邪馬国  って、

今の中国語だと、カタカナにすれば、シエマァイ-グオ なんて風に読むのでしょうか?

 

魏志倭人伝には、訳が通じるのが30ヶ国ほど、と書かれていますが、倭人は通訳に、女王の住む国を尋ねられて何と答えたのでしょうか?

 

大陸では、日本のような平仮名も片仮名もなくて、漢字にルビが付けられないし、昔はピンインという発音記号もなかったので、読み方は、科挙のテスト勉強で、先生から聞いて覚えるしかなかったそうです。漢字が読める人は、家庭教師がいて毎日勉強だけしていられるような人だけで、意外にも、ほんの僅かしかいなかったそうです。


だから、古代の本当の読み方は、もうわからなくなっているのだとか。

なるほど~、ですね。日本の仮名は本当に便利です。

 

とは言え、たとえば、我が家にある漢字源を見てみると、

邪は、①よこしま 呉音ジャ 漢音シャ、

    ②イ-助詞 や、か ロ- 「琅邪」(ろうや) とは山東半島の地名、山東省の山の名

馬は、漢音バ、呉音メ、唐音マ、

壹は、呉音イチ、漢音イツ

 

と、書いてあります。

 

三国志を編纂した陳寿は、蜀の国の生まれで、西晋に仕えた人でしたので、よくわかりませんが、呉音では無かったと思っていいのでしょうか。

馬は、地名では、マと読んだとしたなら、

「やまいつ」えー?!

 

「国」の字は、通訳が、「くに」という倭人の言葉にその字を当てたでしょうか。

倭人の「くに」の概念は、大陸の「国」と必ずしも同じでは無かった、と言えるでしょうか? 大きさも全然違いますものね。

 

倭人は、「やまいつのくに」 と言ったでしょうか?!

 

やっぱり・・・うーん 「やまとのくに」 だったら、日本人の感覚にはしっくりきますよねぇ・・・。(それが、どこにあったかは別にして)

 

三国志は、最初は、草書で書かれていたと言う人がいますが、そうなのでしょうか?

草書なら、を写し間違えることも、もしかしたら、あったかもしれないですか?照れ

 


あ、でも、ある大学の公開講座で、詳しいことは忘れましたが、

「この「墓」は「基」の間違いだろうと言われています。」

とおっしゃったので、

「うん?! だったら、私の説も、まんざらではないかも?」

なんて思いましたよ爆笑



エクセルを使って、ちゃんと調べておられる方がいたので、お借りしました。



邪はないですね。邪は、元は「耶」だったのでは?と言う人もいます。



登は等に次いで多いです。

万葉仮名は、奈良時代に、亡命百済人のような漢字を使える人が、ヤマト言葉を聞いて、当て字をしたのでしょうね。
時代が違うから、あくまで、その頃は、登という字もよく、当てられた、という話ですが…。


ただ、「登は、良い意味の字なので、壹にしよう」としたのだとしたら、読み方の音が変わってしまいますが、陳寿は、誰も知らない遠い国のことなので、あまり国名にも、拘っていなくて、要するに大事なことは、

「東南の大海に、とても大きな国があって、その使者が朝貢に来た」

ということだったとしたら、どうでしょうか?うーん

 これは、早稲田大学の渡邉義浩先生の説を参考にして言っています。


一度、中国に行った時、一緒に食事をした中国人の女性に「邪馬登」と書いて見せて「これ、ヤマトと読める?」と聞いたことがあって、その人は「読める」と言いました。

 

以上は、ヤマタイコクが、実は、「やまとのくに」だったのではないか?という、仮説から入った話で、単なるおしゃべりです。

 


 

お読みいただいて、ありがとうございましたクローバー