前回に続いて、シューベルト ピアノソナタ第14番の3楽章の聞き比べ動画を纏めました。いつも通りニコ動にUPするつもりだったのですが、UP出来なかったので、デイリーモーションの方にUPしました。ニコ動にUP出来なかった原因は私の環境のせいも考えられ、不明です。デイリーモーションだと、スライダーの位置と6つの音律の図の区切りが一致しないので、ちょっと使いづらいですね。

 

シューベルト ピアノソナタ第14番イ短調 Op.143 D 784 3楽章 古典調律聴き比べ
https://www.dailymotion.com/video/xa5p7xo

 

 

曲の始まりが、スメタナのヴルタヴァ(モルダウ)とちょっと似てる気がします。

 

シューベルトはベートーベンやモーツァルトから影響を受けている事を感じさせる曲がありますが、一方では前回の1楽章といい、この3楽章といい、後の時代の音楽家に少なからず影響をあたえていたのかな?と思わせるものがあります。他に、シューベルトのマイナー曲を色々聞いていると、「チャイコフスキーにもこんな感じの曲あったよね?」というのもしばしばあります。前の世代の遺産を受け継ぎつつ、次の時代に繋いでいたんだなというのが解る気がします。これは代表曲・有名曲だけを聞いていたのではなかなか気が付きにくい所ですね。

 

3楽章は、比較的短い曲なので、平均律でもとりあえず大きな問題は無いように感じます。強いて言えば、フォルテの和音の濁りを気にするかどうかでしょうか。イ短調ですから、古典調律だと和音の響きが改善されます。

 

古典調律の場合は、クープランでも概ね問題無く演奏できます。中盤を少し過ぎた所でEb-G#のヴォルフが出てきてしまうので、ヴォルフ緩和してない音律だと無理があります。Eb-G#の純正5度からのズレが10セントぐらいまでならばごまかす頃ができますが、それ以上だと気になりますね。この点はラモーだと問題無いです。

 

モデファイド・ミーントーンでの演奏を聴いていると、半音の幅の違いを曲の中で上手く使っている事に気が付きます。平均律だと、この工夫に気が付くことができません。例えばこういう所:

解釈とか好みの問題になってしまうかもしれませんが、ここは同じ音形を2回繰り返すのではなく、狭い半音・広い半音のニュアンスの違いを上手く使っていると考えた方がしっくりくる気がするんですよね。これは特にモーツァルトが多用していた手法でもあります。

 

他にも、臨時記号の使い方について、古典調律のお約束を守りつつ、よくよく吟味して使っている感じがします。このへんもモーツァルトの影響を感じます。

 

まだしばらくシューベルトを続けます。今日は シューベルト ピアノソナタ第14番 Op.143 D 784 第1楽章 イ短調 の聞き比べです。MIDIアーカイブサイトの打ち込みデータを使用させていただいています。機械的な演奏なのはご容赦ください。

 

 

シューベルトのピアノソナタとしてはあまり人気が無く、知られてないようですが、パッと聴いた感じ、マーラーの「巨人」4楽章の再現部で似たようなフレーズがあった事が連想されて、面白いと思いました。偶然なのか、それともマーラーがこの曲を知っていて取り入れたのか、気になる所です。

 

マーラー交響曲第1番『巨人』第4楽章 16分付近からです:

 

イ短調なので、主に白鍵で演奏される曲であり、古典調律的には綺麗な和音が欲しかったんだろうなと思わせる調選択です。これについては、リヒターが1979年に東京公演とロンドン公演でこの曲を演奏した時の録音がそれぞれ残っており、この2つの公演で使っているピアノ調律が明らかに異なるので、「ほぼ同じ時期に、同じ有名ピアニストが、同じ曲を、異なる調律法で演奏していて、聴き比べ出来る」という珍しい例になっています。

 

1979年 リヒター 東京公演:

 

1979年 リヒター ロンドン公演:

 

