ」と言われ続けているのが
日本です。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。