1979年、藤井 治さん約30年ぶりに日本に一時帰国します。

   
この時、藤井治さんは日本には約三ヶ月ほど滞在しており、当時の様子を姉の藤井 千代子さんはこう語っています。

         

『竹にですね、ナイフで掘り込みをしているんです。

帰るべきか、帰らざるべきか、男としての一生としてどちらを選ぶべきか

竹に掘っておりました。
私、それ見た時、なんか治の心を見たようで涙で霞んでしまった。』

 

この藤井 治さんの悩みを断ち切ったのは、老齢ながらも気丈な母の藤井 千代乃さんの一言でした。

   

『せっかく中国の衡陽市60万の人達が
あなたの病院での活躍を望んでいるんだったら
中国に帰って自分の中国で学ばせていただいた
医学の事をお役に立てた方がいいだろう
だから今は中国に帰って中国のためにご恩返しをしなさい。』

 

そして、藤井 治さんは『僕は中国に骨を埋めるよ』と言って中国に帰ります。
自身の家族が待つ中国湖南省衡陽市に戻った藤井治さんは仕事で訪中した一人の日本人男性、畑中義雄さん(当時。大阪在住)と偶然、出会う事になります。

   

畑中義雄さんは戦時中、中国大陸を転戦した体験を持つことから晩年、藤井治さんの心の友となりました。

その畑中義雄さんは藤井治さんの戦争観をこう語ります。

   

畑中義雄さん:『一番末端の庶民がね、一番迷惑をこうむってるんやと、それをその庶民に対して、まぁ昔の中国政府も、日本の政府も救済の手を打ったかと。』
記者:『それがあって医者として尽くしたっていう部分にも繋がってることなんだと思うんですけど。』
畑中義雄さん:『うん、間違いないですね。一億二千万の代表として一人でやってくれたようなもんでしょう。』

       

藤井治さんの当時の日記にはこう記されています。

『この中国に俺の青春をささげた、今ではこの青春を取り返すことができない。』

 

   

畑中義雄さんは

『藤井さんの戦いは続いた、彼に戦後は無かったのだ。青春が無かったと彼がして言わしめるとするならば、誰がそうしたんだと。不遇な目を合わせたのは、一体誰なんだと僕は言いたい。』

と語る。

畑中義雄さんは二度目の訪中が藤井治さん生前最後の別れとなります。

別れの際、藤井治さんが畑中義雄さんに贈った寄せ書きに菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」と記されています。

   

藤井治さんが周健華さんと結婚する時、元日本兵とも明かせず、身元を証明する事もできなかったので出身不明でしたので、なかなか結婚を許可されませんでした。出身不明を解消するために中国国籍を取得し、呉健華という中国名を得ています。

身元を証明することができない中国残留孤児、中国残留婦人、中国残留邦人は中華人民共和国成立後に中国戸籍を取得しているケースがほとんどです。

 

畑中義雄さんは藤井治さんとの別れの時をこう語ります。


『別れるときのね、あの表情ね。今でもこうやって目を瞑ったら浮かびますよ。寂し気な表情。おい!一緒に帰ろう!っと叫びたくなりたい表情でしたよ。』

 

藤井治さんは死の前年、畑中義雄さんへの手紙の中で心情をこう吐露しています。

          

『故郷に帰ってから家族などの道場で暮らしていくことなど、この年の私にはとうていできないのです。まぁ、これも運命と言わねばなりません。
年を撮れば撮るほど故郷の土に憧れる。何十年も住んだこの土地にどうしても慣れることができない。
一生涯、やはり異国の者として暮らして、骨を埋めることでしょう。
あぁ運命宿命。
だが故郷に帰っても同じ。
故郷では私は異国者かも知れません。
恐らく異国者でしょう。』

 

1984年、藤井治さんの長男、呉也凡さんの息子の呉思国さんが生まれます。(就籍による手続きで日本国籍を取得した後の藤井 一良さんです)。

 

1991年(平成3年)12月25日、藤井 治さんは持病であった心臓病が悪化し、希望していた三度目の帰国を果たせず永眠。享年69歳。
1991年(平成3年)12月27日、中国湖南省衡陽市において医療貢献をした日本人として市葬されました。

                   

 

以上が藤井一良さんの祖父、藤井治さんの生涯です。

 

藤井治さんが亡くなってから約3年後の1994年に息子、呉也凡さんと孫の呉思国さんの就籍手続きによる日本国籍取得がなされる訳ですが、この出生を悪用して深田萌絵(Revatron株式会社 代表取締役社長 浅田麻衣子)氏は「ファーウェイのスパイ」「背乗り」「なりすまし」と約7年間も名誉棄損および人権侵害を自身の支持者と一緒に発信し続けています。

 

その理由等は後ほど記事で公開しますが、中国の戸籍を無断で公開するなど、とても一般常識では考えられない行為をしています。

 

名誉回復のためにも皆さんのお力が必要です。

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学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ①

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ②

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ③

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ④

 

日本国士の特設サイト「スパイと言われて。」

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