どちらの演奏も、テンポの取り方や強弱の付け方はとても良く似ています。そのおかげで、ピアノの調律の違いがよく解ります。ふだん平均律に慣れている人には、東京公演の方が好ましく聴こえるのではないでしょうか。東京公演の方は、ほぼほぼ平均律と言って良いと思います。ロンドン公演の方は、平均律に慣れている人にとっては、明らかにピアノの音程が狂っているように感じる所が出てきて気になることでしょう。ロンドン公演の方は、詳しくは解析していませんが、1/6コンマよりも明らかにクセが強い調律で、たぶん1/4コンマ系のモデファイド・ミーントーンの何かの調律法だと思われます。1979年の時点で、ロンドンではこんなにクセの強い調律法が、モダンピアノに施されて使われていたと言うのは驚きです。もしかしたらリヒターが調律師をロシアから連れて行って、ロシア流に調律させた可能性もありますが、その詳細は不明です。

 

この響きの違いを、リヒター自身がどう思っていたのかは気になりますね。リヒターは来日時、YAMAHAのピアノを気に入っていたと言われており、それにはおそらく平均律が施されていたでしょうから、べつに平均律を嫌っていた訳ではなかったんだろうなと推察できます。ただし、当時のロシアでは、共産主義政権下でピアノも大量生産されており、基本的なピアノの品質がYAMAHAよりも低かったので、相対的に高品質だったYAMAHAを好んだ、ということだった可能性もあります。

 

平均律だと目立って調子っぱずれに聴こえるような音は無いのですが、和音の3度音程が綺麗にハモっていないので、フォルテで厚い和音を演奏した時に騒々しい響きになります。一方、ロンドン公演の方は、和音の響きは綺麗で重厚感もあるのですが、かわりにしばしば調子っぱずれに聴こえる音があって、一長一短です。作曲者シューベルトの意図としては、イ短調を選んだという事は和音の響きを重視していた、と解釈できるので、ロンドン公演の響きの方が、シューベルトの意図に近かっただろうと言えます。

 

シューベルト作曲 「楽興の時」第2番 変イ長調 Op.94 D780 の古典調律聴き比べ動画をニコ動にUPしました。

「楽興の時」で有名なのは第3番ですが、今回はあまり知られていない第2番です。

 

 

演奏は、 Ernst von Dohnany という人で、英語のwikipediaにはこの人の項目があります。20世紀前半に主にハンガリーで活躍した人で、リストの孫弟子にあたります。 1949年 からはアメリカで教鞭をとっていたそうです。自動演奏ピアノ Ampico用のピアノロールの録音を、MIDIデータ化したものを使用させていただきました。おそらく1920年代の録音で、約100年前の演奏ということになります。

 

「楽興の時」第2番 は シチリアーナのリズムで、黒鍵を多用する変イ長調の曲です。臨時記号ではGやCにも♭が付きます。曲の途中で転調しますが、嬰ヘ短調でやはり黒鍵を多用する調です。この事から解るのは、この曲は黒鍵の濁りのある和音を意図していたんだろうと言う事ですね。

 

シチリアーナは、ルネッサンス期からバロックにかけて流行ったスタイルで、レスピーギによって編曲されたものなどが有名です。

 

ポイントは、もともとの古いシチリアーナの演奏にはリュートが使われてたという点で、そのリュートの音律は、伝統的に昔から平均律でフレットが打たれる事が多かったという事です。もっとも、平均律とは言っても、バロック時代に活躍したメルセンヌ (1588 - 1648)の難しい数学理論を理解できる楽器職人が当時そんなに多く居たとは思えません。リュート奏者としても有名だった ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520 - 1591、ガリレオ・ガリレイの父)は、平均律の周波数比を 17:18 で近似し、リュートのフレットの位置決めに利用していたと考えられています。この近似は広く楽器職人に受け入れられた可能性があります。この近似は、正確な平均律と僅か1セントほどしか変わらないので、当時の技術水準を考えれば、これで十分だったことでしょう。なお、フレットが平均律だったとしても、開放弦どうしの音程は純正4度などのうなりのない音程で決める事が多かったはずなので、実際の音律は平均律5度と純正5度が混ざったものになったと考えられます。

 

