メモメモ。


姿勢という文字。


SHI: la forme  姿: 形

SEI: la force   勢: 力


La forme désigne la posture qui doit être aussi belle que possible.

Mais la posture za-zen n'est pas seulement forme, elle doit toujours être unie à l'élément SEI, c'est à dire à la puissance, à l'activité.....

(La pratique du Zenより抜粋)


勢いという文字。

IKI: respiration      息:呼吸  

OI : vie, élan vital.    おい: 生命力


座禅についての項目。

座禅の姿勢について、形だけがきれいだけでは意味を成しません。そこには、生命力溢れる力、気が入っていなければなりません。


勢いの勢って、生命の息ってことだったのぉう!?


姿勢という文字は、形と力が合わさってなるのらそうです。


まさしく、アーサナに通じるものであります。


外国語から日本語を学ぶのは非常に興味深いね。


はっとさせられるわ。


ってことで、今朝の座禅は非常に気持ちが良かった。


30分、ただ座る。アランの目覚ましで30分経った事に気づく。あっという間に30分は過ぎた。


昨日は、雨の降りそうな天気の中、湖沿いの公園のベンチで一人座ってしばし、ただ座る。目を閉じてただ座る。


落ち葉が落ちる音、湖の音、誰かが近づいてくる音、遠ざかっていく音。


そして目を開けたとき、もやでぼやけた視界からうっすらと、白鳥がやってきて、静かに通り過ぎた。


ベンチには、無かった落ち葉があった。


姿勢が整ったとき、静かに時は流れる。そこには、ただあるがままの今があるだけだ。


歩くならひたすら歩け。座るならひたすら座れ。何をするにしてもゆらぐことなかれ。― 雲門


空腹になったら食べ、疲れたら寝る。これが禅です。

しかし、日常の何気ない行動を全意識を注いで行うのはやさしいことではありません。 (瞑想の世界より抜粋)


本当にその通りであります。


修練は日常の中でこそ発揮されなければいけないのだが、まだまだ道のりは長い。


自分にとっての修練とは何か、教えとは何か。まだまだ模索中。


一歩、一歩。


今日も一日を生きるということをしよう。

BLONDIEパーティーというお知らせで、久方ぶりの友達からあらんにメールが届いた昨日。


え?BLONDIEパーティーって何?とあたし。


いやー、ありゃ、多分。ブロンドの事かねー。ほら、ウイッグとかつけてー。ピチピチした服着てー。とアラン。


。。。(どう考えてもあたいには当てはまらねーじゃねーか)。


んで、どんなもんかと、ネットで検索してみると。


ブッ。soirée blondieで検索したら、ブロンドのショートヘアの何だかセクシーってよりも女装しちゃったって感じの男っぱい感じの女性と、その周りを囲むボクサー一丁のいやーんラブラブ!な姿のイケメンたちの写真がえ゛!


うきゃー。いっきまーすじゅる・・


何て浮かれる私を尻目に、着ていくもののファッションチェックに余念が無いアラン。


とりあえず、ボディコン系やろー。ってピッチとしたワンピを着たら、まじめすぎると駄目だしをくらう(´□`。)


して、同じくピチっと系のカジュアルワンピにばさっとニットをかぶってやっとOK.


んで私と合わせて、白のシャツに中は赤のTシャツきて、白ズボンに、いたずら心で私のピンクのちいとファンクなベルトをのっけてみる。


おお、これこそBLONDIEパーティーじゃ。などと意味分からないがご満悦Gな彼。そのまま笑いをとる為にベルト着用で行くことに。


えええっ( ̄Д ̄;;


して久しぶりにあったロマン。


彼は数年前にパリジアンの彼女が出来てスイスとパリを往復しているとは聞いていたが、帰ってきてるのーなんて久しぶりの再開。


って、あれ?ロマン。何か歩き方変じゃない?


うん。おれ手術してさー。ヘルニアの。


あいたー。ん?(その蟹股の歩き方は。。)もしや鼠頚ヘルニアの方?


