ちょっと前に、百貨店の将来が暗いとかいう話をこのブログでしたと思う。
若い人が車や百貨店ブランドの服や小物に魅力を感じなくなってきている。
いわゆる「顕示的消費(見せびらかしのための消費)」が中流層に浸透しなくなってきて、ファッションならファストファッションで自分らしさを追求するスタイルが主流になってきている。
顕示的消費は、欧米の中間層よりも富裕層に見られるが、日本人では中間層がこの意識が強かった。
まあ、平たく言えば他人を意識する民族性のためにブランドを持ってアピールしたい意識が潜在的に刷り込まれている。
また右に倣えを教育の過程で植えつけられ、周りの人が持っているものは自分も持たないとという危機感もあることだろう。
当のぶひはH&MやZARAは好きだが、丸井やセレクトショップはもう魅力を感じない。
伊勢丹、バーニーズニューヨークはいいと思うけど、年齢的にそうなってしまったのか、ファッションってお金をかけるところではないな、と感じる。
そんな折、今日こんな記事を見かけた。
三越伊勢丹、免税品を除いた売り場の実態 大西社長、「消費の状況はよくない」の真意
http://toyokeizai.net/articles/-/92067
株をやってたころは、企業のIRやこういったニュースをチェックしてたが今は疎い。
けど日本と言うマクロの指標、為替やその他商品市場のチェックしているので、ミクロもぼんやりと見えてくる。
消費自体は堅調とはいいがたいが、悪い時を脱出している。
春闘、ボーナスなど賃金の動きは上向きで消費は動いている。
ただ消費の志向性は変わってしまっているのだ。
特にバブルのときに社会人の駆け出しだった人たちとそれ以降に社会に出た人たちとは消費に対する考えに違いが見える。
歴史に学べなんていい言葉がある。
ただ過去の成功例ばかりにこだわっていると判断を誤るのが常だ。
任天堂なんかも意固地になって家庭用ゲーム機のハードという亡霊にとりつかれて、戦略の転換を見いだせない、なんて記事を目にする。
いつの間にか消費者は手軽に遊べるスマートフォンを中心とした通信端末のゲームならお金を払える、という志向になってきた。
家族でわいわい遊べる、というのが本来のゲームのあるべき姿、また操作性からスマホゲームは大衆を巻き込むまで市場は成長しないと高をくくっていた結果だ。
ゲーム市場規模がどうのというよりも、家庭用ゲームが死んでいて、新しい通信端末ゲームの市場が伸びているのは明らか。
そこに資金をつぎ込んで、研究&開発や買収をやらなかった。
むしろ日本人の潜在的意識にある見せびらかしの消費はなくなったわけではなく、ゲーム内の課金システムなど新分野に移行しただけかもしれない。
中国も日本や欧米のブランド買いあさるのが好きだし、韓国もゲーム廃人で有名な国だし、東アジアでゲームを展開するのは理にかなっているとは思う。
任天堂のように成功から凋落していった企業としてコダックを挙げていた記事があった。
かつては銀塩フィルムのカメラで市場NO.1だったコダック。
消費者が徐々にフィルム(使い捨てを含む)からデジタルカメラに移行していったのに、かたくなに品質の高いフィルムにこだわり続けた結果、消費者から見放されて倒産にいたった。
音響でもビクター、アイワなど老舗メーカーが辛酸を舐めることになった。
ただデジタル製品市場は薄利多売で、世界を制しなければ生き残れない過酷な業界だ。
今まで使っていた機器類にSANYO(今は亡き?笑)の文字が入っていたのに、新しい機器を導入するときは英語のタぐが貼られている海外製品がずらりと。
日本のブランドはもう日本人が買わないくらいメリットがない。
何かを購入するときに値段は重要となる要素。
けど日本で物を作ったら馬鹿高いものに仕上がるんで、中間層には受けない(高品質を求めている市場は存在するものの大きくはない)。
政治も今を乗り切ればいい、そんな考えが伝わってくるし将来に明るい兆しは期待できない。
結局、企業は生き残る選択を優先させるため、雇用、賃金への反映は薄い、泥沼のようなデフレか、中央銀行ギブアップで国債刷りまくってハイパーインフレの道か・・・。
ゆるいインフレも諦めが伝わる、あるとすればコストプッシュインフレでスタグフレーションの二重苦。
足元では新卒の就職率がバブル並み、円安で輸出税が息を吹き返し、東京オリンピックでインフラ企業が活気づいている。
ただ、これに浮かれていて2020年や数年先の未来に今をどう託せるか、それが気がかりである。
ぶひも間近で建築資材、設備を買う時に日本製にこだわらず、コストと効用を考えたら日本製品を選ばないのが目につく。