蚊母鳥園 -3ページ目

くだんのはは

石ノ森 章太郎
歯車―石ノ森章太郎プレミアムコレクション

『日本沈没』の原作者でもある小松左京には、「くだんのはは」という怪談中の怪談小説がある。

終戦間際、空襲で家を焼かれた少年は、お手伝いの伝を頼りに或る屋敷で暮らすこととなる。屋敷には婦人が一人とお手伝いのおばさん、それに病気の娘がいる。

そこでの暮らしは、混乱していた下界の生活とは大きくかけ離れたものだった。戦時中にも関わらず申し分のない生活を送っていた少年は、やがて屋敷の住人に不信感を募らせてゆく。何故か空襲に焼かれない屋敷やあたかもそれを知っているかのようなそぶりを見せる婦人、そして娘の部屋を行き来するお手伝いさんが運ぶ、膿だらけの包帯に得たいの知れない食べ物・・・婦人は実は、敵国のスパイなのではないだろうか。娘は重大な伝染病を患っているのではないだろうか?いや、そうではなかった。むしろその方がよかったのかも知れなかった。

やがて少年は、ふとしたきっかけで何もかもを知ってしまう。病気の娘の居る部屋で少年が見たものとは・・・


この小説の存在を知った時、どうしても『くだんのはは』を読みたくて本屋を探し回った。そしてハルキ文庫で出ていた短編集に本作があることを知ったので読んでみた。「クダン」が何を指すのか知っている人ならば、あのラストに思わずにやりと来ることだろう。恐怖が紙面を越えてこちらへと伝染してくるような、ぞっとする話だった。『新耳袋』の一巻には、この作品と良く似た怪異が収められているので、実話怪談が好きな人は必見である。

木原 浩勝, 中山 市朗
新耳袋〈第1夜〉現代百物語

以前は本作を読むのに苦労したが、近頃は私がバイブルと崇めて止まない『日本怪奇小説傑作集(3)』にも収められたので、そちらを読んでいただければ良いと思う。

紀田 順一郎, 東 雅夫
日本怪奇小説傑作集 3


また、他の小松作品と一緒に読みたければ、角川ホラー文庫の『霧が晴れた時』という作品集をお薦めする。『まめつま』や『召集令状』は『くだんのはは』以上に怖いから。

小松 左京
霧が晴れた時


この『くだんのはは』だが、実は漫画化されている。しかも無名の人ではなく、あの石ノ森章太郎によって。

思えば『仮面ライダー』も、少少ホラーテイストの入った作品だった。こっちは短編だが、石ノ森の例のタッチにも関わらず、原作の怖さが十分伝わってくる内容となっている。石ノ森章太郎のタッチは手塚治虫のそれに良く似ている(と思う)のだが、手塚のようなお不戯け・遊びの類がない分、ホラーを書かせたらかな~り怖くなるのである。流石は石ノ森章太郎、と言う他ない。本作は原作にほぼ忠実に漫画化されており、読んでいてあのぞっとする感が蘇ってくる思いだった。ラストの「あれ」は然程リアルでなくそれ自体は怖くないが、内田百閒の『件』のような滑稽さがあって好きである。

漫画『くだんのはは』は『歯車』という短編集に収録されている。はじめは『くだんのはは』だけ読みたくて本書を買ったのだが、それ以上に思わぬ収穫があった。『石森章太郎読切劇場』が収録されていたのである。

これは石森章太郎(まだ「ノ」が入る前の作なので、ここでもそれに倣う)の実験短篇集とでも言うべきシリーズで、今回雑誌連載されたものを本書で一挙にまとめたらしい。『くだんのはは』目当てだった私は当然期待せずに読んだのだが、この体験が今までの石森章太郎のイメージを大きく崩すこととなった。

本シリーズには正統なホラーから非ホラー、或いはSFホラーのような作品まで、色の異なる短篇がいくつも収録されている。毎回毎回意図的に絵柄が変えられていて、明らかに実験作という感じがする。

中でもとりわけ実験色の濃い作品が、『JAM SAUSAGE』という作品。つげ義春の『ねじ式』のような、イメージが脈絡もなく駆け回るシュールな作品である。石森章太郎というと、起承転結のしっかりした作品を描く人だと思っていたので、この作品の存在はかなり衝撃的だった。それにしても「ジャムソーセージ」とは・・・一文字変えたら(点をとったら)ちょっと危ないタイトルである。内容は説明のしようがないので、出来ることなら直接本を手にとって読んでみて欲しい。

あと『鋏』というタイトルの、現代のストーカーを思わせる作品も注目に値する。私小説っぽく静かに時が進んでゆくだけに、ラストでは不意をつかれたようにドキッとさせられた。

巻末に載っている作品は、もはや漫画と呼べるかどうか危うい領域まで達している。それにしても、同じ人間の絵をコピー機も使わずに一つ一つ丁寧に描いていったというのは凄い。


「009」や「キカイダー」とは異なるもう一つの章太郎世界。パラレルワールドに陥ったかのような、足元がふらふらする感覚を味わうことの出来る作品集である。





赤んぼう少女

楳図 かずお
赤んぼう少女―楳図かずお作品集

初期の怪奇漫画に於いては、水木しげるや古賀新一とともに楳図かずおの名前も忘れてはならない。

言わずと知れたホラーの大御所であり、年を取らない謎の超能力少女が登場する『おろち』や、一部の年代の人にはトラウマを与えたへび女の『まだらの少女』、生徒が学校ごと荒廃した未来の世界へ送られる『漂流教室』など、数多くのホラーの名作を生み出す一方で、ギャグ漫画の『まことちゃん』を書いたり、奇抜な格好でバラエティにも出演されるなど、一つの枠組みに囚われず活躍する人である。怪奇な話ばかり描いているせいか、蝋燭の火の下で漫画を描いているとか、自作の登場人物が訪ねてきたとかいった奇妙な伝説も付き纏うが、これらはみな都市伝説に過ぎない。

