1979年 小学5年生 未知とは遭遇しなかった | パンクおやじの魂の叫び

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1979年 小学5年生 未知とは遭遇しなかった 

 

小学5年生、当時は駄菓子屋通いから少し大人になり始め、駄菓子屋とパン屋と雑貨屋を足して3で割ったような雑多な物が売っている店の片隅のゲームコーナーに通っている時代だった。

 

お菓子コーナーに衝立を立てて一応部屋っぽく分離している端のスペースに数台のゲーム機が置かれてており、ポケットに残った10円玉を傍らに立てかけてあるルーレットゲームに突っ込んでは巻き上げられていたちょうどそんな頃だった

 

全部にかけるとゼロが出ると言うボッタくり型ゲーム機

懐かしの「ルーレットゲーム」に裏ワザがあった!? ~駄菓子屋 ...

 

オレのクラスは確か3階にあってね、オレの席は窓際って事で勉強が一番捗らない、ただただ景色を眺めるか眠いのを我慢しているか、と言うような席に座ってた時に、ふと遠くの山の中腹に目が行った時に、何って何かあるぞと、とにかく銀色っぽい丸い物が木々の間から見えるわけ。

 

遠目で見ても分かるんだから結構大きいんだろうけど、両端が若干隠れているが何となく丸い

オレはそれが当時世間を賑わせている円盤、いやいや呼び方が古いよ、UFOだと確信した。

 

当時矢追純一氏がいればすぐに答えを聞けたのにね。

 

とりあえず休み時間に友達を呼んで検証したんですが、あまり頭の良い友達はオレの周りにいなかったんですかね、「すげーよ、円盤だよ絶対」と誰もが大興奮でオレたちの秘密って事で毎日それを眺めていたある日、オレ達は決心した、あそこへ行ってみようと。

 

今だったらスタンドバイミーみたいにかっこいい曲が流れて全員で冒険心を持って臨むんだろうけど、当時はね、皆がとりわけ平均的な中流階級育ちが数名とオレは若干貧乏より、その他の人々は貧乏の完全体でとりわけ県営住宅住みの兄弟沢山な奴らが今回の参加者。

 

そんなのが日曜日に集まった時には、もうね、アパッチ野球軍なんです、その風貌や集団がね。

 

お坊ちゃんの渡辺はタオル持参にリュック背負ってね、どうせ弁当持参でしょう。 お前のお母さんなら水筒くらいは絶対に持たせるはずだから、その横に兄貴のお下がりであろうヨレヨレのカッターシャツみたいの着て立ってるのが赤間で、こいつは県営でもなく市営でもないただの長屋在住の3人兄弟の長男でリュックは背負ってなくてビニール袋にパン持参。

 

皆集まれ集まらねえと発破かけるぜ でお馴染みの

 

 

少しづつ階級が下がってくるんだけど、オレはリュックは持参したし、我が家の道を挟んだ反対にある山崎パンのお店で、これもまた一番大きくてボリュームがある割に安いと言う渦巻型のクロワッサンパンに砂糖かけたようなパン購入、これ当時のスタンダード。 

 

残りの木下と七五三木との二人は貧乏枠からの参加なので片方は歩きで来ましたし、木下に至ってはアパッチ野球軍のザイモクと変わらない伸びきったタンクトップ、七五三木はと言えばいつもの薄汚れたTシャツとジャイアンツの汚い手ぬぐい持参です。 

 

尚、両者とも昼飯は無いそうです。

 

まあね昭和50年代なんてそんなもんです、今だったらPTAからクレーム付けられそうだけど当時はね、貧乏や金持ちなんてお構いなしで皆で楽しく遊んでましたよ。

 

そんな我らが目指すは遠く離れた山の中腹のあの銀色の未確認物体なのだった。

 

まあね、自転車乗って来ないヤツがいたんで、二人乗りしながらとにかく漕げ漕げで、汗びっしょりになりながらね、舗装されてるって言っても結局上りなんでとりあえずは自転車で行ける所まで行ってみようと言うことに。

 

山って遠く離れている時は何となく目印が分かるんだけど実際に上がってくると目印になる物が近すぎて分からない、じゃあどうするのって言う事で無い頭を皆で振り絞ってまだ辛うじて遠くに民家が見えるので側道に入り自転車漕ぎながら探す事に。

 

そんな半分舗装された道を進んでいると大きな畑があってね、農機具か何か入れる倒れそうな小屋の前に丁度座って休めるようなスペースがあって、時計なんか持ってるヤツはこの時代にいなかったんで、それでも出発してからの時間経過や空の雰囲気から昼頃だろうって事で、その小屋で昼を食べる事に。