いずれにせよ、リュートでの演奏というのは純正3度を重視しない音楽であり、おおもとのシチリアーナもそうだっただろう、と推察できます。そういう背景があったとすると、シューベルトが シチリアーナ風の曲を作るにあたり、黒鍵を多用する調を選んだという意図が見えてきます。

 

平均律や古典調律と合わせてみると、まずEb-G#にヴォルフの残っているモデファイド・ミーントーン系の調律は非常に具合が悪いです。これに対し、平均律や、黒鍵を純正5度で合わせるキルンベルガー音律、ウェルテンペラメント系の音律は、比較的具合が良いといえます。ウェルテンペラメント系の黒鍵の純正5度は開放的な響きで、屋外の自然の印象に上手く合います。ただし、曲全体を俯瞰すると、いずれも気になる所がいくつか出てきてしまい、満点といえる調律法はなかなか見つかりません。

 

この音律の問題を、たとえばピアニストのリヒテルはどう解決したのかな?とYoutubeにあがっている動画を探したのですが、なんと!リヒテルの「楽興の時」の 第2番 の演奏は見つけられませんでした。他も探せばもしかしたら有るのかもしれませんが、リヒテルはこの組曲のうちほとんど 第1番、第3番、第6番 のみを演奏・レコーディングしていたようです。

 

 

 

 

調律の問題をひもといてみると、「あぁ、そういうことか」ということになりますね。リヒテルは比較的クセの強いモデファイド・ミーントーンを好んで使っていたようなので、その調律法では「楽興の時」第2番を具合良く演奏できなかったのです。その時リヒテルは、ピアノの調律を変えるのではなく、「演奏しない」という選択をしたということですね。これは興味深いです。

 

纏めると、「楽興の時」という組曲は、曲によってうまくあう調律が異なっていると言えます。考えられる背景としては、まず6曲のうち 第3番と第6番は 1823年に先に出版されていて、これはモデファイド・ミーントーンで具合良く演奏できます。自筆譜が残っていないので、いつ頃作曲されたか等の詳細は不明なのですが、「楽興の時」Op.94が出版されたのは 1828年なので、この5年間の間にシューベルトが普段使いする調律法に変化があったのかもしれません。シューベルトは歌曲もたくさん書いており、歌曲の場合は歌手の声の帯域に合わせてキーを上げたり下げたりする必要があったでしょうから、ウェル・テンペラメント等の、平均律に近い調律法も使っていた可能性はあるでしょう。

  

 

参考:

「楽興の時」第3番は以前ニコ動にUP済です。

 

シューベルト さすらい人幻想曲 第1楽章 ハ長調 Op.15 D 760 の古典調律聴き比べ動画をニコ動にUPしました。今回もいつものようにMIDIアーカイブサイトの打ち込みMIDIデータを使用させていただいています。

 

 

この時代のクラシック曲は、ハ長調の曲というのは逆に珍しいのですが、この曲はその珍しいハ長調の曲です。曲の冒頭も、いわゆるドミソ、C-E-Gの和音から始まるので、平均律と古典調律の違いが解りやすい曲と言えます。ただし、「違いが解る」とは言っても、「どれが良いか/悪いか」という価値判断はなかなか難しいものがあります。

 

ふだん、平均律での演奏に慣れている人には、古典調律での演奏はひどく狂った音程に聴こえるでしょう。特にミーントーン系の音律は、5度が狭く、閉塞感のある響きになってしまいます。その欠点が、この曲では特に目立ってしまうので、それは許容できないと言う人が多いのではないかと思われます。

 

Youtubeには、過去の多数のピアニストの演奏録音がUPされています。冒頭がドミソの和音なので、冒頭を聞いただけでピアノの調律が平均律なのかそうでないのかが解りやすい曲です。平均律だと、冒頭の和音が濁って聴こえます。古い録音では、冒頭の和音は綺麗な代わりに、今から見るとひどくピアノの調律が狂っているように聴こえてしまう演奏もあります。たとえばリヒテルのこちらの演奏:

 

 