今まで作・楳図かずおを意識して漫画を読んできたことはなかったが、それでも好きな作品はいくつかある。少年の作った不気味な人形が動き出す話を読んだ時は、楳図の高度なストーリー構成力に圧倒された。ただ怖いだけではなく、怪物側から漂う無言の哀しみも描かれた作品であった。


この『赤んぼう少女』もまた、醜悪な容姿で世に生まれ出た為に、周囲から怪物扱いされた少女の不幸を描いている。

赤んぼう少女のたまみちゃんは、いつまで経っても成長せず、赤ん坊のままの姿をしている娘である。にも関わらず手には鬼のように鋭い爪が生えていて醜く、顔も初めて見た人をぞっとさせるようなものを有している。最初その独特な髪型を見たとき、瞬時にバンド「たま」の知久寿焼さんを思い浮かべた。

その容姿ゆえに、タマミは父親によって施設へと送られてしまうのだが、母親によって連れ戻される。唯一の理解者はこの少し頭のおかしくなった母親だけであり、父親にみつからぬよう屋敷の奥で密かに育てられていた。

ところが、そんな屋敷へ生き別れになっていた妹の葉子がやってくる。容姿が美しく、父親に可愛がられ、おまけにボーイフレンドまでいる葉子。そんな妹に嫉妬したタマミは、次々と葉子の周囲を脅かすようになる・・・


葉子を怖がらせようとしてたまみが仕掛ける悪戯の数々がバリエーション豊かであり、見ていて非常に面白い。或る時は百足をベッドの上にばらまいたり、また或る時はぬいぐるみや地蔵にコスプレして、たまみは葉子の行く先行く先で怪異を引き起こしてゆく。次は一体いつくるかいつくるかと思い、怖いものが待ち構えていると分かっているのにページを捲ってしまう。蛇女でも感じたが、楳図漫画の面白さは、このめりはりある怪異の演出にあると思う。

しかしながら素直に怖がってばかりもいられないのは、悪魔のように振舞うタマミが、その反面葉子以上にか弱い乙女らしき心も併せ持っている為である。リボンをつけ、口紅を塗った自分の顔を鏡で見ては、その醜さに思わずホロリと涙を垂らす。最後の最後になって今までの悪行を母に懺悔する。ラスト直前まで妖怪の仕業のように思えたタマミの行いも、実はタマミの人間らしさの表れだったのである。

最初読んだ時は不気味な赤ん坊少女が出てくる変な漫画くらしにしか思っていなかったのだが、数日後再読してこの事に気付き、『赤んぼう少女』が一気に好きになった。勿論、葉子よりもタマミの方に同情してしまうのである。大体この作品で何が一番怖いかって、タマミの起こす事件よりも、ラストのコマで高也に手を振る葉子の何か企んでいそうな微笑が怖いのである。



墓場鬼太郎

水木 しげる
墓場鬼太郎 (1)

この漫画との付き合いは長い。角川文庫から貸本まんが復刻版として、水木しげるの『墓場鬼太郎』がでた。

貸本鬼太郎は朝日ソノラマからも出ており、どうせ内容が重複したものだろうと思っていたのだが、角川文庫版は今まで読んだことのない最初期の兎月書房版鬼太郎が収録されていたので、これは読みたいと思い平積みの本に手が伸びた。


「ゲゲゲの鬼太郎謎全史」(JTB・刊)によると、最初に鬼太郎を書いたのは水木しげるではないようだ。今の鬼太郎の原型となったのは、伊藤正美という人の作った『ハカバキタロー』なる紙芝居が最初らしい。これは戦前に出て流行したもので、紙芝居の現物は残っていないらしいが、六道辻の飴買い幽霊の話からヒントを得て作られたものである。内容もユーモラスな妖怪が登場する「ゲゲゲの~」とは程遠く、姑にいびり殺された嫁が土葬された後墓中で出産し、その子供(奇太郎)が姑に復讐するといったもので、僅かに残された数枚の絵を見ても、登場人物はかなりグロテスクに描かれている(このハカバキタローについては以前、探偵ナイトスクープでも取り上げられていた)。是非何処かで紙芝居の現物が見つかって欲しいものである。

その後、人に勧められた水木しげるが『ハカバキタロー』を描くことになる。最初は紙芝居、後には貸本となり、鬼太郎は水木しげるの手によって書き継がれてゆく。本書に収録されているのは、そんな貸本期に書かれた鬼太郎である。どうも最初鬼太郎は単独の作品として出版されなかったようで、水木しげる編集の『妖奇伝』という作品集に、他の作家の漫画と一緒に載っている。頭に蝋燭を付け、鼻水を垂らした生首の表紙がおどろおどろしさを醸し出している。


最初に載っているのは、鬼太郎出生の秘密を描いた『幽霊一家』という作品。この話はその後もリメイクが重ねられていくが、この『妖奇伝』のストーリーが一番丁寧で詳しいような気がする。

血液銀行に勤務の水木という社員は社長の命令により、輸血した人間を幽霊に変えてしまう血の出所を調査することになる。突き詰めていったその先は、何と自身の家の隣に引っ越してきた不気味な一家だった。夫は埃及のミイラのような包帯の大男、妻は四谷怪談のお岩さんのような風貌の醜女で、お腹には二人の子供がいる。一家は水木に、自分たちは幽霊族の末裔だと語り、幽霊族の繁栄と衰退の歴史を聞かれてもいないのに延々と語ってゆく・・・

