昨日のお話は、あの戦争、あるいは先の戦争

つまり対米英戦争
反省あるいは総括は終わっていないということでした。

これが何を意味するかといえば、
一番大きな意味は、

次の戦争を防ぐための大きな糧となるはずだ
ということです。

もう一つは、日本の将来が繁栄・降伏になるためには
必ずやっておくべことだということ
だと私は思っています。

私のような研究者でもない人間が、

できるはずもないと思いつつ、

 

私にも子供がいます。
一人の国民として次世代の日本がとても気になります。

 

こうやってない頭を絞って考えています。


その総括が曖昧なのは

我々の日常にもよく出ています。
それは
 

「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と無意識にいい

前述した「あの戦争」「先の戦争」「米英戦争

そういういい方で通用します。

 

つまり、明確には名称が定まっていない

というのが、正しいのではないでしょうか。


「支那」を「中国」といっていることが

なんら問題意識もないことにも
典型的に表れていると思います。

「大東亜戦争」については、前回述べましたので、
今日は、

China(この呼称は国際的に一般的=通称)について、

考えます。
 

外務省のホームページは

 

中華人民共和国  People's Republic of China
 

となっています。

 

戦後、蒋介石は戦勝国として自国を
「支那」ではなく「中国」と呼ぶようにいい、
日本はそれにしたがったということのようなのです。

 

そのせいなのか、

「支那」は差別語というので

戦後GHQの管理下にあった外務省が
使わないようにマスコミに通達したという話です。

しかし、歴史家の宮脇淳子氏によると
日清戦争後日本に来た「清国」の留学生が「支那」と呼んでくれ
というのでそうなったと述べています。

 

「清国」を支配した女真族は、満洲出身で、

漢人ではありません。

 

しかし、ですから「清国」であっても

「中国」ではないわけです。

 

Chinaの歴代王朝の国名が異なるのは、

全く異なる国家だからです。

 

しかし、漢字を使っています。

そうしなければ、Chinaは統治(支配)できません。

 

統治しているうち、漢字文化になり気づいたら

支配されてChina化していた、

これがChinaです。

 

Chinaの歴代王朝は、それぞれ全く異なった国家ですが、

清国の時の留学生が

日本の歴史が2000年以上続いていることを知り、

 

これを、使って「中国の歴史」といいだした、

と述べているのが歴史家の宮脇淳子氏です。

 

清の留学生たちは、日本の歴史と明治維新を学んで

ナショナリズムに目覚めたといわれます。

 

以後,五四運動に代表される反日運動が

燃え上がります。

 

現在「中国の歴史は6000年前から始まる」

と教科書に載っています。

 

私が高校の時は、3500年前と記憶しています。

古来日本にとってChinaは

「唐=から」、「唐土=もろこし」などが通称で
 

江戸時代は

「清国」をそのまま「シナ」といい、

「シナ人」といっていました。

 

現在「東シナ海」「南シナ海」という名称は残っており、

「シナ」は

歴史的な呼び名であることが確認されます。
 

「中国」というのは、最初、中華民国であって
歴史上「中国」という名はありません。

Chinaは、英語で「チャイナ」、
国際的にはこの呼び名が一般的であるはずです。
ドイツ 語「シーナ」
スペイン語「チーノ」
フランス語「シーヌ」
全部ChinaでChugokuとはいいません。

秦がChin=シンであり、これがシナの始まりであり
チャイナとして歴代中華王朝の総称の通称といわれます。

そのChinaの総称のもと
中華思想あるいは、華夷秩序という考え方があります。
 

これは、Chinaが「世界の中心」という考え方です。
事実、18世紀の清(この国もシン)までは、
Chinaは政治・文化ともに紛れもなく世界一の大国でした。

そうした歴史上のChinaの地政学的位置や朱子学が
中華思想を生み、育てていきました。

自分たちが世界の中心でそのまわりは
文明度の低い未開の野蛮人 という認識が
中華思想(主義)(華夷秩序)です。

ですから、「中国」という自分たちが
「世界の中心」、「中華」ということを

公言しているということで

 

たぶん日本は

学校で習った伝統的な朝貢貿易というのは、
対等ではなく、「中国」に頭を下げることで
その代償として豊かで文明度の高い品々を与えられる
というものでした。

これは無意識の世界のことですが、
日本が、あなたの国は世界の中心で
我が国(日本)は、その周辺国(蛮族)だと(自認していることになる)
ということになります。

何でそこまで考えなきゃいけないの
といわれる方を説得するすべはありませんが、

これが「すり込み」、

もっといえばあんまり使いたいことばではありませんが「洗脳」

といわれるものになるのかもしれません。

 

要するに、自分が知らない間に相手が欲することを

やってなおかつ、こっちが苦痛でもありませんから。


気づいた方は、個人的には考えを改めることでしょう。

個人的に気づいても国やメディアは気づかず
あるいは気づかないふりをして
 

教科書もなんの疑いもなく「中国」と記しています。
それが現在です。

 

誤解を招かないように再度いえば、

自国を卑下しているわけでも

他国を侮っているわけでもありません。

 

あくまでこれが、

現実の事実だということなのです。

 

あえていえば、

日本という国家のトップは何を考えているのだろうか

ということです。

 

さらにいえば、日本の「中国(地方)」の方が

はるか古代にできた歴史的な名称です。

もちろん、由来も異なり都(近畿)と九州の

間(真ん中)にあるから中国です。

 

今日はここまでにさせてください。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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