ルノアールをご存知であろうか?


画家とか、作家とか、音楽家にいるかもしれないが、僕が言っているのは、銀座ルノアールである。


そう喫茶室である。

今や、コンビニのコーヒーが、100円で美味しく頂ける時代に、なんと、600円以上するコーヒー提供するお店だ。


僕らが10代20代のころに、洋服なんかを買いに街にでて、ちょっと一息つきたいときに、喫煙ができて座れて、コーヒーが飲めるスペースとしては、ドトールコーヒーで、充分であった。


その頃は、僕らの喫煙率は異常に高かったし、更に、タバコをこよなく愛していた僕らは、灰皿が吸い殻で、山盛りになり、一回灰皿を変えてもなお、一杯のコーヒーで、ああでもないこうでもないとお話できる空間であった。


その時、感じたのが、はたして、ルノアールは何のためにあるのだろうか?ということであった。


当然、ルノアールの存在が理解できない僕らは、ホテルのラウンジなどで、11500円とか1800円もするようなコーヒーが存在しているなどとは夢にも思ってはいないのだ。


そして、僕らが30代半ばになり、それなりのポジションに着くと、お客様との打ち合わせに、ドトールでは少々品がないと感じ始めるのである。


諸先輩方を見習い、溜池山王のANAホテル、帝国ホテル、パレスホテルや横浜のシェラトンなんかのラウンジで待ち合わせをして、1500円とかのブレンドコーヒーなどを飲むようになるのである


すると、面白いことに、ルノアールの存在意義がわかってくるのだ。


落ち着くのだ。

ホテルのラウンジでは、少しだけ敷居が高く感じてしまい、落ち着かないが、ルノアールは、とても居心地がよいのだ。


適度に周囲との距離感があり、隣の会話もそれほど気にならずにいられる空間


仮に、携帯電話が鳴ったとしても少し小声であれば、席を立たずに、会話ができる安心のプライベートスペースが確保できるのである。


待ち合わせより早めについたのであれば、アポイントの時間まで、読書するもよし、ノートパソコンを持ち込み資料を作るも良しである。


なんとも大人な空間を、コーヒー600円程度で手に入れることができるのである。


さて、3000円のパンケーキを食べると、庶民感覚とはかけ離れているとのコメントが話題になった。


とあるコメンテーターの意見では、子供のおやつで、腹を膨らますためのものだ。3000円は世ズレしているとのこと。


パンケーキは、子供のおやつとだけするならば、職人は世の中にいらない。


職人が、手間暇かけて作ったもんに、3000円出してるんだから、子供の腹を膨らませるものと同様扱いされたら、ケーキ職人さんが可愛いそうだ。

それに、それなりのサービスの元で、食べているのだから、サービスを提供してくれていり店の方たちにも失礼だ。


そして、その時間を1日の中の至福の時として楽しんでいるのだから、それは大目にみるべきではなかろうか。


槍玉にあがっているくだんの人は、何かあった時には、この国のトップより先に、マスコミに報告する必要があるから、ベロベロであってはいけないのだろうと思う。

だから、酒をガバガバも飲めないだろう

神経もすり減るだろうに


少し一人になり、孤独のグルメを楽しむのに、3000円が高いのだろうか


僕は大人になって、ルノアールは決して高いとは思わなくなった。


仮に、僕が、日本という国の舵取りをしていく立場に、皆さんから選ばれたとしたら、ルノアールでいいだろうか


やっぱり、パレスホテルか、帝国ホテルで一息つくのではないだろうか

そうじゃないと、まわりが気になって仕方がないと思うのだが

それを含めて、職人がケーキを作り、サービスマンがサービスをしてくれる。

それを含めて、3000円が高価だろうか


いつからか、日本の政治家は、清貧の思想こそが美徳のようになったと思う。

確かに、それはそれで素晴らしいことであると思う。


でも、少しだけ気を抜きたい時に、お金をかけることを許さないのであれば、僕らはずいぶんと国民として小さいと思うのだが


そして、気を抜く瞬間にすら問題提議し、職人やサービスマンの仕事に対する対価までも否定するような集団には、少なくとも僕は国の一大事を任せて良いのだろうかと思ってしまうのだ。


あとは、そんなことに、コメンテーターなどが、いちいちどうでもいいようなコメントをしている。

そんなことをも、許さないストイックなコメンテーターの生き様は、僕の生き様とは違い、きっと真っ直ぐな生き方なんであろう