何だ、みゆきよく知ってんなー。そう、こっち。


おいおいおい。大丈夫かよ。まさか重いもの持ったのか?とアラン。


そう、ここの改造(家を一人で内装中)でね、やっちまった。


何て、手術したばっかりのロマン。いやー、まさか来てくれるとはーなんて。二階にあがれば。


あり?ねえ、皆、普通の服じゃん。何かかわいい女の子が二人いるし。


アランちん。ベルト。。。くっくっく:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


んで、彼の彼女マリンと初顔かわせかと思いきや、5年前のうちらの舞台がきっかけで知り合ったらしく、その頃に顔を合わせているそうな。縁って不思議やねー。


んで、早速ブロンディパーティーって何ー?と突っ込んでたら、うちら昨夜パリからこっち着いてね、それでレコード聴いてたら盛り上がっちゃって、それでアランにブロンディパーティーって真夜中にメッセージ送っちゃったのよー。なんていう二人。


ん?レコード?へえ、知らないかもー。と私。


そっちかよーふっ。とアラン。


くすっ。ブロンドパーティーと思ったあ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:?なんて彼女。


いやー、私なんてまあ、在り得ないなと思いながらも(ってか、ピチピチボディなモデル達ならまだしも、、見たくはないけどね。。)さらに妄想走っちゃったことは言うまい。。( ̄ー ̄;


んで、曲がかかればー。ああ、知ってるーと踊っちゃう私。


アランは、とりあえずベルトをお披露目するための、ポーズを取ってみるよっ


彼らの他にね、もう一組カップルとその子供達。アランとは皆学校の同級生。


ロマンの家は、面白く、あちこちに装飾が凝っている。前回お邪魔したときには無かったマスクとかも増えてる。

ほんで、何だか電話でもう一人のハッピーバースデイを祝い、ロマンも誕生日で祝い、食べ、飲んで、懐かしの80年代の曲で盛り上がる。


なんたって、彼の家はあたしの好きなレコードがいっぱいあるのら。もう、ノリノリなのらー(≧▽≦)。


彼の彼女と一緒にレコードあさりを始めて盛り上がる。


3年ほど寝かせた恐ろしいチーズ。(;°皿°)が登場したり、あれはひどく臭かった(笑)、皆してそんなのお前しか買わねえよと言われてたり、私は風向きで匂いはかがずにすんだけど、見た目からもうすごそうだ。そう言いながら、アランと私と可愛い子ちゃん達以外は、食べてるし。バターと一緒だといけるって。。。!(´Д`;)


鼠頚ヘルニアから、何か、しもねたで阿呆のように盛り上がったりクラッカー

彼女も免許もっていないらしく、でもさー、パリじゃ必要なくない?なんて話てたら、でもねー。この間退院したときに車運転できないのは可哀相だったのよ、もうさ、笑っちゃうくらいのポジションで運転してて。って、ごめん、想像するだに笑えるよ。そして、でもスイスで三回落ちたらPSYでしょー、て彼女。そうなのよー。だから無理。怖くて免許無理と私。フランスだったらいくら落ちても大丈夫みたいよー、え?そうなの?一緒に免許取る?(笑)なんて話たり、


皆それぞれの珍道中な話で盛り上がったり、特にロマンのコロンビアでのシリコンおっぱいに囲まれちゃっての珍道中は涙が出るほど受けた。思春期になると、親は子供に豊胸と豊尻の手術をさせるのだそうだ。ひょーえー。でも、寝ている時も胸は不自然な位置に固定されてたり、何故か水着がニットだったりで、怖い思いをしてきたらしい。無事に何とか帰還できたと言っていた彼。まあね、手でも間違えて出した日には、大変ですわな。


