藤井治さんは終戦混乱の中、軍が残した医学書や薬剤を頼りに住民や仲間の治療を始めました。
終戦後、中国現地での藤井治さんの状況を聞いた姉の藤井千代子さんはこう語っています。

『ある時期は中国語が話せないために、身障者と申しますか、耳が聞こえない風をして手真似で意思を通じたともあるとかってチラっと申しておりました。』

 

『村に入りましたところ、子供さんが馬に蹴られたなんかで大変な重傷を負ってて、治療をいたしましたところ幸いそのお子さんが命を取り留められたので、しばらくそこで暮らすことができた。』

      

1949年(昭和24年)10月1日、中華人民共和国成立。

これをきっかけに藤井治さんは医師になるため本格的な勉強を湖南医科大学ではじめ三年間の研修の後、内科医となります。

            

1952年(昭和27年)、周健清さんと結婚して、二人の子供を授かります。
長男の呉也凡さん(昭和28年生まれ)、次男の呉亦凡さん。

呉也凡さんは後の藤井一良さんの父親です。

就籍手続きにより、日本国籍を取得した後の日本名は藤井健夫さんです。

当時の藤井治さんは元日本兵・日本人という身元を隠して生活していたので、出身不明者とされており、周健清さんが『なかなか結婚の許可が下りかなった』と藤井 治さんが亡くなられた後のインタビューで語っています。

            

1966年(昭和41年)、文化大革命が起こります。

文化大革命は、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた、毛沢東主導による革命運動。全称は無産階級文化大革命、略称は文革。 名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動。

この文化大革命が藤井治さんがやっと掴んだ幸せを壊すものとなります。

 

 学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ③に続く

 

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ①

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ②

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ③

学徒動員で中国大陸に出兵された元日本兵で中国残留邦人「藤井 治」の生涯 ④

 

日本国士の特設サイト「スパイと言われて。」

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