いまでこそ、盤石の一大帝国を築いているジャニーズ事務所だが、1970年代にはドン底の時期もあった。
大ブームを作ったフォーリーブスが解散し、新人アイドルの売り出しも失敗。
看板アイドルだった郷ひろみは、バーニングプロダクションに移籍し、倒産の危機に直面した。
そんなときに出現したのが田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」という救世主だった。
79年、新ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役オーディションがあった。
すでにオーディションが終了し合格者も決定したあとに、ジャニー喜多川社長から「とりあえず会ってください」と担当プロデューサーに連絡があった。
その時に紹介された10人の子供のうち、3人がたのきんだった。
児童劇団出身の子役と異なる天真爛漫さは魅力的に捉えられ、急きょ配役が決まった。
そこからジャニーズ伝説の幕が開いた。
田原、野村、近藤はのちに「悪ガキトリオ」「金八トリオ」などと呼ばれ、人気が爆発する。
いつしか『金八』シリーズにジャニーズという既定路線が敷かれたが、人気やキャリアに関係なく、毎回同番組の生徒役は必ずオーディションで選ばれたという。
その狭き門をくぐり出演のチャンスを手に入れたジャニーズアイドル達は、ひかる一平、元SMAP・森且行、長野博(V6)、風間俊介、亀梨和也(KAT-TUN)、増田貴久(NEWS)、加藤シゲアキ(同)、薮宏太(Hey!Say!JUMP)、八乙女光(同)など。
なんとSMAP・中居正広と木村拓哉、TOKIOのメンバーは落選している。
いまでも語り継がれているハマリ役は、第5シリーズ(99年~2000年)で風間が演じた優等生の仮面をかぶった二面性のある生徒。
そして、薬物依存から抜けられない葛藤を文字通りの熱演した八乙女の第7シーズン(04年~05年)だ。
八乙女は当時14歳で、事務所に入って4年後に掴んだビッグチャンスだった。
みな、『金八』でリアルな学校生活を経験し、武田鉄矢のことを「先生」と呼んでいたという。
熱い学園ドラマの裏には若いジャニーズ達の熱い思いがあった。
(日刊大衆発)
でも、田原俊彦は武田鉄矢を嫌っている……(-_-;)
ブー(^0_0^)
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