それから、パリの共通の親友達が、別れていたり。。。これはかなーりショックなニュースだよ。お似合いだったのに。しかも、片割れは昔の私の恋敵(美男子だけど)?だったから、余計なんかえー?二人すんごい似合っていたし、良い関係だったのに、今は別々だなんてー。しかも最近フェイスブックに入って二人の写真も久しぶりに見た思いきや、そんなことになっていたなんて。。マリンも彼らのことを知っているらしく、片割れとおととい会ったんだよー。二人とも別々の道を進んでるけど、元気そうよと教えてくれた。


うーん。うちらの周りの友達のカップル、全員離婚したり、別れたり、別居したり。。。残っているのって、うちらだけ。。月日が流れるのを感じるわ。


あー。俺らは、結婚したんだぜ(-^□^-) っていう彼ら。いやー、超嬉しいニュースだ。


それから、彼の車はノルマンディーで猪にぶつかって、車がごっとんがったんとして動かなくなったと言う話や。これまた、車の保険やらその後の話が阿呆なくらい受けたり。いや、笑っちゃいけないけどね、皆いろいろよね。


どっかの国で(何処って言ってたっけ?)フランス人は1、2ヶ月お風呂に入らない。だから香水をつけているんだって信じている人々に、どう答えるべきか悩んで、まじめに、それは、まずフランスは水が高いんだよ。。それでな。。などと恐ろしき回答をして来た事とか、


彼のその破天荒ぷりな日常は本当に面白い。この人の話を聞いていると、ってか、私の好きな人達は皆、とんでもない境遇を面白おかしく生きているんだなー。


ほんで、数年ぶりに会ったというのに、のん兵衛も変わらず、気がつくと、同じのん兵衛に酒がどんどんつがれ、気がつきゃ、テキーラ系のお酒も注がれ、アルザスの白ワインが最高潮にうまく、一本抱え飲み、


酔っ払い集団は、踊り始め、誰よりも大人だった二人の子供達は、その間、ソファでIPODをやっていたり、んで、気がついたら、ええっ、3時過ぎてるわー。そろそろお開きだね。


アラン運転大丈夫?


って、彼の分のグラスも飲んでいた私。


テキーラ渡されてそのまま私によこした彼。


そう、私のほうがやばかった。


じゃーねー。とバイバイした後、


車に乗り込んで出発した後、


あれー。ねえ、何かねー、気持ち悪いよーヾ(@^(∞)^@)ノ


げっ。おい、吐くなよ。お前。( ̄□ ̄;)!!


うーん、吐いたことないけど、吐くかもー(≧▽≦)


あーあーあー( ̄Д ̄;; よっし。歌え(-"-;A 歌うんだー、みゆきー。


(@ ̄ρ ̄@)zzzz うん。歌いまーす(@ ̄ρ ̄@)zzzz


何を歌ったかさっぱり覚えちゃいないが、無事ご帰宅しました。


翌朝、頭が重たかとです。して、何か気持ち悪かとです。


あちゃー。10代ならまだしも、飲みすぎちゃったがなー。


にしても、久しぶりに会った気のおける友達、数年ぶりでそりゃいろいろ変わるけどさ、でもいつまでも変わらないものもあるよね。


俺さー。この間の寿司パーティーの後、寿司用の米を早速買ったんだよ、作る気満々で。

でもさまだそのまんまなんだけど、食えるかなー?なんて。


寿司パーティー、いつの話じゃい。もう早、あれから3、4年経ってる?げえー、そんなに経っちゃってるんだなー。


またやるか、今度はもう、めいっぱい人集めて。ドンちゃん騒ぎ。


いつまでも、皆が一緒に居るわけじゃないんだもんなー。


そうそう。こんなに素敵な仲間達がいるのに、一年に一回とかへたすりゃ数年に一回とかしか会ってないし。気がついたら、一生会えなくなっちゃうかもだもんねー。


楽しいときを、好きな人達と過ごすのって、何よりも幸せだわ。


歳を取っていく毎にさあ、本気でバカになれちゃうわ。まじで。本気でバカなことをしちゃうわ。何て彼の台詞。


そうだね、本気でさあ、楽しいことをしようとしたくなって来るねー。体裁とかそんなの関係なしに。何か、メンバー皆集めたら、フェスティバルでも出来そうだな。何かもう、世界中から大好きな友達たちを呼んで大騒ぎしたいねえにこ

