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前回

この国には、残念ながらビジョンというものが…

といいながら、

 

実は、ないわけではなかったといえます。

ないといった次の日

あるというのか、といい加減なようですが、

 

今日は次の二つ

全く異なっているようで酷似している戦前と現在

「不磨の大典」とは

ビジョンはないといいつつあったともいえます。

どういう意味か?

 

それは何かというと「憲法」です。

「憲法」こそその国の方針、根本を示しています。

「憲法」は英語でConstitution

渡部昇一氏は、英語で「体質」という意味もある

としています。

 

体質は、よいものであればいいのですが、

よくないものであれば、変える必要があります。

 

昔はスリムだったけど、メタボになったら

日本で生活していたけど、高山で仕事をするようになったら

 

そうなったら生きていくために

体質改善をしなければなりません。

 

  全く異なっているようで酷似している戦前と現在

 

戦前、あの対米英戦争に到った原因の一つに

大日本帝国憲法(明治憲法)に

不備があったことが指摘されます。

 

それは、政府と軍が天皇を助ける存在として

同等であったことです。

 

さらに、総理大臣は、特に規定はなく、

他の国務大臣と同等でした。

 

幕末から明治維新のサバイバルを生きた

カリスマ的伊藤博文が亡き後、

その欠陥が露呈します。

 

つまり、

日露戦争後日本が国際舞台の壇上に立ったとき

新興国アメリカが台頭してきます。

 

状況は

現在の日本が苦慮している東アジアの状態と

全く同じだったといっていいと思います。

 

現在の中国、ロシアが

日本にとってどういう存在かいうまでもありません。

 

それが歴史です。

 

ただ、戦前アメリカは中国市場をほしがり、

(これも少し前と同じ)

日本が中国を侵略しているとしか

みなかったことです。

つまり、日本は邪魔でした。

 

ここでは多くは述べられませんが、

日本では軍が政府の主張を上回り

それを抑える法律はありませんでした。

 

軍が根拠にしたのは憲法で

軍は天皇の下にあるが、政府の下にはない

ということです。

 

結果、国際社会から

日本は言っていること(政府)と

やっていること(軍)が違うと

信頼を大きく失い孤立していった

事実は否定できません。

 

  「不磨の大典=ふまのたいてん」とは

 

大日本帝国憲法は「不磨の大典」といわれました。

 

大日本帝国憲法は、主権者の天皇が

くださった国の根本だから簡単には変更できない

 

と憲法発布前に「勅語(ちょくご)」、つまり天皇のおことば

があったのです。

 

ただ、一度だけ

大日本帝国憲法を改正しようとしたことがあります。

1940(昭和15)年、対米英戦争に備え、

ドイツのように挙国一致体制を整えようとしました。

 

しかし、護憲派は大日本帝国憲法は

 

   「不磨の大典」であるから、

   憲法改正は憲法違反であり、

   それは国体に反することだ」

 

とし、憲法改正は阻止されたのです。

つまり、戦時中民主主義は機能しており、

そのために挙国一致とはならなかったのです。

 

戦前日本は、ドイツと同じファシズムだった

などということいえないことがわかります。

 

それどころか、国の存亡がかかっているとき、

民主主義が機能したために、体質は改善されませんでした。

 

あなたの命がかかってますよ、

体重減らしてください

 

といわれて

 

俺は俺らしく生きるんだ

誰にも文句はいわれない、

 

といっているようなものです。

 

ちなみに、日本国憲法も

「不磨の大典」といわれていることを

ご存じでしょうか。

 

「歴史はくりかえす」

ということは、

「歴史から何も学んでいない」

ということです。

 

それはぜひとも避けたいものです。

 

明日は「憲法記念日」

その「不磨の大典」ともいわれる?「日本国憲法」

の体質改善について

述べていきます。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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