ワルツ・フォー・デビィ(Select Songs for BGV) | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

週末の午後ですね・・・


久しぶりのセレクト・ソングです


Bill Evans Trioのライブ映像を見つけました・・・


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ウィリアム・ジョン・エヴァンスWilliam John Evans, 1929816 - 1980915日)

アメリカのジャズ・ピアニストである。

クロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインター・プレイ、といった演奏は、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど多くのピアニストたちに多大な影響を与えたほか、ジョン・マクラフリンといった他楽器のプレイヤーにも影響を与えている。

エヴァンスの作品はジャズ・ミュージシャンの中で知名度が高く、中でもベースのスコット・ラファロと録音した諸作品(特にアルバム「ワルツ・フォー・デビー」)は、ジャズを代表する傑作としてジャズファン以外にも幅広い人気を得ている。

エヴァンスはアメリカニュージャージー州のプレインフィールドに生まれ、母はルシン人の系統を持ち、父は相当な身分を持つウェールズ系の人物であった。彼の父は、兄のハリーと同様に、幼い頃からエヴァンスに音楽を学ばせている。1950年代のニューヨークでの活動では、伝統的なジャズ・前衛的なジャズのいずれにおいても優秀なピアニストとして知られるようになった。この時代には、サイドマンとしての活動が主であり、リディアン・クロマティック・コンセプトで知られる理論家・作曲家 George Russell(ジョージ・ラッセル)の録音に参加している。ジョージ・ラッセルからの影響は、作曲に現れていると言われる。

1956年には、最初のリーダーアルバム「New Jazz Conceptions」を残している。

1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに短期間加わり、録音とツアーを行っているが、バンドで唯一の白人であること、ドラッグの問題、そして彼自身がリーダーとしての活動を望んだために、バンドを離れる。しかしデイヴィスの要望で、ジャズ史に大きな影響を与えた1959年の「カインド・オブ・ブルー」のセッションに参加している。ハード・バップ的な頻繁なコードチェンジではなく、モードに根ざしたアドリブをこのアルバムで目指していたマイルスは、エヴァンスのアイディアが必要だった。このアルバムに、エヴァンスは自作「Blue in Green」を提供している(ただし、クレジットはマイルス作曲となっている。

1959年に、エヴァンスはポール・モチアン(Paul Motian)とベーシストのスコット・ラファロ(Scott LaFaroをメンバーに迎え、歴史に残るピアノトリオ(ファーストトリオ)を結成する。このトリオは、スタンダードナンバーの独創的な解釈もさることながら、即興性に富んだメンバー間のインター・プレイが高く評価され、ピアノトリオの新しい方向性を世に示した。

「ワルツ・フォー・デビイ」および「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の収録からわずか11日後、ラファロは196176日に25歳の若さで交通事故死、エヴァンスはしばらくレギュラートリオ活動を停止することとなった。

1966年にエヴァンスは、 当時21歳のエディ・ゴメス(Eddie Gomez)を新しいベーシストとしてメンバーに迎える。若いが優れたテクニックを持ち、飛び込むかのように音の隙に入ってくる積極性を持つエディ・ゴメスは、ラファロの優れた後継者となる。以降、ゴメスは78年に脱退するまでレギュラーベーシストとして活躍し、そのスタイルを発展させつづける。

1969年にマーティー・モレル(Marty Morell)がドラマーとしてトリオに加わり、家族のために1975年に抜けるまで活動した。このメンバー(セカンドトリオ)での演奏の質は、初期の録音でずっと後に発売されたライブ版「枯葉」(Jazzhouse)にも良く現れており、「"ワルツ・フォー・デビィ"ライヴ!」(You're Gonna Hear From Me)、「モントルーII」、「Live in Paris, 1972」、「The Tokyo Concert」、「シンス・ウイ・メット」(Since We Met)と、このメンバー最後のアルバムである1974年にカナダで録音した「ブルー・イン・グリーン」など。 1976年にドラムはモレルからエリオット・ジグモンド(Eliot Zigmund)に交代する。このメンバーでの録音として「クロスカレンツ」(Crosscurrents)、「アイ・ウィル・セイ・グッドバイ」(I Will Say Goodbye)、「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」(You Must Believe in Spring)などが挙げられる。麻薬常習であったエヴァンスの音楽は、次第にその破壊的内面を見せるようになる。

