9/18に祖父が亡くなりました。
94歳だったので、大往生です。
僕は祖父が大好きで、この武部泰莞という易号も祖父の名前から取って付けました。
悲しさはありますが、でも、すごく楽に旅立てたみたいで、良かったなという気持ちもあります。
苦しんで死ぬ人が沢山いるのに、眠るように亡くなったということで、顔もほんと、寝てるみたいで。
長生きしたご褒美ですかね?
葬式で使った写真も82歳のときのやつだったらしくて。
82歳って!
もう1人の祖父は80歳まで生きれなかったので、その歳の写真なんてありませんからねぇ。
男性の平均寿命からすると、たいていの人がそうか。
つくづく、長生きしてくれたんだなぁと実感します。
祖父は学者みたいな人でした。
というか、戦争がなければ学者の道を志していたそうです。
祖父の父、つまり僕の曽祖父は哲学者で、祖父もその血を受け継いで数学者になりたかったそうです。
亡くなるその日まで、ナンクロっていうんですか、新聞とかによく載ってる数字パズルを解いていたみたいです。
あんなもんよう解かんwwwww
ホント、死ぬそのときまで頭も冴え渡っていて、一切ボケもせず、すごい頭してたんだなぁと。
老衰で、最期は入院はしていたんですが。
最後にもう一度家に連れて帰ってあげられたら良かったんですが、あんなに安らかな顔してたので、ま、それはオマケ程度だったかな、と思います。
話あっちこっちにいきますが、戦争に行った世代ですが、戦地で死ぬかもしれないのに家族は作れないということで、結婚したのは遅かったみたいです。
うちの母がまだ60歳になっていないので。
台湾で大砲を撃ったせいで、耳も若い頃からかなり聞こえにくかったみたいで、よく何度も聞き返してました。
弟がいたらしいんですが、21歳で特攻隊として国を守り、亡くなっています。
僕が祖父にしてあげられた孝行は、武部泰莞という易号にしたことと、靖国神社で弟さんに参ってきたことぐらいかなぁ?
易号は、シャイな祖父が照れくさそうに、それでいて嬉しそうに喜んでくれましたし、靖国神社へ行って参ってきたというのは、僕にお礼をいってくれてましたから。
孫が言うのも何ですが、祖父みたいな人格者はそうそういないですね、断言できます。
母方のお墓は行ったことなかったんですが、お参りちゃんとしていこうと思います。