平成24年度の最後の日が「日曜日」というのも何か意味があるのかなと
いろいろな事を考えながら朝のリオとの散歩を終え、コーヒーを飲みながらパソコンの前に座った・・・
思い返せば平成24年度は「充実」した一年だったと思う。
約5年間飲み続けた「向精神薬」(抗うつ剤・安定剤・睡眠薬)とサヨナラする事ができたし
「文筆家の端くれ」が始めたブログ
『ニコラスの呟き・・・』も、なんとか今日も書き続けることができている・・・
ブログ「心の病」編はこの記事を含めて308編。
まぁ 年度末の「区切りのブログ」として今パソコンのキーボードを叩いている・・・
「心の病」編を書くときに留意している事や読者の皆さんに伝えたいことは
「このブログに辿り着いた方へ」(1)に書いたが、基本的に「精神医療」の抱えている「諸問題」に対する問題提起である。
記事の切り口、表現手法において「精神科医」「関連学会」「製薬会社」「健常者主催の反精神医療団体」に対して「批判的」な記事も書いてしまう・・・
極力、低次元な「悪口」ではなく、問題点の「指摘」や「諫言」であるよう努めてきたつもりである。
私の「記事」に対して批判があればお聞きしたいし、敢えて「反対意見」を喚起させるため「バイアス」をかけた表現手法も使った・・・
先日珍しく「薬の研究に従事している方」から批判コメントを頂戴した。
詳細はブログ「リタリン・コンサータ・ドグマチールは覚醒剤」(2)を読んで頂きたいが、要約すると
私の発信する情報は
「薬や病理について無知であり、偏見にあふれ、薬や疾患の本質を理解していない」
というご意見であった。
年度末最後のテーマとして、「薬の本質」について書いてみたい・・・
まず「本質」という言葉について確認しておきたい。
人類は「本質とは何か」と、それぞれの時代、繰りかえし、考えられてきました。
あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質
これはアリストテレスのいう形相と質料から来ています。
ある「クスリ」がある。
そのクスリが「何でできているか」の答え、すなわち「化学式(分子構造)」に当たるのが質料。
それが「なんであるか」の答え、すなわち「クスリ」というのが形相です。
そうしてこのクスリにはさまざまな性質があるけれど、それを失ってしまえば、そのクスリがクスリでなくなってしまうような性質、「その疾患を治療することができる」という性質を「本質」と称したのです。
たとえば何かひどいことをやった人に対して「そんなことができるやつぁ、人間じゃねぇ!」と言います。
(【大阪弁】では『そんなことするやつは、人間とちゃう!』かな・・・)
だけど、そんなことをした「やつ」は、ちゃんと人間の姿かたちをしている。
この場合は、「他人を尊重し、自分の利益のために人を傷つけたりしない」という属性を『本質』として「人間」に与えているのです。
だけど、その本質を「やつ」は欠いている。 だから「人間じゃねえ」と。
『本当の善悪ってなんだろう・・・?』『本質ってなんだろう・・・?』
「善」はあくまでも善であって、「悪」はあくまでも悪であるような、相対的なものではない。
『絶対的なものがあるんじゃないか・・・?』
そう考えていくとき、その人は「善」の本質を見極めようとしている。様々な状況やしがらみのなかで、ころころと移り変わるような、灰色のものではない。現実には困難なものかもしれないけれど、遠い遠い目標として設定できるような・・・それに向けて努力を続けることができるような・・・ 『善』ってあるんじゃないだろうか。
そんなふうに考える人は『善の本質』を考えている。ってことになります。
このような考え方に基づいて私は「危険なクスリ」という表現手法を使っています。
また私の意見が「偏見」間違った「知識」だと思われる方へ・・・
「偏見」や「知識」ではありません、「体験」から導きだされた「考察」です。
「薬を研究している人」さんへ
人の為になる、特に子どもたちにも安心して処方できる「薬の研究」をしてください・・・
反論お待ちします・・・
Nico
(1) このブログに辿り着いた方へ・・・
http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11435779510.html
(2) リタリン・コンサータ・ドグマチールは覚醒剤
http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11485048151.html