平均律しか知らないと、「リヒテルともあろう人が、なんでこんな調律の狂ったピアノで録音しているんだ!?」という反応になりそうです。しかし、色々な古典調律での聴き比べをやった後なら、「これはこういう調律なんだな」という事に気が付くことでしょう。まず冒頭のCの和音(ドミソの和音)は、平均律より明らかに綺麗にハモっているので、平均律では無いという事がすぐ解ります。その後、旋律で妙なクセのある音が頻出するので、おそらくモデファイド・ミーントーンの何かだろうという事までは容易に推察できます。シューベルトの生きた19世紀に高頻度で使われていたであろう音律を真面目に時代考証したならば、こういう音律が選択されるのももっともなんですね。私が動画に纏めた中では、シュニットガーの音律は、相応の品格があって長所も多いように思います。

 

しかし1/4コンマまで5度が狭くなると、閉塞感のある響きになってしまって、「さすらい人幻想曲」(原題: Fantaisie 'Wandererfantasie' )という標題に対して、それはどうなんだ?と言う気もします。 1/6コンマだと、5度の響きの悪さが少し改善されます。

 

案外具合が良いのがキルンベルガー第1です。ハ長調の曲なので、キルンベルガー第1の D-A のヴォルフは確かに曲の中でしばしば出てきてヴォルフが耳に付くのですが、曲の流れをぶち壊すほどではありません。代わりに、ヴォルフ以外の5度がほとんど純正なことで、開放感があってとても明るい響きになり、野外での情景描写を連想させる響きになります。キルンベルガー音律は調律手順が比較的簡単なので、ピアニストが自分でピアノの調律もしなくてはならなかったこの時代に、シューベルトが自分のピアノをキルンベルガー音律で調律することがあったとしても不思議ではないんですよね。 ・・・ただし、4つの楽章からなる「さすらい人幻想曲」全体を俯瞰すると、4楽章では部分的な転調等で複雑な事をやっているので、ここでD-Aのヴォルフがかなり致命的に具合が悪く、キルンベルガー第1は使用不能と言わざるをえません。キルンベルガー第2だとまだ中途半端で、キルンベルガー第3ならば目立った欠点は無くなります。

 

シューベルトの「 3つの軍隊行進曲 」Op.51 D 733 より 第1曲の古典調律聴き比べ動画をニコニコ動画にUPしました。今回もMIDIアーカイブサイトの打ち込みMIDIデータを使用させていただいています。世の中が物騒なニュースにあふれている中、この選曲はどうかとも思いましたが、シューベルトの代表曲の1つなので外せません。

 

 

 

 

有名な曲で、色々な編曲版がありますが、原曲はピアノ連弾曲です。演奏にあたり、まずテンポについては、「 アレグロ・ヴィヴァーチェ 」といういう指示がなされているので、シューベルトはもっと速いテンポをイメージしていた可能性がありますが、今回の動画では一般的によく耳にする、通常の行進曲程度のテンポにしました。

連弾で実際に演奏するとなると、とても難しい曲です。というのも、単純にメトロノームに合わせて機械的に演奏すると、なぜかテンポが転んでいるように聴こえてしまうのです。全ての強拍の前に常に少しタメを持たせないと、いつも聞いているような演奏にならないんですね。聴き比べ動画の打ち込みMIDIデータ上では、ほとんど全ての小節のテンポ変化に手を入れて微調整しています。このタメは長すぎてももちろん変な感じになるので、ちょうど良い量のタメを常に持たせるのが案外難しいです。

 
古典調律の聴き比べでは、平均律の演奏が耳になじんでいる事もあり、平均律でも特に問題は無いように聴こえます。キルンベルガー第2は、部分的に綺麗に響く所はあるものの、旋律が調子っぱずれに聴こえる所があり、具合が悪い感じです。二長調の曲は、キルンベルガー第2では響きの悪いD-A-Eの音が避けられないので苦手と言って良いでしょう。1/6コンマ・ミーントーンやモデファイド・ミーントーンの場合、和音の響きが全体的に綺麗に響くようになる一方で、旋律はより重々しい感じになります。これをアリとするかどうかは、そもそも「軍隊」をどうイメージするかという問題になりそうですが、表題に「軍隊」と付く楽曲は、一般的にミーントーンと相性の良い曲が多いのです。たとえば:
 
ショパン 軍隊ポロネーズ

 

 

