今日は憲法記念日です。

今日はその憲法記念日に関わる内容です。

 

ブログを訪問してくださり、ありがとうござます。

 

この国には、ビジョンというものがあるのか

ということについて私論を述べてきました。

 

ビジョンとは、理想像、見通し、未来像、展望 

と調べると書いてあります。

 

ビジョンは

国でなくとも、会社や他の組織では

なくてはならないものです。

 

そして、

法治国家としての国民国家、日本の

ビジョンを示しているのが日本国憲法です。

 

憲法は国の指針でもありますから、

国民主権の日本国としては

当然、その主権者の考え方が示されるべきです。

いや、示されなければ国民主権ではありません。

 

実際には、国民の代表である政府が、

立案して国会で議決となるでしょう。

 

では、日本国憲法はいつできたのか。

1946年11月3日公布(文化の日 明治天皇誕生日)

1947年5月3日施行

今日は、その日本国憲法が施行された日です。

 

だれがつくったのか。

一般的に知られているのは、GHQに憲法を改正しなさいといわれ、

日本側がつくったが、マッカーサーに拒否され

結果としてGHQ案をもとにつくられたということです。

 

わずか7日、10日と書いている資料もありますが、

いずれ実に短期間というのが私が調べた結果です。

 

この時、日本はGHQの間接統治にありました。

GHQが直接統治していないということは、

実際表からは、普通に政府が政治を行っている

ように見えるということです。

 

ドイツは直接統治です。

 

事実この時、日本政府はあり、

当然内閣総理大臣もいました。

 

日本に主権が戻ったのは

1952(昭和26)年4月28日

 

サンフランシスコ平和条約が発行され

日本に主権が回復されました。

 

つまり、

日本国憲法は、日本国民に主権がないとき

つくられていたことになります。

 

これは主観ではなく、事実です

別にここに示すまでもない事実ですが、

これに何も感じないかどうかということです。

 

それがどうしたと反論が来そうです。

 

だいたい日本は、軍国主義で他国を侵略し、

しかも戦争に負けた。

 

普通、どうなってもしかたないのに

戦争放棄の平和主義

天皇主権ではなく国民主権

個人尊重の基本的人権…

 

これのどこが悪いのか、と。

 

そうです。誰も文句が言えないすばらしい内容です。

実際戦争で苦しかった国民には

大きなプレゼントだったとよく言われます。

 

そして、この平和憲法で戦後一度も戦争がなかった。

 

そのとおりです。それがGHQのねらいです。

誰も文句がいえないように、間接統治です。

 

SDGsの内容にだれがおかしいといえますか。

 

私が、多くの方に考えていただきたいのは、

もういちどいわせていただきますが

 

憲法は、国民国家にあっては、国民が決めるもの

それが自立した国家の第一歩だということ

 

憲法を守りたい方たちは、

「絶対」反対といういい方をされる方が多いと

感じます。

 

この世に絶対なんてあるでしょうか。↓

 

「絶対」というと

生物に死があるなどを除けば

神様を信仰するようなこととしか

私には考えられません。

「日本国憲法」は神なのでしょうか。

 

時代は大きく変化しています。

 

「不磨の大典」といわれた大日本帝国憲法は

修正しないことで大事なときに羅針盤を失い

つまり、政府と軍部の言動の違いが国際社会から非難され

国際的に孤立し、

大日本帝国が滅ぶ一つの原因となりました。

 

日本国憲法も「不磨の大典」といわれるようになりました。

目と心を開くと時代の大きな波が見えると思います。

 

どうするか、

日本の運命は私たち主権者が握っています。

 

せめて現実的に、まずどうするか、

から議論すべきです。

だって、日本は国民主権の民主国家ですから。

国民は皆同じ日本人です。

 

次は、憲法は「体質=Constitution」を表すという実例を

出してみます。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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