 

渡辺はお弁当持参、その横でおかずをちょっと食べさせてとねだる木下、赤間もパンだったんだけど、あいつはベビースターも持って来ててポリポリ食べ出すわけ、それを見ていた木下が今度はそっちに両手を出して「くれくれ」とまたも催促、木下よ、お前はオネダリ君か、ずっとクレクレって後ろから赤間を追いかけまわしていやがる、赤間は赤間でドケチでね、ほんと片手でも半分で足りるくらいのほんのちょっとのベビースターをやって逃げ出す始末。

 

それでもそんなチョットのベビースターを美味そうに食べてやがるぜ

 

1959年発売、懐かしのパッケージ = おやつカンパニー提供

 

それに比べ七五三木は根っからの苦労人、辛抱強さも人一倍あり文句一つ言わず昼を食べる事も無く畑の真ん中でトンボを追いかけてます、その頃オレ達と来たらそれでも足りない腹を満たすため、小屋横の水道でそれぞれ水を腹一杯補給してたちょうどそんな時に七五三木が大声で呼んでるワケ、何か見つけたのか畑の向こうでニヤけているのがここからでも分かるよ

 

皆で駆け付けると、そこはいわゆる「肥溜め」ね、今の人は知らないだろうな、オレも地元では見た事無かったんだけど田舎の親戚の家とかで何度か見た事があったので、その四角いコンクリートプールの小型版のような肥溜めを見た時は、ほんとヤバい物を見つけたって思った。

 

肥溜めの解説はしたくないのでネットで調べてください、簡単に言えば畑に蒔く肥料を貯蔵しているプール、それも人糞だと思う。 オレが見たそれは既に固まっていて臭いもそこまでしなかったのでみんなそれほど恐怖を感じて無かったし、見る限り固そうな状態で見た目には土が盛ってあるだけって言えば知らない人は信用するくらいの安定していたのです。

 

誰が言ったんだろうね、オレかって言えばそんな気もするが、誰かが「ジャンケンで負けたやつが一瞬だけでいいからここに乗るってのは」と提案して、負けたヤツが乗る事に決定。

 

まあ固まってるし石とか投げて状態を確認したり、棒を突っ込んだ感じでは固いです、そこそこ乗れそうな感じもしなくもない、って事でジャンケンを。

 

オレと渡辺が最後まで残り、最終決戦で渡辺が見事に乗る権利を獲得。

渡辺良かったな、こんな経験そうそう出来ないぞと言うみんなのふざけた笑いを背に受けて

比較的固そうな場所を見繕っている渡辺、場所は決まったのかい、誰もがドキドキしながらその姿を見守っている時、ちょうどそんな時渡辺は動いた。

 

じゃあ乗るねと言う爽やかな合図とともに飛び乗った渡辺

 

いやあ、オリンピックの鉄棒の最終演技を終えたクライマックスのマットへの着地なんですかと言うくらい綺麗な姿勢で肥溜めの固まりの上に着地。

 

おお、立てんじゃん、と歓声が上がった瞬間、渡辺の体が膝上まで沈み込む。

 

渡辺のね、その笑顔が真顔に変わる瞬間のね、あの顔、そして自力で脱出して来た渡辺だけど

膝下はウンコまみれ、汚ねー、ってのが小学生だよね。 心配するより逃げるのに必死です。

 

渡辺は最初のうちは恥ずかしさ半分でみんなを追いかけ回してましたが事の重大さをヒシヒシと感じたのか、さっきの水道で半べそ状態で足を洗ってます。

 

大笑いしていたオレ達もね、結局バツが悪くなって、これ以上UFO探しの旅を続けようなんてのはいなくって黙ってさっき来た道を戻ったのでした、帰りがけによくよく見ると行くときはニコニコと渡辺の後ろに乗っていた七五三木がよ、あの我慢強い寡黙な七五三木が帰りは赤間の自転車の後ろに乗っていてね、さすがに七五三木よ、お前もあの臭いの後ろに座れるほど我慢強くないんだと。 誰もが思った夕暮れ時。

 

オオムギ, 大麦畑, 穀物畑, 粒, トウモロコシ畑, 農業, 夏, 天国

その後UFOはどうなったかと言うとあっさり誰かのオヤジがあの場所を知っていて、何かのビニールハウスなんじゃないかと言う結末で、オレたちのUFOとの遭遇は中止となったとさ。