行進曲はミーントーンと相性の良い曲がとても多いですし、

 

 

 

 

軍楽隊が演奏しているイメージのある曲といえば、例えばアメリカ国歌とかも。

 

こういう風に、いろいろな曲を俯瞰的に見て行くと、直接的に音律について言及している文献が残っていなくても、自ずとそれらしい音律というのは浮き彫りになってきますね。

 

 

ニコニコ動画に、シューベルト作曲 ピアノソナタ第13番 第3楽章 イ長調 Op.120 の古典調律聴き比べ動画をUPしました。今回は3楽章のみです。演奏データはいつものようにMIDIアーカイブサイトの打ち込みデータを使用させていただいています。

 

 

このピアノソナタは演奏会やコンクールなどで今でもたまに演奏されているようですね。作曲された時期は1819年頃、シューベルト22歳ごろの作品と見られています。曲の始まりはちょっとモーツァルトっぽさを感じさせる所もあり、曲の展開のしかたにはベートーヴェンぽさもある気がします。逆に言うと、シューベルトの歌曲が高く評価される割に、こういうピアノソナタのような作品の評価がイマイチなのは、どこか「○○っぽい」という印象で2番煎じに聴こえてしまいがちだから、かもしれません。似たような事は同時代に活躍したチェルニー( 1791 - 1857 )の作品にも言えます。それでも、22歳にしてこのような作品を創れるというのはとてもすごい事なのですが。ベートーヴェンだって最初からすごい曲ばかり創っていたのではないのです。

 

21小節目に、ちょっとびっくりするようなコード進行が出てきます。

 

和声の一部に非和声音を使うというのではなく、和音を構成する3つの音がぜんぶ非和声音という大胆な事をやっています。ぜんぶ非和声音なので、そこだけ見ると逆に普通の3和音に見えるという面白い事が起こっているのですが、曲として演奏すると激しい不協和音が鳴っているように聴こえます。もしペダルでばしっと音を切って、かつ残響の無い部屋で演奏したら、また違う印象になるかも?とも思いましたが、しかしシューベルトの時代のピアノはペダルを使っても今のピアノより残響が多く残っていたはずですし、演奏する場所の残響も長かったはずなので、ここは「あえて残響と混ぜて不協和音を聴かせる」ということを意図したと解釈するのが妥当でしょう。そしてそのすぐ後には、綺麗な和音が輝かしく鳴って解決するコード進行になっています。

 

古典調律の聴き比べをしていて気が付くのは、案外こういう非和声音とか不協和音の印象というのが微妙な調律の違いの影響を受けやすいと言う事です。もし「不協和音なんだから音程なんてどうでもいいだろう」なんて思っているとしたらそれは大間違いで、不協和音こそ、微妙な音程の違いで、その響きの印象が大きく変わってしまうのです。だから不協和音は難しいんですね。

 

平均律だと、不協和音もそこまで酷い響きにはなりませんが、そのせいで逆にこの部分の意図を理解するするためのハードルは上がってしまうでしょう。この部分をシュニットガーの音律のようなモデファイド・ミーントーンで演奏すると、不協和音はとても酷い響きになる一方で、そのあとの共和音はとても綺麗に輝かしく響くので、その対比がとても面白い効果を生む事が解ります。「あ、シューベルトはこういうことをやりたかったんだな」という事が自然に理解できる形になるんですね。

 

 

私が子供の頃(1970年代)は、シューベルトは今よりずっと人気がありました。NHKの放送や演奏会・音楽会でも頻繁に取り上げられていて、ほとんど誰でも何曲かは知っていた印象があるのですが、シューベルトも1980年代以降の12等分平均律の普及で割を食った作曲者と言えそうな気がします。シューベルトの曲は、12等分平均律では本来の面白さを最大限に発揮する事は困難なのです。

 

 

まだしばらくシューベルトを掘ります。今日は アダージョ ホ長調 D 612 です。MIDIアーカイブサイトの打ち込みデータを使用しています。機械的な演奏なのはご容赦ください。

 

 

