画室の流し周り、陶器類、琺瑯類が増えました。
生徒さんに貸し出す事がありますが、これだけあれば十二分。

先日、ようやくスッキリ。




ぴょん吉くん、何故かこの場所に居ついて1ヶ月位になるでしょうか。

画室の看板のある壁の下、折りたたみ自転車の裏。

カラカラに乾くのではと、暑い日は軽く水をかけるのですが、すると移動し、気がつくとまたこの辺に。

環境良さそうにも見えないのですが、痩せてないところを見ると餌になる虫はいるのでしょうか。



久しぶりに、昼間の散歩。


北方の高台の休耕畑には、縄文土器の破片と貝の化石が今でも大量に露出しています。縄文がよく分かる5センチ近い破片も沢山。


この辺りは、縄文時代はまだ周囲が海で、高台だけが陸地だったので、貝塚や土器は出て来るし、当時の竪穴式住居跡なども発掘すれば出ます。



可憐な秋明菊にも遭遇。



ムラサキシキブも、絵にも描けない紫色に。



明日、龍ヶ崎で自衛隊機の小規模な航空ショーがあるからか、どう見ても民間機ではない大型のプロペラ機がちょっと見ない接近感で飛んで行きました。



4キロほど歩き、じんわりと良い汗をかきました。

樹ばかり描いていますと、樹しか描かないと思う方もおられるようです。

院展でも樹をテーマにする前は、古建築や仏像も描いていましたし、グループ展では水辺の風景や花の絵もそれなりに描いています。

残念ながら、小品の作品画像が殆ど残っていなくて、花の作品の画像、古いものですが何点かアップしてみます。



↑上の2点は、27歳の頃に描いたもの。アザレアに牡丹。


これは、近所の親水公園の古代蓮。40歳くらい。


これも40歳くらい、糸菊です。50号。

雨が降り始めました。止んだら散歩しようかな。

夏の疲れが出る頃なのか、暫く身体が怠い日が続いています。何年か振りに、口内炎と舌炎が同時に出来てしまい、痛いです。

庭の秋明菊が、心を癒してくれます。




アメブロの皆様、年内で廃止になるyahoo!ブログを追われてしまうような形ですが、
こちらに先日引越して来ました。
 
茨城在住の、しがない絵描きです。
ここ20年は、拙い日本画で巨樹を描いています。
よろしくお願い申し上げます。
 
一般社団法人日本美術工藝協会の公式サイトにて
私の半生を、ご紹介いただいています。
 
岡山県奈義町立現代美美術館制作のインタビュー動画です
 
拙作はこの辺からも見られます。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敬老の日の前日、今年喜寿の母に、自治会から花が届きました。

嬉しい心遣いですね。


今日は、水戸の旧県民文化センター別館で茨城美術会主催の日本画講座の講師をしてきました。
 
日本画の為の「写生」が今日の講座の内容。
 
つまり、特別な内容ではありません。と言いますか、私は特別な事など教えられません。

ただ、今の時代、逃げたくなる内容なのかもしれませんが、5人の勇者がご参加下さいました。
 
4時間と言う短い時間でしたが、緊張感を持って改めて写生を体験されました、私は技術論よりまずスピリッツを重んじますので、つまらなかったかもしれませんが、何か感じて下さっていたら嬉しいですね。
 

次回来月の4時間でSM(サムホール)から6号程度の小さい日本画を制作します。間に1カ月あるので家で作業を進めてもらえるのを期待しますが、完成まで行かない人が殆どでしょうね。

 

講習で写生の指導など時代遅れ、デジカメやタブレットがあれば写生などはもう不要なのでは?今更写生を大切にしようなんて話は引かれるだけでは?と言うご意見も他の作家方々からありました。

 

でも、私は今でも写生は五感を研ぎ澄ませての題材との対話であり、些細な事でも自分の目で発見し、自分の手でそれを紙に捉え、心に焼き付ける事は意味があると信じております。

 
 
正直、60インチに近いハイビジョンテレビが我家に来た時に、驚くほど鮮明な画面を見て、あれ?写生に行かなくてもテレビを見て写生できる時代になったのかな?と、ほんの一瞬思ってしまった事がありました。

カメラは単眼だから人間の双眼とは見えてる物が違うんだと納得していましたが、今のスマホはレンズが2つ、3つとあるんですね。4Kなんてものも出て来て、臨場感的には人間の見ているものに近づいて来ているのかもしれない。
 
それでも、あくまでバーチャルの域であり、人間が五感で感じるものとはやはり違うと思います。

生きた線は大切ですよね。風景の場合などは、現場だからこそ見えてくる線はあると思います。

まだ写真機が普及していない戦前、写真を写生の補足的に使うのは日本画の大家の一部では既にされていたようで、逆に一介の絵描きは経済的に写真機を持てなかったから、写生を使うと言う発送がまだ出てこなかったのかもしれません。

私が院展に出し始めた30年前、会場を同門の先輩と周りながら露骨に写真由来の作品を見つけると、先輩とこう言う仕事をどう思うから意見を交わす事がありました。私と同門の作家は師に写生の大切さを常々問われていましたから、皆、ある程度の時間はかけて写生をしている人ばかりでした。

ある時、海外旅行でのスナップ写真起こしの作品である事が明白な作品がありました。如何なものかと立ち止まって少し先輩と話をしましたが、80代半ばを超える高齢の作家で、もう、体力的には長い時間写生をするのは厳しいはずで、長年の写生の経験もあるから、写真を基にしても単なる写生の引き写しにはならず、この作家の持ち味は出ているから、許されるんじゃないか。と言う事で首を少し重ねながらも、見流しているような感じでした。

今は、そう言う話すら出ない状況
ですね。

デジタル画像とパソコンを駆使すれば、今様の作品の骨格や色彩は出来てしまうそうで、そう言う絵作りのhow-to本はもう20年近く前から既に出ていたようです。先日古本屋で偶然に手に取りましたが、「日本画にも」と帯にあり、「誰でもプロ並みの絵が描けます」とのキャッチコピーがついてました。

中をパラパラとめくると、当時のパソコンの描画ソフトには、デジカメ画像から輪郭を抽出する機能が既にあったそうです。

後は、想像つきます。

高山辰雄先生は、ある雑誌のインタビューで、日本画と洋画の違いを問われてこう答えておられます。 

「西洋画が内なる天才を求めるのに対し、日本画は発見から学ぶ求道者である・・・」
私がイメージする日本画の神髄は高山先生の言葉に集約されていると思います。
 

講師、巨樹の現場写生部分あれこれ。まだまだですね。でも、現場写生は楽しいですよ。観察さえすれば、誰にでも出来る事です。

 

 

玄関前に、時計草咲く。

 
時間はあっと言う間に過ぎ行く。
ボーっとしていても過ぎていく。
 


 

父が購入したお気に入りの傘立てが、先日の台風で倒壊。

 


一時は廃棄するつもりでしたが、どこまで直るか、直してみることに。
 
接着して、欠けや隙間はパテ埋めします。
 
パテ埋めした部分には、金でも塗りましょうかね。