お釈迦さまほど色々なお名前で呼ばれる方はいないのではないでしょうか・・・
お釈迦さま → インド北部のシャカ族の王子の敬称
釈 尊 → お釈迦さまを短く表現
ブッダ → 目覚めた者の音写が「仏陀」
仏さま → 仏陀の和語 等々・・・
仏教幼稚園、主に浄土真宗系では、仏さまを「ののさま」と呼び、お参りしたりします。
もともと「ののさま」とは、小さな子どもが仏さまを呼ぶ言葉で、神仏・太陽・月など尊ぶべきものをさしていう幼児語です。
『 ののさまにー あげましょ綺麗なお水、ののさまにー あげましょ綺麗なお花 』
『 のんの ののさま ほとけさまー みあかしあげて おがむとき、
おすがたみえて きらきらと ごこうのひかる ほとけさまー 』
と歌う子供たちは、きっと貴重な「経験」をしているのだと思います。
幼いうちに「神様」や「仏さま」に触れさせることはとても良い事ではないでしょうか・・・
必ず「畏敬の念」という感情の醸造になると思います。
「畏敬」とは、畏れ(おそれ)て敬う心情のこと。
「畏れる」はつつしみをもって相対する心情。主に神仏などに対して用いる言葉です。
「畏れ」と「恐れ」は違う・・・
DV親父は「恐れ」られるが、決して子供たちは「畏れ」はしていません。
本来、日本には「お天道様が見ている・・・」という「自然信仰」的な「畏敬の念」があり
「悪い行い」は目に見えない偉大な何かに見られているという感覚がありました・・・
知識詰込教育の反省から情操教育(1)の必要性が教育現場で求められています。
また現代は経済的価値観が蔓延し道徳的な意識や価値観が薄らいできたと指摘する声は多くあります。
経済的価値観はやがて社会に「金満主義」を横行させ、
道徳的価値観の欠落が「ブラック企業」の横暴を許す温床になっているのではないかと感じてしまうのです・・・
Nico
(1)情操教育
情操教育とは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするための教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。
情操とは、「高い精神活動に伴って起こる感情、情緒より知的で安定感があり、持続できる情緒的態度」のことを指す。この仮定に基づく限り、情操教育は先述の情緒的態度を育む教育活動を指すといえる。
(Wikipedia抜粋)