シューベルトの作品として特別有名という訳ではありませんが、曲の始まりはモーツァルトっぽさを感じさせる曲調で、中盤からは装飾音を多用してロマン派っぽい雰囲気になります。シューベルトは「 音楽史的には古典派とロマン派の橋渡し的位置にある 」などと言われますが、そういう立ち位置をよく示している曲だと思ったのでピックアップしてみました。もっとも、シューベルトの作品を俯瞰してみると、こういう曲は珍しいのですが。

 

曲の始まりがモーツァルトっぽいとはいっても、調はホ長調で、モーツァルトはあまり使用しなかった調です。ホ長調は音階にD#(=Eb)とG#を含むので、ミーントーンのヴォルフが問題になりやすく、ミーントーンでは扱いづらい調なのです。シューベルトに限らず、19世紀になってからは黒鍵を多用する曲がとても増えますが、これは1つにはキルンベルガー音律のように黒鍵を純正5度で合わせる調律法のシェアが高くなったからと考えるのが自然なように思われます。この曲もキルンベルガー第2で具合良く演奏することができます。

 

しかしこの曲の場合、D#(Eb)-G#に少しヴォルフが残っている 1/6コンマミーントーンやシュニットガーとの組み合わせも案外具合が良いです。D#(Eb)-G#のヴォルフが悪目立ちしないように配慮して作曲されている事が解ります。

 

 

シューベルト 鱒(ます)のピアノ編曲版の古典調律聴き比べ動画をニコ動にUPしました。ピアノ編曲はF.リスト版で、MIDIアーカーブのMIDI打ち込みデータを使用させていただいています。

 

 

言わずと知れたシューベルトの代表作の1つです。原曲は♭5個の変二長調で、リストの編曲版もそのままの調でピアノ編曲されていますが、歌曲なので、歌手の声域に合わせて移調するという事は昔から普通に行われていたようです。そのためにはピアノの調律は平均律か、せいぜいウェル・テンペラメントじゃないと具合が悪かったでしょう。

 

しかしシューベルトの大半の曲はシュニットガーあたりのモデファイド・ミーントーンと相性が良いので、この曲もモデファイド・ミーントーンを使って作曲された可能性はあります。実際にラモーやシュニットガーなどのモデファイド・ミーントーンで聴いてみると、これらの調律と変二長調の組み合わせでは、主要3和音の3度音程がどれも非常に高めになり、落ち着きの無い雰囲気になります。歌詞の内容は、そのまま読むと「散歩していたら鱒を釣っている人が居て、鱒が釣り上げられちゃった」という話ですが、実はこの歌にはシューベルトが省略した4番の歌詞があって、 「男はこのようにして女をたぶらかすものだから、若いお嬢さんは気をつけなさいという意味の寓意となっている。」 ということなので、あえてそういう、浮ついた雰囲気の調を選んだのだろうという意図が読みとれます。4番の歌詞をシューベルトがカットしたのは正解でしたね。もしそんな4番があったら、説教くさくて台無しです。

 

主旋律は、モデファイド・ミーントーンの場合、部分的には具合の良い所も有りますが、時々調子っぱずれな所が出てきて気になります。かといって、では平均律が良いかと言うと、これはこれで半音が広すぎて変な感じもします。主旋律は歌手が歌う事が前提であれば、歌手は自由に具合のいい音程で歌ってくれる事が期待できるので、これはピアノ編曲版特有の問題かもしれません。

 

終盤の半音階による装飾音は、楽譜を見ただけだと平均律じゃないと厳しそうな気がしてしまいますが、リストの編曲を実際に聴いてみるとむしろモデファイド・ミーントーンの方がキラキラ感があって具合が良いことがわかります。

 

