RC サクセション その壱 | パンクおやじの魂の叫び

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  RCサクセション  その壱

 

 

 

 

久しぶりのオレのパンク脳の形成に大きく影響したバンドに関して書いていこうと思う。

歴史の長いバンドなので結構な期間書くことになるだろうがそこは記憶を頼りに書き綴ろう。

 

結成は知らない、多分オレが小学校に入るか、入ってすぐの頃じゃないかな。

オレがRCサクセションを知ったのは1980年頃で中学1年生だったと思う。 地元に2件しかないレコード店で当時アイドル全盛期の中、そんな音楽はくそダサいと勝手に反発していた頃、今にしてみると再発だったのだろう、RCサクセションの「シングル・マン」のLPを手に取り購入したのがオレと彼らの出会いだった。

 

 

 

初期のRCは3人組なんだよね、ベースのリンコ・ワッショーこと小林氏はご健在でした
オレはチャボと新井田耕造がいた頃がど真ん中のRC世代なんだよな。



ちなみに嘘トリビアになっているRCサクセションの名前の由来「ある日(バンドを) 作成しよう」からRCサクセションになったのは嘘らしく最近までオレは信じて疑わなかった。  

 

実際には当時3人で始めた「CLOVER」と言うバンド名から何度か改名した挙句に

THE REMAINDERS OF THE CLOVER SUCCESSION」となり、そのままRCサクセションと呼ぶようになったと言うWikipedia情報。
 

3rd LP 「シングル・マン」1980年再発

これを聴いてオレはRCサクセションを知る事になるのだが、聴いてびっくりするがフォークなんだよと言うのはオレの偏見でバラードなんだろうけど。


RCサクセションはこのアルバムとの出会い後どんどん好きになっていくんだけど、それはバンドとして形成された時期からだったと思う。ギターリストで言えばシナロケの鮎川氏と同じように当時好きだった" チャボ " コト仲井戸麗市氏とドラムの新井田耕造氏が加入してからのRCサクセションがオレのRCサクセションと言わせてくれ。

 

このアルバムは発売当時にRCサクセションの事務所のゴタゴタですぐに廃盤になってしまったようで、既に世に出てなくその頃はマニアの中でしか流通してなかったらしい。

 

当時は幻の名盤と呼ばれる部類に入っていた。


それからRCサクセションが実力で火がついて、ファンの期待に答え待ちに待って再発されたのがオレが買った再販版、このアルバム、オレの心に残っているのは「ヒッピーに捧ぐ」とRCと言えばとコレと言うくらいに有名な「スローバラード」くらいだけど、このアルバムを買った事によって、昔のRCにも興味を持ったのは事実。

この当時RCサクセションの詞(清志朗の描く世界)は本当に短かったけど、その中に全ての思いがぎっしり詰まっている。  ある意味反体制の反逆児であり、若干安保闘争の匂いを感じさせるようなね、当時世間から認められていないと言う不満がこのアルバムの中で爆発寸前だったんじゃないかと勝手に想像してました。


ちなみにこのアルバムのサポート陣には後のゴンタ2号(G2)こと柴田義也、やゴダイゴのミッキー吉野と言った仲間が参加している。ジャケットデザインからも想像できるが「シングル・マン」とは「一人っきり」「一人ぼっち」と言った感じを歌にしたのか、当時のRCの音楽業界での立ち位置を皮肉ったのかね。

 

名曲中の名曲「スロー・バラード」泣けるから歌詞を読みやがれ

 

昨日はクルマの中で寝た、あの娘と手をつないで 

市営グラウンドの駐車場、二人で毛布にくるまって


カーラジオからスローバラード、夜露が窓を包んで

悪い予感のかけらもないさ


あの娘の寝言を聞いたよ、ほんとさ確かに聞いたんだ


カーラジオからスローバラード、夜露が窓を包んで

悪い予感のかけらもないさ


ぼくら夢を見たのさ、とてもよく似た夢を

 

 

こう言う天才は短命って言うけどほんとだ、でももう一度清志朗の元気な姿が見たいよ

 

この曲聞くべし、清志朗の伝えたかった思いがここにある

 

 

まだね、話し足りないのでその弐に続くといいな。