それからいろいろあって鬼太郎と目玉親父が誕生するのだが、そのデザインが今と異なり、非常にグロテスクである。鬼太郎は出っ歯で日野日出志の漫画に出てくるような顔をしているし(尤も、水木の方がずっと先だが)、目玉親父も目が血走り、身体に血管が張り巡らされていてより眼球っぽい。まあ、何よりグロテスクなのは、鬼太郎の親父や鬼太郎を見るたびに「うわっ」とか「ギョッ」と言って顔のコントラストが凄いことになる水木その人だが・・・そんな怖がりな水木の心中を知ってか知らずか、幽霊一家の連中は箱に入った猫の目玉を玄関先へ届けたり、「お土産を持ってかえってください」と言いながら目玉を持って水木を追っかけまわしたりする。

また性格もゲゲゲとはかなり異なる。アニメでおなじみの鬼太郎は人間を守るために妖怪と戦う。たとえそれが、人間が自然破壊をした自業自得の結果であったとしても、である(悪人を地獄へ送ったり、自分にからんできた人間を幽霊列車に乗せて驚かしたことはある)。ところが墓場鬼太郎は人間に容赦ない。育ての親の水木を地獄に送ってしまった上に、水木の母親を狂人にする。この辺はかなりダークであり、これは人によって好き嫌いがかなりはっきりしてくると思う。私は好きだが・・・。

後半になってねずみ男も登場する。ところが、顔が今と異なっていて丸顔である。しかも吸血鬼の下男という設定であり、この時点では後のずる賢さも現れていなくて、どことなく影が薄いキャラクターである。本巻はねずみ男が吸血鬼の芽を生やすところで終わっているので続きが待ち遠しい。


この後、水木しげるは兎月書房で鬼太郎を書いてゆくことになるが、いつまで経っても原稿料が支払われないのに怒って兎月を飛び出してしまう。この辺りのことは水木サンのあとがきにも書かれている。

人気作家が消えて困った兎月書房はどうしたかというと、なんと代役を立ててしまった。これがその後、4巻から19巻まで描かれ続けることになる竹内寛行版『墓場鬼太郎』である(寛行鬼太郎については、『消えたマンガ家 アッパー系の巻』(大泉実成、新潮OH!文庫)に詳しい)。水木しげる以外の作家が鬼太郎を書いていたという事実は衝撃的だが、水木版とテイストが全く異なるというこちらも読んでみたいと思わずにはいられない。尤も、様々な問題から復刊は難しいだろうと思われるが。


村上 健司, 佐々木 卓, 水木 しげる
ゲゲゲの鬼太郎 謎全史 単行本

鬼太郎研究本。

監修・水木しげるなので、図版が多く使われているのが嬉しい。

大泉 実成
消えたマンガ家―アッパー系の巻

『人間時計』の徳南晴一郎や、もう一人の鬼太郎作家・竹内寛行、『エースをねらえ』の作者が開いた宗教への潜入ルポなど、中々取り上げられない漫画やマンガ家が紹介されている。



◇参考サイト:『竹内寛行版 墓場鬼太郎9』

本の紹介のみならず、内部も少し見ることが出来る。出てくる登場人物が気持ち悪い。ちなみに、ねずみ男は竹内版の最初の方で殺されるらしい。

http://www.geocities.jp/norin/gegege/books/TAKEUTI-KANKOU/hakabakitarou9.htm


■追記:鬼太郎の眼球について


周知の通り、鬼太郎には左目がなく普段は髪の毛で隠している(貸本版では隠していない)。眼球のない左の眼窩は、よく目玉親父が代わりに入ったりしている(鬼太郎の親父は元々鬼太郎の目だったわけではなく、死んだミイラ男の眼球が落ちて目玉の親父になったということを忘れてはならない)。

ところが、貸本版を読んでいると、途中から目玉の位置が右から左へ移っていることが分かる。水木しげるのミスか、或いは意図的に変更したのか、これは大きな謎である。ちなみに寛行の鬼太郎の目玉は完全に左となっている。

これは私の妄想なのだが、実は鬼太郎の眼球は内部で左にも右にも移動できるのではないだろうか。人間とは異なる種族である幽霊族のこと、普通では考えられない身体の構造をしていてもおかしくない。ちなみに「ゲゲゲの鬼太郎 謎全史」の中で、幽霊族の本体は目玉なのではないかという面白い仮説が紹介されている。


■追記:鬼太郎実写化のこと


ついに鬼太郎映画化か。

配役見ると、あちこちからブーイングが聞こえてきそうな感じだが、個人的にはウェンツ鬼太郎が何処まで原作のイメージを壊してくれるのか、非常に期待を込めて待ちわびている。大泉洋のねずみ男ははまり役だと思う。

その前提としては、やっぱり監督・脚本はしっかりしたものであって欲しい。原作と違ったって面白ければ良いのだ。近年ありがちなやっつけ仕事な映画はもうみたくない。キャラや原作に頼りすぎて内容がぼろぼろな映画は論外である。


黙れ小僧!お前に地球が救えるか

大瀧詠一
ファースト

●今聴いているアルバム。

今まで聴いたアルバムの中でも一番のヒットかも知れない。「空飛ぶくじら」「それはぼくぢゃないよ」が名曲中の名曲。いくつかのバージョンが入っており、聞き比べてみるとそれぞれ違った持ち味があって面白い。「水彩画の町」「乱れ髪」「恋の汽車ポッポ」も好きだなあ。残りの夏は大滝さんの曲を聴きながら過ごしたい。