リストの編曲は、ピアノの最高音部を多用するので、ストレッチの設定(高音部が聴感上ちょうどいい音程になるように、物理的には少し高めに合わせる)には神経質になります。シューベルト自身は、ピアノの最高音部は控えめにしか使っていないので、シューベルトの時代にはまだストレッチの技術が確立されて無かった可能性があります。さらに遡って18世紀の他の作曲者の曲を見てみると、鍵盤楽器の最高音部は悲しみの表現でしばしば使用され、悲しみの表現であれば音程が低めに聴こえてもしっくりくるので、18世紀にはストレッチしていないピアノやチェンバロが使用されていたんだろうと推測できます。一方、リストは、「ラ・カンパネラ」のようにピアノの最高音部を多用する作曲家で、これはがっつりストレッチをかけて調律してないと成立しません。そういう訳で、ピアノのストレッチの必要性は、19世紀前半に認識されるようになり、広まったんだろうということがおぼろげに見えてきます。この曲の場合は、あまりストレッチがきついと、ただでさえ変二長調で綺麗に響かない和音がさらに汚くなってしまうので、ほどほどの所に設定して動画を作成しました。

 

ショパン ノクターン第9番 Op.32-1 の古典調律聴き比べ動画を Youtube にUPしました。それから、Youtube のチャンネル登録者数がちょうど4000人を突破したようです。めでたい!

 

【モデファイド・ミーントーン編】

 

【キルンベルガー・ウェルテンペラメント編】

 

1837年に作曲・出版された曲です。ショパンと マリア・ヴォジンスカ との婚約が破棄された時期にあたります。曲の内容としては、変則的な構成で、3部形式でもロンド形式でもなく、「ノクターン」という音楽のマンネリを打破しようとしていたのかな?と思わせる要素が色々出てきます。

 

曲の構成としてまず注目されるのは6小節目最後の休符のフェルマータです。

 

和声進行的な問題で、ここにフェルマータを置いてなんとか繋いだという見方もあるようです。こういう感じのブレークは、エチュード Op.25 No.7にもありましたね。

こういうアイデアがどこから来たのか、今となっては想像するしかありませんが、1つには当時のオペラに、既にこのようなブレークの使い方があったんだろうと思われます。演劇的ですよね。ショパンは「ピアノでは声楽の息遣いを表現しなければなりません。歌手が息使いするようなところを見過ごしてはいけないのです」(フレデリック・ショパン 全仕事 Op.32-1 の項より引用)というようなことをつねづね弟子に言っていたようですので、このアイデアもオペラから来ているような気がするんですよね。

 

現在のこの曲の演奏アドバイスでは、この6小節目最後の「休符のフェルマータを長く取りすぎないように」ということがだいたい書かれてあるのですが、もしこのブレークのアイデアがオペラ由来であったならば、「オペラと伴奏がタイミングを合わせるための間」みたいなものがどうしても生じていたはずで、少し長めのフェルマータの方が自然なように思われたので、今回の聴き比べの演奏では、あえてそのようにしてみました。

 

曲の終わり方も変わっていて、いつものキラキラした終わり方ではありません。こういうのを「レチタティーヴォ風」というそうですが、これもやはり元はオペラ等の声楽曲で使われる技法の1つです。急に雲行きが怪しい感じになって、短調で曲を終わらせています。(楽譜の版によっては、最後の和音のDに#が付いて長調になっているものもありますが、ここではエキエル版に従いました。)このへんは、当時のショパンの「婚約破棄」みたいなことも心象風景として影響したのかなと邪推してしまいます。その一方で、 1836年にショパンと知り合っていた ジョルジュ・サンド は、お互いが知り合ってから仲良くなるまでにはかなり時間がかかったようですが、サンドはこういう劇的な展開を好みそうな気がします。2人の距離を縮めるのに、こういうちょっと変わった曲が役に立っていたかもしれません。ショパンとサンドがマヨルカ島へ行くのは、この曲が作曲された翌年の1838年のことです。

 

古典調律との組み合わせでは、#5個で黒鍵を多用する曲ですので、黒鍵を純正5度で合わせるキルンベルガー音律やウェルテンペラメント系の音律はだいたい具合が良く、曲の雰囲気もとても良く似たものになります。ショパンが黒鍵を多用したのは、1つは運指の合理性からと言われていますが、こういう風に黒鍵を純正5度で合わせる調律法が当時それなりに普及していて、響きが安定していたからというのも理由の1つだったかもしれません。

 

キルンベルガー第1との組み合わせでは、曲の途中で少しですが D-A のヴォルフが出てきます。

ここをヴォルフで演奏すべき積極的な理由は無さそうに見えるので、キルンベルガー第1とは上手く合わないと言うべきでしょうか。強いて言えば、その後の休符のフェルマータの布石のように見えなくも無いですが、ちょっとこじつけがすぎますかね。

