向精神薬でゾンビにさせられ、「薬の怖さ」に気が付き、減薬・断薬の過程の「折り返し地点」を過ぎた3年を経過したころ、稀にではあるが「去って行った」と思っていた友人から「メールや電話」がくるようになっていた。
わたしとすれば「発病当時」の消えてしまった記憶は、このまま消えたままでもいいと考えていた、正直言って嫌な出来事ばかりだろうから・・・
覚悟を決めて人間関係をも「断捨離」したのだと思っていたのだが、ジグゾーパズルのピースが一つずつ埋まるように断片的に失われていた事実を思い出し、辛かった闘病生活を今は冷静に語れるようになってきた・・・
すぐにカッとしたり、憎悪に満ちた「言葉の暴力」は全て薬の作用です。
決して「その人」の本心ではありません・・・
今日のブログは「読者」のある方に捧げます・・・
Nicoは10年以上も前から睡眠導入剤として「メラトニン」を使用していた、メラトニンは国際線のパイロットやCAには時差調整のため必需し品だと聞いたこともある。アメリカではドラッグストアで簡単に買うことができる、最初は知り合いのCAさんに頼んで買ってきてもらっていたが、度々頼むのも気が引けて通販で買う様になっていた。
そのサイトは世界中の様々な薬を販売していた、日本でまだ未承認の薬もたくさん紹介していた・・・
つまり輸入代行システムの「ドラッグサイト」であった。
ある日そのサイトのある広告に目が留まった、それは「プロザック」の広告であった・・・
為替トレーダーの推薦文で「プロザックのおかげで、ストレスとは『さよなら』しました・・・」みたいな(記憶が定かではないので)のが何故か説得力があり、わたしにも必要だなと「注文ボタン」をクリックしていた・・・
プロザックはそのころ既に問題視されていたSSRIの向精神薬であったが、そんな情報は私とは無縁であったし、興味もなかった。つまり、わたしは「精神疾患や向精神薬」には「無知で危険」な状態だったのだ・・・
ある日、久しぶりに友人Wから電話があった、素直にうれしかった。
Wの電話は3年ぶりだった・・・
Wは中学時代からの友人で、彼も私と同じ業種の社長だった関係でWとは色んな仕事をした。
仕事を彼と試行錯誤しているうちにお互いに親友と呼び合う関係になっていた・・・
その電話の会話を部分抜粋します・・・
W 「おい、ニコラス Wだよ・・・・ 」
Nico 「おーつ Wか、久しぶりだな!!」
W 「お前、元気だったんか?」
私は手短にうつ病を発病し、引きこもりになってまだ闘病を続けていることを説明した
W 「うつ病か・・・ なるほどな」
Nico 「もう殆ど治ったよ」
W 「俺がなんで、お前に連絡しなかったのか分かるか?」
Nico 「・・・・・・・・・・ わからん・・・」
W 「お前、覚えてないんだ・・・」
Nico 「おれ、なんか悪いことでもしたか??」
W 「お前が突然電話をくれて、こんなこと言ったんだよ」
Nico 「おれがWに電話した???」
W 「お前、なーんも覚えてないんだな」
Nico 「・・・・・・・・・・」
W 「おまえ電話で、兄貴の連帯保証の追い込みキツイんででもう限界かも・・・ おれ兄貴のことぶっ殺すかもしれんから、もう俺に関わるな!! 電話も二度とかけてくるな!!!って言ったんだぞ」
Nico 「嘘だ・・・」
W 「でっ、友達連中にはWから連絡してくれっていってブツッと電話切ったんだぜ・・・」
Nico 「おまえと話したこと全く記憶にないよ・・・ ごめんな」
本当に全く記憶がないのである、向精神薬の作用・副作用である「記憶障害」を実感した瞬間だった・・・
2008年6月掛かりつけの内科医の「紹介状」を持ち、初めて「精神科」のドアを叩き、その日からSSRI(ジェイゾロフト)を処方され服用した・・・
その精神科医は数か週間後には最も危険なSSRIといわれる「パキシル」(グラクソ・スミスクライン製造)に処方を変えていた・・・ベンゾジアゼピン系「安定剤」「睡眠薬」も山の様に処方した、わたしは私に降りかかる全ての現象にた対し「怒り」覚えた、眠るために(睡眠薬では眠れなかった)浴びるように毎晩酒を飲んだ・・・ 酒で全てを忘れたかった
その精神科医はインフォームド・コンセントを一切しなかったが、向精神薬服用時の飲酒は薬の「作用・副作用」を増幅させるので禁忌とされている
兄は2006年の3月に「自己破産」の手続きは全て終わっていた、2005年頃はあれほど頻繁にわたしの会社に訪れ、様々な書類に捺印を求めたのに、2008年の春には完全に「無視」されていた・・・
正直、わたしはその頃彼に対し「殺意」を感じていた。
何度も兄に電話した記憶は微かにある、しかし内容はほとんど覚えていない
ある電話のわたしの言葉の「ある部分」だけなぜだかくっきり覚えている。
たぶん10分以上は話をしていたと思う・・・
私が「なんで『迷惑かけて悪かった、ごめんなさい』って言われへんのや!! 嫁はん連れて二人で土下座しに来いや!! 来なかったら包丁持って家まで刺しに行くぞ!!!」
兄は何も言わずブチッと電話を切った・・・
その日以降、兄に電話をかけても彼は電話にでることは二度となかった。
兄は間違いなく、これ以上「異常な状態の弟」に関わると本当に殺されると感じたのだろう。
今、冷静になって考えると彼の判断は「正しかった」と思う・・・
もし兄が「最後のけじめ」として私と会っていたら・・・ 想像もしたくない。」
おそらく悲惨な出来事が起こっただろう。
今頃Nicoは「刑務所の中」にいたかも・・・
これが「厚労省」もSSRIの副作用としての「自傷・他傷願望」を認め「注意勧告」を出した向精神薬「SSR・わたしの経験」である。
許容できない割合での薬の「作用・副作用」がもたらす「他傷行為」
「精神疾患者に殺されたら、殺され損」という偏見・・・
人の「生死」が関わる以上、「薬で治った人もたくさん居るではないか」という意見に
Nicoは決して「はい、そうですね」とは言えないのである
だから今日も呟く パキシルは危険です と・・・・・