●ランナーはアンガールズか。今まで見よう見ようと思って最後までみたことは一回もなかったが、一回くらいは真面目に見てみようかなあ24時間テレビ。


http://www.ntv.co.jp/24h/


サッカーの時は青いTシャツが着れなかったが、この2日間は黄色系統では出歩けなくなる。「絆」Tシャツの左胸のキャラクターがカオナシに見えて仕方がない、と思ったらジブリと提携しているそうな。


●夕立、落雷。

かなり近くで閃光と物凄い音がした。



もうやだ

●やっていたことが一応一段落したので、ネットを巡回した。


以下のサイトに面白い記事が載っていたので紹介。久々に心の底から笑わせて頂いた。元ネタは「2ちゃんねる」のスレッドらしい。



●「もみあげチャ~シュ~  : 友達いないひとの特徴wwwwwww」

http://blog.livedoor.jp/michaelsan/archives/50322761.html


前回、中二病なる病気の話を書いたが、これは当てはまりすぎて洒落にならない。

わずかな項目を削除すれば、そのまま自分のプロフィールとして使えそうなくらい。以下、当てはまった項目のほんの一部。



・歩くのが速い

誰かと5,6人くらいで歩いていると、知らぬ間に皆は後方へ・・・

・前を歩くカップルを抜かすタイミングが上手くつかめない

カップルに限らず。

・笑顔で振舞おうと思うけど疲れて無愛想になる

ついていけません

・急に話し掛けられた時うまく声がでない

こんなのばっか

・どうせ鳴らないのにマナーモードにする

それでも不安なので電源を切っている。自意識過剰。

・人と話した後に、なんであんなこと言ったんだろうと落ち込む

今日がそうだった。嗚呼・・・

・言われたことしか出来ない

周りが出来る人ばかりなだけに、自分の愚かさが余計に気になる。だけど出来ないものは出来ない。

・プライベートな事を聞かれるとすごく困る

当ブログを読めば明らかでしょう。

・こそこそ話してる人たちを見かけると自分の悪口を言われてる気がして凹む

克服してきたかなあ、と思ったが、やはり凹む自分がいた。

・頭で考えてることがうまく言葉にならない

上の「急に話し掛けられた~」と近い。

・高校卒業後の写真がほとんどない

殆どない。



この項目を考えた人は実に見事!




●日テレの終戦記念ドラマ「最後のナイチンゲール 」を見る。


大コケ率の高い火曜9時の二時間ドラマの割にはそれほど悪くなかった。

今回の舞台は地上戦前後の沖縄。沖縄戦の悲劇と言えばひめゆりが有名だが、今回の主役はひめゆり隊ではない従軍看護婦隊が主役となっていた。


アメリカ軍が上陸するということで、学生も戦争への参加を余儀なくされる。琉球言葉は禁止され、疎開も許されず、女生徒達は半ば強制的に従軍看護婦隊に入隊させられる。

中心となっているのは四人の女生徒と隊を任された看護婦長(長谷川京子)。時間が進むに連れて激しさを増してゆく戦闘の最中、看護婦達は様々な人の死に直面しながらも、それと同時に一般人の出産に立ち会うなど、生と死の両方を目撃してゆくことになる。


悲惨な場面と喜びの場面が半々に描かれていたためか、鑑賞後の後味は良かった。ただし後味が良すぎて心にずしーんと来るような感じがなかった。


脇役にも結構有名な人を使っていたり・・・。

柄本明の軍人や、植木等のおじい役はなかなかはまり役だった。二人ともすぐに死んでしまうのだが、後々まで印象に残る存在感があった。主役の長谷川京子もかつての演技は酷かったが、ここ最近のドラマでは少しずつ上達してきている。


象徴的なシーンは、クライマックスの出産のシーン。

防空壕の中で苦しみだした妊婦から、産婆だった看護婦長が赤ん坊を取り出すという場面。前方に銃をかまえたアメリカ兵、後方に非道な日本兵と沖縄の人達がいる中赤ん坊が取り上げられるのだが、看護婦隊の必死な様子に両軍敵味方忘れて妊婦の様子を見守る、といった妙な光景が描かれる。

今まで「非戦闘員は防空壕から出て行け!」と怒鳴っていた軍人(柄本明)が、赤ん坊が産声を上げた瞬間笑顔になるというシーンが印象に残った。普通こういったステレオタイプな日本兵は最後まで悪人を貫き通すのものだが、最後の最後で良い人の一面を見せてくれるのは珍しい。ただし悪役上官の名字が森、小泉、山崎というのはあまりにも狙いすぎではないだろうか。

あと赤ん坊が明らかにゴム人形だったのは興醒めである(ラストで八千草薫が取り上げたのと同じ人形だろうか?)。

そしてアメリカ兵、親切心から持っていた水筒を提供してくれるのは良いが、あんな場面で投げたら、誰だって手榴弾と勘違いするのではないか。ましてや向こうにいるのは英語が通じない国の人間なのだし。

結局それが原因となり、両軍の間で銃の撃ち合いが始まって、流れ弾に当たった赤ん坊も妊婦も死んでしまう。そして婦長は、かつて女生徒達の先生だった兵隊と海岸へ逃げ延びるのだが、そこで濡場が繰り広げられたのはちょっとなあ・・・取ってつけたようにしか思えない。瀕死の兵士(椎名桔平)も良くそんな体力が残っていたものだ。あれで死んでしまったら、あの為に力尽きたと思われても仕方ない。