 

曲の最後のレチタティーヴォ風の所でもD-Aが出てきますが、こちらは響きが短調で、かつ不協和音ぽい響きの中で出てくるので、そんなに変ではありません。ギラッとした特徴的な感じになります。

 

モデファイド・ミーントーン系との音律との組み合わせの場合、こちらは黒鍵の5度の幅がばらばらですし、Eb-G#のヴォルフが残ってたりもして、旋律も伴奏も調子っぱずれに聴こえる音が頻出して具合が悪いです。なんですが、「失恋してボロボロなのに無理に頑張って明るくふるまってる感じ」というのをこういうガタガタな調性格で表現する手法というのは、実はそれはそれで、有りなんです。歌謡曲の例で行くと例えば昭和のこういう曲が連想されます。

 

 

音楽的には長調なんですが、歌詞の中身は失恋の歌というねじれた曲です。この「サン・トワ・マミー」も原曲はロ長調なんですねー。世間体を取りつくろわずに、失恋の心境を素直に表現できているのは、むしろこっちなんじゃないかと私なんかは思うのですが、どうでしょうか。

 

 

 

 

 

シューベルトの初期作品の中からもう1つ、「36の独創的舞曲」をピックアップして聴き比べ動画に纏めました。

 

 

 

前回の「魔王」のドイチュ番号が D 328 で、この作品が D 365 であることから解る通り、「魔王」とかなり近い時期の作品です。日本語の表題は伝統的に「36の独創的舞曲」となっているので、動画の方もそれに倣いましたが、現在の私達には「どこが独創的?」と逆にびっくりするほど普通の舞曲ばかりが並んでいる印象の曲集です。ドイツ語では Originaltänze, 英語に訳すと Original dances で、特に独創的というよりは、単に「伝統的ではない」「人まねではない」という程度のことで、そのままカタカナで「オリジナル ダンス」という表題にしたほうが、現在の私達にはしっくりくる気がします。作曲された時期が、まだ「ワルツ」というスタイルが定まっていなかった時期の舞曲集という点が興味深いですね。

 

基本は8小節のフレーズが2つというシンプルな構成で、それぞれをリピートして1曲が構成されています。それが36曲続きます。ピアノ初心者でも演奏できそうな平易な曲が大半です。2曲目は少し凝ったコード進行をしていて人気があり、色々な作曲家のアレンジ版があります。

 

シューベルトはとても沢山の作品を残しましたが、そのうちのかなりの数の作品はこのようなお手軽な感じの曲です。現在の私達から見て特徴に乏しい曲が演奏されるケースは稀ですが、かといって有名な代表曲ばかりを聴いていたのでは気がつかない点も有るだろうと思います。

 

さて、各種調律法との組み合わせについてですが、似たような曲が続くので、調律法にある程度のクセがあった方が、表情が豊かになって楽しく聴ける気はします。ただし、そうすると、現在の私達の耳には調子っぱずれに聴こえる音が増えてしまいます。これをどう解釈するかなのですが、こういう例を知っているとちょっと見方が変わるかもしれません。(※シューベルトの曲は入っていません。舞曲の例として聞いてください)

 

 

私が以前から注目しているワガノワバレエ団のダンスの試験の録画です。伴奏のピアノの調律に注目してください。かなりクセの強いミーントーン系の音律です。ロシアは東西分断されていたおかげで、伝統的な調律法を維持したまま2000年頃まで生きた形で伝統的な調律法を使い続けていました。こういう録画でその様子を聴くことができるのはとても貴重です。(2026年現在ではもう少し平均律寄りの整った調律になっています。)ふだん平均律を使っている人には違和感があることと思いますが、もし生まれた時からこういう響きしか知らなかったら、案外みんなそのまま受け入れてしまうのかもしれません。こういう例を聴きこんだ上で、このシューベルトの舞曲集を聴き直すと、シュニットガーぐらいなら全然問題無いし、クープランでもアリのような気もしてきます。