お茶会の帰り道、京都の時代祭行列に偶然行き合わせて、その中で輿に揺られる
百済王明信に出会った小桜は考えた。
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小桜は物語を創った。
遷都の翌年の 延暦十四年 四月十一日の宴にて、桓武天皇は、古い歌を誦し、明信にこたえるよう求めた。
いにしえの 野中古道 あらためば 改まらんや 野中ふるみち
明信は、黙ったまま答えなかったので、天皇が代わりに、お詠みになった。
きみこそは 忘れたるらめ にぎ珠の たわやめ 我は 常の白玉
「あなたはもう、お忘れかもしれまへんけど、しっかり者のようでも、われは女。清き心は今でも変わりまへん」と、そんな風に言わせようとなさって、お酒をめされた桓武天皇は、明信を相手にお戯れになられたのであろうか。
明信が、桓武天皇から特別な寵愛を受けていたのは、宮中では、みなの知るところであった。
後宮には百済王氏から多くの女性が女官として入り、それを束ねる尚侍を務めた明信は、女官の中でも最高位となる役職を授けられた。
桓武天皇は十六人の后妃をお迎えになられ、皇子と皇女を合わせてなんと三十六人ほどのお子を、お儲けになったと言われているが、明信との間にお子があったという記録はない。
それでも、明信の存在は、他の誰よりも大きくて、もしかすると・・・
帝が一番、心から愛した人だったのかもしれない。
桓武天皇は七十歳でその生涯を閉じて、天の星になられた。そして十年ほどのちに、明信も星になった。
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その後、二人が夜空の天の川で再び語り合えたのかどうかは、誰にもわからない。
つづく
『きらら』は、史料に残る史実を縦糸に、夢とロマンを横糸にして織り上げた物語
です。
令和8年からは、史料との照合には、AIの力も借りています。
桓武天皇が古い歌を口ずさんで、明信に返歌を求めたけれど黙っていたので、桓武天皇が代わりに詠んだ、という逸話は『類従国史』巻75「曲宴」に収められています。もともと『日本後紀』にあった記事が『類従国史』に保存されたものと考えられているそうです。
こんな、宴席での何気ない場面をわざわざ記録した人は何を想ったのでしょうか。
おかげで、千二百年以上の時を超えて、得も言われぬ余韻を残していて、現代に生きる私の想像をかき立ててくれます。
お読みいただいて、ありがとうございました。