最後はつっこみばかりになったが、「終戦記念」と名のつくドラマ特有のいやらしさがなく、その点は感心した。


忘れられし者達

三五 繭夢, 栗原 亨
廃墟ノスタルジア

今まで必死で追い求めるようなことはしなかったが、廃墟というものに心惹かれる。

思えば私の好きな「雨月物語」にもいくつかの廃墟が登場した。鬼と化した僧が最期を迎えるのも、幽霊となった妻が夫を待っているのも、男が女の生霊と出くわすのも、皆それらしい雰囲気を湛えた廃墟である。だが上田秋成の筆によって、廃墟は単なるあやかしの巣窟ではなく、それ自体が魅力的な何かとなっていた。私が「雨月物語」を好むようになったのは、それが怪異小説であるという他に、そこに「廃墟の美」が書かれていたためである。平成の世になり廃墟ブームが訪れるよりずっと昔に、「廃墟の美」は日本人によって表現されていたのである。


廃墟の何処が良いのかは自分でも分からないが、敢えて言うならば生前のにぎやかさと、廃墟と化した後の静けさとのギャップが良いのだろう。

ところどころ赤錆に襲われ、或いは植物に覆われて自然と同化しているところなど、存在そのものが諸行無常の果敢無さをかもし出している。その色彩効果も素晴らしい。

誰かの忘れ物が散在している廃墟はそれ自体が一つの大きな忘れ物であり、山奥やビルの谷底から、新しいものがはびこる現代を、自らの滅びの時が来るまでひたすら静かに見つめている。廃墟を見ると、世界の終わりの縮図を見たようで、眩暈に似たふらふら感を覚える。

それを体験するには、直接廃墟へ行って中を探検してくるのが理想だが、そうなるといろいろな問題が発生する。第一に誰かが管理していれば無断でお邪魔するのは住居不法侵入になる。また廃墟の性質上、床はガラスが散乱していたり、腐って抜けやすくなっている場合が多いし、人間の言葉が通じないDQNの溜まり場になっていたりして、犯罪に巻き込まれる虞もある。危険と隣り合わせのスリル感がたまらないという人は良いかも知れないが、臆病な私にはとても出来そうにない。

そこで廃墟の写真集を買う。写真集ならば、誰にも迷惑をかけず、また危険を冒すことなくして一人廃墟を愛でることが出来る。それは本物の廃墟嗜好ではないのかも知れないが、私はそれで満足である。カメラマンの腕が良ければ、本物の廃墟以上の感動を味わうことが出来るかもしれない。


いろいろ悩んだ末、最初の廃墟写真集を本書に決めた。第一に表紙の観覧車に惹かれたし、また女性写真家による女性視点の写真集ということで、普段は絶対に知りえない感性に触れてみたいという気持ちもあったのである。

ページをぱらぱらと捲っていくと、有名な軍艦島や同潤会アパートの写真が載っている。軍艦島は海の真ん中に浮かぶ廃墟島で、日本初のコンクリート建築の残骸がそのまま残されている。ところどころ崩れ落ち、侵食されて、最盛期の面影は何処やらだが、それでも島に残された建物や道具から、人が住んでいた昔のことを思い描くのは可能である。これだけのものを残して人だけが消えてしまうなんて、理屈では分かっていても不思議に思わずにはいられない。文章を読むと、人が島を去ってからも猫が住んでいたということが書かれている。「猫町」は本当に存在したのだ。

軍艦島の写真も良いが、中でも一番印象に残ったのは甲賀ファミリーランドの跡地である。跡地といってもいくつかの乗り物はそのまま放置されており、本書の表紙になっている観覧車も未だ色鮮やかに、その地に残されている。草木が茫々と茂った中に、娯楽用の人工物である観覧車とかメリーゴーランドがぽつんと置かれているのは一種異様な光景であり、ここが本当に日本に存在するのだという事実が信じられなくなってくる。場違いな電車の車両も、この場所の異界らしさを演出するのに役立っている。

かつては子供達の憧れだったものが、今ではすっかり朽ち果て、うち捨てられている様は、夢の跡という感じで見ていて切ないものがある。つくりもののライオンや馬の顔が、無表情ながらも何かを訴えかけている。


このほか、多くの廃墟が紹介されていて、見ごたえのある一冊である。廃墟に関する説明が少なかったり、もう少し多くの写真が見たいという不満はあるが、この値段でこれだけ乗っていれば文句なしの一冊である。


本書を読んで、忘れ去られたもの達への感謝を捧げたい。

鼠坂

森 鴎外, 東 雅夫
文豪怪談傑作選 森鴎外集 鼠坂

●川端康成に次いで今度は森鴎外。以前当ブログでラインナップを予想したが、この鴎外だけは的中した。出ないと思っていた鏡花集は出る模様。次回の配本は吉屋信子集ときいて意外に思った。


森鴎外は有名な作家だが、この作品集は実に濃い内容である。それもそのはずで、鴎外の創作怪談・翻訳怪奇小説ばかりが収録されているのだから無理はない。編者は「幻想文学」「幽」などを手がけてきた東雅夫氏。この方の出す本はどれも素晴らしすぎて、目が離せない。

その東氏の「日本怪奇小説傑作集」にも「」という鴎外作品が収録されているが、本書では更に多くの鴎外怪談を読むことが出来る(蛇も収録されている)。「蛇」「心中」「百物語」などは読んだことがあるが、鴎外訳の怪奇短篇や、妖怪や悪魔をモチーフにしたような歌は初読だった。やはり小説の名手は怪談を作るのも上手で、この「蛇」にも何だか分からないぼんやりした不安のようなものが付き纏っていて、読後感の肌寒さは綺堂・百閒にも引けを取らない。


