「症状」と「病名」の交換 (DSMの功罪) | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

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いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

 

下記の記事は

2015年07月12日(日)掲載の

「症状」と「病名」の交換… (DSMの功罪) に修正加筆したものです。

 

「人格障害のカルテ 理論編」(1)という本が2004年に上梓されている。

 

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冒頭、高岡健氏(日本児童青年精神医学会理事・精神行動学者)は…

「日本の精神医療の歩みは、近年、精神科診療所の急速な増加をもたらしました。このことの意義は大きいのですが、その反面で、サイコバブルという非難も生まれています。元来、治療の対象かどうかが不明な人格障害者を、心の風邪のごとくに診療し、医原病に仕上げた結果、手に負えなくなると精神科救急システムに放り投げてしまうという批判です」

 

― 中 略 ―

 

「そもそも診断とは、共同体の境界で行われる「症状」と「病名」の交換であり、治療は診断に引き続いて共同体の安定のために行われることを原形とします」(7P)

 

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18年以上も前の出版ではあるが、現代の「精神医療の問題点」を鋭く指摘している。

「心の風邪」という精神医療における「疾病喧伝」を暗に指摘し、「精神疾患者の増加」の原因が「医原病」であることに精神医学会理事が言及している。

 「治療は診断に引き続いて共同体の安定のために行われる」

つまり、治療の名の下に人格障害者を共同体の安定のため、精神病棟に隔離している現状を指摘している。

 

「診断」とは、診察室で行われる「症状」と「病名」の交換である。

 

「病名」が付かなければ、社会通念上「病気」とは見なされないし、現実問題として「病名」が付かなければ、「医療保険」の適用を受けることはできない。

 

そして「病名」の記載された「診断書」がなければ、病欠扱いで会社を休むことや諸々の「公的支援」を受けることはできない。

 

また患者本人にとっても「病名が付く」ことで体調不良の原因が分かったと、妙に納得するという心理状態になったりする。

 

しかし、精神科医はDSMに記載されたリストから「主観と独断」で「病名」を探すだけである。そこには何ら「科学的」な根拠はない。

 

精神科医が「主観」で「病名」を患者に告げれば、そのようなものが「病気として」存在すると思ってしまう。

 

そして病名を告げた医師が、あたかもその「病気」を治してくれるという「幻想」を抱いてしまう。

 

ところで、「精神科病院協会」の会長が、国立長寿医療研究センターの研修会での「講師」の発言に「抗議文(2)」を出した。  

 

タイトルは、「認知症は精神疾患でない」発言への抗議文 。

 

全文を読んでみたが異様な程の反応である。 

 

研修会での「講師」の発言の詳細は不明だが、おそらく「認知症」は「老化」、つまり老いることの一つの状態だというような、

ごく常識的な発言だったのではないのだろうか。

 

しかし「日本精神科病院協会」会長にとっては「精神病院」の存続に係わる「発言」だったようだ。 

 

「病気」じゃなければ精神科病院で「治療」はできないのだから…

 

しかしこの会長の主張する「病気」である… という根拠が

『世界保健機関(WHO)による、身体・精神疾患による国際疾病分類(ICD-10、1992 年)、「精神および行動の障害」において、認知症は F0(症状性を含む器質性精神障害)に分類されている。さらに2013 年に発表されたアメリカ精神医学会による精神疾患の診断基準(DSM-5)においても、認知症(Major Neurocognitive Disorder)、軽度認知障害(Mild Neurocognitive Disorder)として記述されている。』

(抗議文引用)

 

病気だとする「根拠」がICDとDSMだとは全く説得力に欠ける。 

 

ICDやDSMは、精神状態の「カタログ」であり、「病名のリスト」ではない。

 

1994年、DSM-IVが出版され、886ページ中に374の障害が挙げられた。

 

2000年の改定版DSM-IV-TRは943ページと57ページも増えている。

 

 DSMに掲載されているさまざまな障害は、血液検査や脳スキャンや物理的な発見に基づいたものではない。

 

列挙されている障害は、同業者の同意によって、精神医学的な『障害』のカテゴリーをつくり出し、意見の一致によって公認させ、そして保険請求のために診断コードを割り振るという精神医学全体の仕組みなのだ。

 

精神医学全体の仕組み、つまりこの大掛かりなビジネスは、不正行為そのものであり、また精神医学に疑似科学の雰囲気を与えている。(3)

 

DSMはICD-10における「精神および行動の障害」にほぼ相当する。

 

「精神障害」とは苦悩や異常を伴う心理的症候群または行動様式を指し、「症候群」とは、根本となる一つの原因から生じる一連の身体症状、精神症状を指す言葉であり、「disorder(障害)」という概念は、医学用語の「disease(疾患)」とは異なる概念である。

 

分かりやすい例を挙げれば、「早漏(F52.4)」「性同一性障害(F64)」「サドマゾヒズム(F65.5)」「吃音症(F98.5)」(吃音症→どもり)も掲載されているが、常識的に考えてもこれらは「病気(疾患)」ではない。

 

また、精神科医達が「病気」だと主張する「ADHD(注意欠陥・多動性障害)(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder)」や「ASD(自閉症スペクトラム障害)(Autistic Spectrum Disorder」に関しても、「作られた病」であることを「ADHDの父」レオン・アイゼンバーグ氏が死ぬ前に認めている。(4)

 

アイゼンバーグ氏は、子どもおよび思春期の精神医学研究に対する賞も受賞し、彼は40年以上もの間、薬理学での試みや研究、教育そして自閉症や社会医学のリーダーだった。

 

ADHDは治療薬にメチルフェニデートという向精神薬を必要とするとされているが、アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで

「ADHDは作られた病気の典型的な例である、実際に精神障害の症状を持つ子どもは存在するものの、製薬会社の力と過剰な診断によってADHD患者の数が急増している」とコメントしている。

 

DSMは多くの欠陥を内包しながら権威ある書物となり、製薬会社と精神科医にとってカネを生み出すベストセラー(5)になった。

 

つまり現状の精神医療は、根拠のある原因を伝える医療的な診断、適切な治療は期待できないということなだ。

 

これが我が国の「精神医療」の現実である。

 

nico

 

 

(1)人格障害のカルテ [理論編]

編集・高岡健、岡村達也 発行所・批評社 2004年5月25日 初版発行

 

(2)「認知症は精神疾患でない」発言への抗議文 

http://www.nisseikyo.or.jp/admin/ippan/03opinion/02teigen/2014/N14186.pdf

 

(3)参考引用    

心の病の「流行」と、精神科治療薬の真実  ロバート・ウィタカー 著

 

(4)ADHDは「作られた病」 

http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11656335492.html

 

(5)カネを生み出すベストセラー・DSM-5 

http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11539567524.html