その頃エヴァンスは長年内縁関係にあったエレイン(一般にはエヴァンス夫人と見なされていたが、正式には未婚だった)と別れる。エヴァンスが別の女性と親しくなり、その女性と結婚するためで、全くエヴァンスの一方的な意志によるものであった。ほどなくエレインは地下鉄へ投身自殺した。エヴァンスの死後に追悼盤として発売された「You Must Believe in Spring」収録の「Suicide is Painless(痛みのない自殺)」は、映画「M*A*S*H」(1970年)及びTVシリーズ版「M*A*S*H」のテーマとして知られる曲である。


薬の乱用と死

1970年代後半のエヴァンスは長年の麻薬常用の影響で、既に健康を大きく損なっていた。キーストン・コーナーライブ時点でも、演奏時以外での疲労困憊した様子や、通常ではピアノ演奏が不可能と思われるほどに指が腫れ上がる症状が見られた。エヴァンスの体調を危惧したジョンソンやラバーバラは、活動を一時休止してでも治療に専念することを懇請したが、エヴァンスはそれを拒んでピアノに向かうことを続けた。

エヴァンスの麻薬使用は1950年代後半のマイルス・ディヴィスとの仕事の頃に問題となっていた。ヘロインのために体も蝕まれ、金銭的にも余裕はなかった。1963年、ヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏の時、右手の神経にヘロインの注射を刺したことから右手がまったく使えず、左手一本で演奏をこなすという事件があった。これを機にヘロインをやめることになったというが、断続的な断薬はあったものの、最晩年近くまで薬物との縁は切れなかった。

1979年の「We Will Meet Again」は、ピアニストかつピアノ教師であった兄ハリーのための作品でもある。この年、録音の4ヶ月前にハリーは動機不詳の拳銃自殺で他界していた。

エヴァンスは、前述のキーストンコーナーでのライヴに続き、198099日にニューヨーク市所在のライブハウス「ファッツ・チューズデイ」において同バンド出演初日演奏を行い、既に激しい体調不良に襲われていたものの、マーク・ジョンソンやジョー・ラバーバラによる演奏中止要請を振り切ってまで演奏を続行した。しかし、同バンドの二日目開催にあたる911日、ついに演奏を続行できない状態となり、やむなく演奏を中止し、自宅で親しい人達に三日間にわたり看護された。914日に再度ジョー・ラバーバラの説得により、市内のマウント・サイナイ病院に搬送されたが、翌915日の月曜日に逝去した。51歳であった。

死因は肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死であった。永年の飲酒・薬物使用で、人体の薬物・異物分解処理を司る肝臓に過剰な負担をかけ続けた結末で、疫学的には周知されている結果であった。肝臓疾患はエヴァンス自身も自覚していた長年の持病と言うべきものであったが、ことに晩年数年間は必要な療養を採ろうともせず、死の間際に至るまで頑なに治療を拒み続けた事実がある。結果病状を悪化させ、死を早めた。

自らが自殺の原因を作ったエレインと、兄弟・音楽の両面で絆の深かった兄ハリーの二人の自殺が、晩年のエヴァンスの破滅志向に影響を与えていたとする批評も見られるが、真相は定かでない。ジャズ評論家で生前のエヴァンスと親しく、「ワルツ・フォー・デビー」「ターン・アウト・ザ・スターズ」の作詞者でもあったジーン・リースは、エヴァンスの最期について「彼(エヴァンス)の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と述懐している。

Wikipedia抜粋)


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このYoutube はモノトーン映像です


1時間10分もあるので


Nicoはこれをボーっとしたいときや


リオのブラッシングしてるとき・・・


フルスクリーン・モードでBGVとして活用しています・・・


それでは・・・


Bill Evans Trio on Jazz 625

http://www.youtube.com/watch?v=aX7KkVanSEo