■「鼠坂」


大陸で儲けてきた成金とその客との会話から、客の一人が行った非道な行為が明らかとなり、やがて幽霊のために変死を遂げる、というもの。書いてしまえばあっけない話だ。さりながら怖いのは、霧の中から幽霊が一瞬だけ姿を現すような、不安と驚きを一度に体験できるからだろう。

先ほどは便宜上幽霊と書いたが、死ぬ間際の男の見たものが幽霊であったとは限らない。むしろ男を滅ぼしたのは、成金達との会話を種にみるみる膨れ上がっていった、過去の悪行に対する後ろめたさだったのではないだろうか。ほんの少ししかない幽霊描写が地の文ではなく、男の独り言の中で成されているのが少し変わっている。


■「常談」(ファルケ)


短い散文。だが短いからこそ心に残る。

奇談とは、結局この世に留まった人間の綴るものである。その例に漏れず、日々の生活の中でふっと垣間見えた不思議を、この作品の「己」はすぐ胸の奥にしまい込んで終う。羽の生えた子供に話しかける「己」を常識のある女房が引き止めなければ、果たして「己」はどうなっていたことだろうか。或いは女房の所為で、もう二度と体験できないような素晴らしい機会を逃してしまったのかも知れない。


■「正体」

意味がさっぱり分からなかった。こんな小説は久しぶりである。

何が起こったのかは凡そ見当がつくのだが、それを記述する文章が非常に難解。狂人の独り言のように、一見支離滅裂な前半が終わったとほっとするのも束の間、今度はやけにややこしい螺旋機の描写に突入する。そしてあれこれと話が進んでラストに入るのだが、ここでも結末がぼかされている。

末尾の解説で東氏は、本作をよんで「ハートリイの『ポドロ島』という短篇に似たような当惑を覚え」たとしているが、終始朦朧とした後に一抹の薄気味悪さが残るような読後感は、ハートリイ作品のそれとよく似ているかも知れない。尤も、私個人的にはハートリイやデ・ラ・メアの方が好きだが・・・。


■「蛇」

再読。北斎の「しうねん」という画を思わせる短篇。

或る豪家へ逗留することになった学者が、主人の嫁が精神を病むまでのいきさつを見聞きするというもの。

怪談らしくなく、最後は嫁の気のふれたのは幽霊妖怪の所為ではなく、精神病だろうというオチで締めくくられている。一読後背後を見渡してみると、怪異らしい怪異は仏壇に蛇が出るところのみであり、しかもそれも蛇の習性という簡単な解釈で済まされている。

しかし何処か気味が悪い。全て学者の解釈で締めくくられているのも妙にあっさりとしたラストであるのも、平穏ゆえにまだ何かあるのではないだろうか、と思わず変な想像をしてしまう。


参拝と戯言と開設記念日

●小泉首相、任期終了間近に来てとうとう靖国神社参拝。

小泉はもう出馬しないと言っても次の候補者のこともあるし、またおっかない特定アジア諸国に配慮して15日はないだろうなあ、と思っていただけに、yahoo!のニュースを見て一寸吃驚した。


Yahoo!ニュース・靖国神社参拝問題

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/yasukuni/


私個人は靖国参拝に関しては賛成でも反対でもなく、したけりゃすれば良いし、したくなければ止めればよいと思っている。ただしそれは国内で決めるべきで、他国の干渉に左右されるべきではない。だから首相が参拝することが悪いことだとは思わない。最後の最後に来て、小泉も良くやったとは思う。

参拝者も21世紀に入ってからは最高の、約25万人だという。一部マスコミは非難したくてこの問題を大袈裟に取り上げてきたのに、却って靖国の宣伝となってしまったようだ。だがその先鋒であるA新聞は、先日記事のことで神社側と揉めたようで、今回取材をさせてもらえなかったらしい。参拝の是非よりもこのことを明日以降どんな風に書くのか、そちらを想像する方がより楽しい。


八月のこの時期は、何かと戦争や人の命について考えさせられる。

戦争もののドラマが放映されるのも夏の風物詩となっており、先日もドラマ「火垂るの墓」や「さとうきび畑」が再放送されていた。ネット上で様々な批判を読んだが、どちらも内容自体はとても素晴らしいものだと思う。ただし両者に共通して愚かなのは、エンディングで「戦争反対!」を視聴者に強制するところにある。ドラマの内容で戦争反対のメッセージを漂わせるのは良い。だが、エンディングで変なテロップを流したり、関係のない世界の子供達の顔を流したりするのは、あまりに人を馬鹿にしていると思う。

今年のTBSの戦争ドラマだが、ニートの男がタイムスリップして戦時中に行くというような内容らしい。あまりにありふれた設定だが、どんな風にオリジナリティを持たせるのかは見ものである。


推薦図書;

野坂 昭如
アメリカひじき・火垂るの墓

高畑映画で有名になった作品。野坂氏はこの作品で直木賞をとっている。

アニメのイメージが強かったため、原作を読んでそのギャップに驚いた。小説では、清太と節子の二人の生活は淡淡と描かれており、ラストも清太の亡骸が他の浮浪児の遺体とともに荼毘に付されたというような、あっけない一文で締めくくられている。それにしても、この人が大島渚を殴ったり、べろべろに酔っ払いながらテレビに出たり、「じんじんじんじん血がじんじん」などと唄っていたとは・・・。