奥の深い日本語である。

禅語にもこう記されているそうだ。


「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち

富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、安楽なりとなす。

不知足の者は富むといえども、しかも貧し。不知足の者は常に五欲のために牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。是を知足と名づく」


ヨガスートラの8つの部門の一つ、自分自身についての戒律という部門がある。これをニヤマと呼ぶ。想い行いを明瞭にし、見るもの出会うものに対し心の平穏をたもち、他やそれ以上を欲することなく、真に律し、己をしることを学び、今この瞬間を生きることが、ヨガが提示する人生の戒律である。


この中にこの知足の項目(他やそれ以上を欲することなく)がある。


そしてその結果として、次にパタンジャリさんはこう述べている。


知足を得るものは最上の幸福を得る (YS II-24)


サンスクリット語ではSAMTOSHA、フランス語だと満足SATISFACTION, CONTENTMENTとある。ただ、ここでの意味はただその瞬間を満足すれば良いという物ではない。どんな状況下であれ、心に平安を保ち、今の状況を受け入れることなのではと思う。


そして、この知足という言葉。そのままの意である。すんごいなあー、このサンスクリット語とこの日本語の意味。


実際、言うは易し行うは難しなのだ。


物質主義な世の中、常に人と比べられたり、新しいものが開発されたり、より良いもの価値のあるものと求め続け、それらが手に入った時、そこにはひと時の満足しか与えられない。あくなき欲求は、新しいものが出た途端、また生まれていく。。


どんなに高価なものをもっていようが、お前自身が不満足をもっていたら、その価値はどんなものでさえ、無いに等しい。


五体満足で産まれてきても、お金持ちであっても、不満足でいたならば、幸せとはほど遠い。


だいたいが、自分が恵まれているということを忘れて、他者と比較して、自分もああなりたい、こうなりたいと想い、へたをすれば自分の努力は差し置いて、他者を妬み、弊害する。。


病気になって初めて、痛み、苦しみといった苦悩に直面した時、初めて自分の身体と向き合ったりする。歩けることがどんなにすごいことなのか、話せたり聞けることがどんなに恵まれているのか、普通にご飯が食べれることがどんなに幸せなことなのか。


苦しみ、痛み、絶望そういった現実の前に、どう、その瞬間、状態、自分、他者との関係などをただあるがままに受け入れられるのか?どうそれでも満足して一日を終えられるのか?


苦しみというのは、自分で生じるものだけでない、そこには他者からもたらせられるもの、そして災害といった突然襲ってくる自然の驚異と大きく三つある。


でも一番の苦しみは、おそらく永遠なんてないのに、永遠があると想いこんでしまっていることだ。明日が来るとは限らないのに、いつまでも当たり前のように同じように朝が来ると思っている、誰かが行って来ますと言ったら、必ずただいまと帰ってくると思っている。自分の手や足は自分の物なのだから、当たり前のように動いて当然だと思っている。


だから、どうしようもない事実が目の前に起こったとき、それをただあるがまま受け入れるのは難しい。


当たり前だと思っていた現実が、そこには無くて身包みはがされた状態になった時。


それでも、今、いのちがあるということ、今、生きているということ、


これ以上に素晴しいことがないと気づくこと。


例え、怒りや恐れ、苦しみやイライラが襲ったとしても、心を鎮めてみたら、それよりももっと大きな愛に支えられているんだと思えたら、自分自身に気づくのだろう。


この一瞬は永遠に戻らないから。だから今日一日を大切に過ごそうと思うのだろう。


でも、じゃあ、どうやって心を鎮めるのか?


そして満足していないって事はどういう状態なのか?


どうしてこんなにも、不満足なことが多いのだろうか?