今日は氏の「骨餓身峠死人葛」を読み返したが、上記の作品とはまた異なる世界が展開していて、ますます野坂昭如という人の奥深さを知ることとなった。間引き児の死体から生え、卒塔婆に巻きつく「死人葛」やその化身のような女の存在、近親相姦やラストで展開されるポルノトピアと化した集落の凄まじさ・・・。気持ちの悪いものの中にも美しさが描かれており、またそれが年を経て醜いものと化してゆく無常さが良い。

怪談ものならば、「砂絵呪縛後日怪談」もかなりのお薦め。何故か英泉の浮世絵を思い浮かべてしまう。


日々雑言

●岡本綺堂「中国怪奇小説集」が出る。

岡本 綺堂
中国怪奇小説集 新装版

怪談集『青蛙堂鬼談』に登場する青蛙堂主人達が、志怪の書物の中に登場する怪奇な話を語ってゆくというもの。知っている人にはおなじみの『捜神記』から『子不語』、『剪燈新話』など、六朝から宋期に渡って、幅広くセレクトされている。男性の話者の時は地の文が「である」調、女性の時は「ですます」調と、使い分けがされているのが面白い。


こうして読んでみると、日本怪談には大陸由来のものが実に多いことが分かる。

ハーンの『むじな』の話や、播州諏訪の朱の盤の話で有名な再度の怪は、実は『捜神記』でその原型が完成していることが分かる。あの有名な円朝の『怪談牡丹燈籠』だって、元は浅井了意の『伽婢子』であり、更にその元は『剪燈新話』の「牡丹燈記」であったりする。怪談が国を行ったり来たりするのは面白い。

上の話のように何処が怖いのか明確な話もあれば、どちらかといえば奇談のような話や、どうしてこんな話が伝わってるんだ、といった意味の分からない話もある。文章自体が多くを語っていないためにわけが分からなくなっている話もあるが、そこが志怪の味だと思う。

たとえば、きょう蛇(きょうは囗扁に斗)という蛇の話があり、この蛇は人の名を呼ぶ。それに返事をするとその人は死ぬ。この蛇の害を防ぐにはムカデを放してやればよく、そうするとムカデが蛇の脳を刺して食い殺してくれるので、呼ばれた人は死なずに済むという。「脳を刺す」とか妙な部分が具体的なのに、きょう蛇が如何なるものなのかということは分からない。

面白いのが綺堂先生、或る作品に「狸老爺(たぬきおやじ)」というタイトルをつけている。これは父親に化けた狸を殺すつもりが、誤って本当の父親を殺してしまう兄弟の話だが、狸おやじと聞くとどうしても別の意味を思い出してしまう。たとえ原文にこんな意味のタイトルが付けられていたとして、それを綺堂が忠実に訳したのだとしても、やはり面白い。

願わくば初出どおり、差別語でもなんでもない『支那怪奇小説集』というタイトルだったら尚良かったが、そこまで求めるのは贅沢過ぎるだろうか。ちなみに、本文は「中国」ではなく、そのまま「支那」となっている。巻末の綺堂自身による「支那」考察や、柴田宵曲の「続妖異博物館」に収録された青蛙房主人・岡本経一さん(綺堂養嗣子)の文章が、その辺りのことをよくよく解説している。




●「蘆屋家の崩壊」という連作短編集を読んだ。

津原 泰水
蘆屋家の崩壊

無職の「猿渡」と怪奇小説家の「伯爵」が主人公の、怪奇幻想小説である。

「伯爵」というのは、いつも黒ずくめなので、ブラム・ストーカーのあの小説の主人公から取ってそう呼ばれている。巻末を読むと、そのモデルは怪奇ショートショートで有名な井上雅彦氏であることが分かる(井上氏はアルカード伯爵と呼ばれているそうだが・・・)。猿渡の方は、見る人が見ると作者の津原泰水氏に似ているらしい。


怪奇幻想小説とは言ったものの、怖さの度合いや種類(幻想、サイコ、都市伝説、民俗ものなど)はそれぞれの作品でかなり異なっており、比較しながらバリエーションを楽しむことが出来る。伯爵の妙な冷静っぷりや、起伏の場面でそれを煽らないような静かなタッチが、作品に落ち着きを与えていて、読後不思議な印象を憶えた。

表題作は云わずとも知れていて、エドガー・アラン・ポオの或る作品をもじったものである。作品の面白さが半減するわけではないので結末に触れるが、ラストの家屋崩壊シーンもあの小説の結末と関連させたものだろう。


●反曲隧道

幽霊という存在の解釈の仕方が面白い。連作のイントロダクション的な短い話であるが、途中でこうなるだろうなあと分かりつつも、ラストの後味には思わず酔いしれてしまう。


●蘆屋家の崩壊

蘆屋というのは陰陽師・蘆屋道満のこと。ポオの例の作品に八百比丘尼、安倍晴明、葛葉などの日本的な要素を盛り込んだ、民俗ミステリーのような話。


●猫背の女

何が恐ろしいかって、一見普通に見える人が、みるみる恐怖の対象へと変貌していくのが恐ろしい。

猿渡を狙った女ストーカーの話だが、一度出会っただけで正確な名前も定かではない人間に付きまとわれるなんて、幽霊と同居するよりも酷なことかも知れない。最初から怖いものが怖いことをしたってちっとも怖くはないが、普通は怖くないものがみるみる怖くなってゆくのはけっこう怖い。

最初はおかしな人だなあ、くらいに思っていた女が、猿渡の部屋に放火したり、隣に越してきたり、家に侵入してきたりして、猿渡の生活を狂わせてゆく。唾液の付いた歯ブラシなど、小道具が生理的嫌悪感をもたらす。更にクライマックスの描写では、女が本当に人間であるのかさえも怪しくなってゆく。街の何処かで今日もありそうな話。