要はここにある。


それを考えるのが哲学ってことなんだろうけど。


知足。意味を頭で理解するのは簡単だ。でも本当に理解するのが難しい。


窮地に陥った時、むき出しになったたくさんの感情が現われる。どうしようもなく、不平不満や愚痴が出てきて、それが周知をも巻き込む。


これって、誰にでも起こることだろう。そしてこうなってしまったときに、その状態を自分で気づくのは本当に難しい。エゴの塊になってしまって、あげく悲劇のヒロインで、なんで私が俺がってなって、他を攻め続けることが多いから。こうなったのは、何々のせいだと、責任のなすり合いなり、さらにそこから抜け出せない迷路にはまり込む。実際、あちこちで日常茶飯事にこの光景を目にする。そして気が付くと、自分自身も不満を口にしている。


もっともっとと欲する感情は、一見向上心があってポジティブに見えるけど、実際は現状の自分に満足していない状態なのかも知れない。自分を信頼していないと、今現在の自分の状況やら能力を信頼出来ず、まだ足りないと思っている。


自分の状況やら、能力を信頼し始めたら、これで良いんだと満足出来る。


どんなにひどい状況でも、自分を信じて出来ることを始めれば、一日を満足して終えられるのかもしれない。


まだまだとか、もっともっととかじゃなくて、これで良いのだ。


バカボンの台詞は、まさに知足の集大成かしら。


さてはて、今このお題で論文真っ最中な私は、フランス語もさることながら、ひたすらこの言葉と向かいあっている、瞬間瞬間であー、そうだよなあって納得することは簡単だけど、これをずっと保つ境地にどうやったらいられるのか。満足ってどうしたらずーっと得られて生きていけるのか?

何度となく、この格言について文章を書いているのだが、何度となくどんだけ難しいのだと気づかされる。でも、最悪な状況になった時、いつも助けてくれたのが、この格言なのだ。今の自分、周りにいてくれる人達、環境、それらすべてが自分を作っているし、すべてが自分にとって必要なこと。どんなひどい状況であれ、それは自分に与えてくれた試練だったり、気づきだったりするんだ。だから最悪じゃない。どんなに道に迷った時でさえ、周りには支えてくれている人達が必ずいる。それが財産。どんなに幸せなことか。

でも困った事に、普通の何気ない日常というのは、それをすっかり忘れさせてくれちゃったりする。つまんないだの、平凡だのと、そういった隙間が出来てくる。まったくねえ。ジェットコースターのような日常から開放された途端に、物足りなさが出てきたりするんだから。それこそ、そこに気づかない大きな幸せがあるっちゅうに。

些細なことで機嫌が悪くなったり、喧嘩したりして、あとであーしまった、そういう感情は持ち越すとろくな事がないと後悔したり。どんなことがあっても、不満や愚痴を言ったまま別れちゃだめよ、っていうマミーの言葉が頭にほわわんと浮かんだり。そういうのはね、生きているうちだから言えることだから、無事に帰って来いなんてつい思っちゃう。そうなるとさ、もうそんな些細なことはどうでも良くなってたりするんだよね。

はてはて。頭に浮かんだ言葉たちをいろいろ出したはいいものの、整理整頓することが苦手な自分。

アランとの白熱トークで実際の過去の経験だとかを振り返ったり、理論を繰り広げたり、、だけどこれ、自分なりの答えをちゃんと見つけて、不平不満を漏らさずに実践できるのだろうか。本当にねえ、人間ってあくなき欲求、執着心で満たされている。それを制御するってのは難しいよね。

それを学んでいくのがヨガであり、究極のコントロール法なのだが、実践すること、己をしること、そしてそれらに縛り付けられないこと。

この己をしること。たくさんの人に言われた、お前の哲学を持てという言葉。これはこういうことかと最近やけに実感する。

今まで学んできた事を自分の言葉に置き換えていく。

頭がこんがらがって、どうこれからちゃんとした文面にまとめるのかまたしても見えないけど、とりあえず今はこれで良いのだо(ж>▽<)y ☆