●カルキノス

本筋よりも、それとは直接関係ない蟹に関する薀蓄の方が面白い。

蟹の怪異は岡本綺堂がよく書いていたが、こちらは一見探偵小説に見せかけて、読後に朦朧たる謎を残している。


●ケルベロス

雰囲気が物語を綴っている。

ぼかされたラストの意味は最初分からず、一瞬考えたが、それが分かった途端作中人物達と一緒に思わず叫びたくなった。


●埋葬虫

作者によると、タイトルは「しでむし」でも「まいそうちゅう」でも良いらしい。

比較的ありがちな都市伝説っぽいなあと思って読んでいたら、期待は良い意味で裏切られた。確かに、或る人物の言動には、仄かな異常らしさがあるなあ。


●水牛群

前半は悲惨で読んでいられない。

恐ろしいけれど楽しそうな猿渡と伯爵の旅を見てきただけに、猿渡のこの転落ぶりが哀しかった。しかし、後半ではまた二人の旅が見られる。謎の料理屋「白峰」、水牛なる謎の食べ物、そして猿渡の過去が逆流してきたかのような現実の不思議な光景。ここでも伯爵は妙に落ち着いている。

はっきりとそう書かれてはいないが、読後不思議に暖かくなる。




中二病なる病があるらしい。


【中二病総合スレッド まとめ  ~まとめサイト作る俺カコイイ~】

http://www.geocities.jp/sittodesuka/top.htm


はてな 中二病とは

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%E6%C6%F3%C9%C2?kid=46042



結構前からあるネタらしいが、最近知って大いに笑った。どうも男特有の病気のようだ。ちなみに中二病を馬鹿にする人は「高二病」、更にその高二病を馬鹿にする人は「大二病」に罹っているという。大二病という聊か限界気味なネーミングがまた素晴らしい。


自分に自信が無いので「他人とは違う趣味を持っている」ということで無意味なキャラ作りをすること


などはこのブログの管理人に当てはまる。

他人と違うことに興味を持つしか自己を確立できないその他大勢の一人。他人の無知を嘆き、自分を特別な才能を持った人間とし、他人にこの世で一番崇高なる自分の考えを押し付けようとするが、実はこの世で一番愚かなのが自分だということに気づいていない。自分がそうであるのにその癖他の中二病患者をあざ笑ったりする。私は高、大二病をも併発している。


はてなの症例リストを見ると自分に当てはまらないのも多いが、当てはまっているものも結構ある。たとえば・・・



・洋楽を聞き始める(歌詞の意味分かりもしないのに・・・覚えたての英語知識を駆使して分かったつもりになる

・眠れない午前2時(今でも時々

・因数分解が何の役に立つんだよ(非難の的は何故か因数分解。この単元も中学生ならでは

・曲も作れねーくせに作詞(アーティスト気取り。一体誰に提供するんだその歌詞は!?ギターくらい弾ければよかったのだが、この性格だから即絶望。得意になってやっていただけに・・・かなり痛い

・環境問題に積極的になり、即絶望(あるある。有言不実行

・官公庁の不祥事・インフラの事故などを一見し「我々の税金で~~とはけしからん!」と即断(憂うくせに何もしないのは今も同じ

・自転車の乗り方に無駄なアクションが入る

・自分の家族を友達に見られたくない

・ゴー宣を読んで突然思想家ぶる(それでいて「ゴー宣」以外の専門書は検証せず。肝心のゴー宣も「理解したつもり」。今では良き思ひ出



上のまとめサイト内にある「邪気眼」などの話を読んでいたら、昔霊感ごっこと称して見えもしない霊の存在をでっち上げて、

「あ、あそこに霊が!」

などと言っていたことを思い出した。霊感ごっこには他にも何人かの友達が加わっていたが、みんなでないはずの霊力を駆使して霊視を行ったり、体験した覚えのない霊体験を語り合ったりした。冗談ではなく本気で。




中二病は基本的に男子中学二年生特有の病気だが、大人になっても完治しない人がいるらしく(いち早くこの病の存在に気づいた伊集院光など)、十分注意が必要である。

男性諸君はリンク先の症例をみて、現在と過去の自分を見直し見比べてみると良いかも知れない。私のような重症患者はもう手遅れだが。


立腹帖

●昼ごろ自転車に乗っていた。

目の前の信号が青になったので当然渡ろうとしたら、赤にも関わらず横から原動機付きのババアが横断歩道の上にいるこちらへ向かってやって来た。こちらは完全に青になっていたのだから、黄色から赤になるぎりぎりの間をついて向かってきたのではなく、赤なのに飛び出してきた明らかな信号無視である。
一向にブレーキをかけようとせず、更には「キャー」などと喚いて、まるで被害者のように振舞う始末。(原チャリが迫ってくることよりむしろ)その声に驚いて止まると、向こうも横断歩道のすぐ手前でブレーキをかけた。そして謝りもせず、やはり自分が被害者のような様子で、止まっているこちらの目の前を横切って走り去った。

久々に腹が立った事件であった。
人が渡っているのに平気で右左折してくる馬鹿車などには割りと良く遭遇するが、こんな悪質な奴に出くわしたのは数年ぶりくらいの出来事かも知れない。青ですぐ渡ろうとしたこちらにも非はあるかも知れないが、やはり悪いのは信号無視をした糞ババアに尽きる。「近頃の若いもんは~」という言葉を良く聞くが、マナーが悪いのは昔も今もお互い様である。

まあ、「青でもすぐに渡るな」、「他人を簡単に信用するな」という良い教訓にはなった。