アンドレア・ロスト ソプラノ・リサイタル@横浜みなとみらい大ホール 2015.7.18 | リーベショコラーデ

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ハンガリーのソプラノ、アンドレア・ロスト さんは2013年だったか、病気のためにリサイタルがキャンセルになって、その時買ったチケットと同じ席を優先的に買えると連絡が来たので楽しみにしていました。初めて聴きます。



お名前を知りませんでしたがオペラ歌手として世界の五大歌劇場を制覇している(五大がどこかは知りませんが)ベテランだそうです。当日のパンフレットも素敵です。



みなとみらい大ホールの一階(1階は1,044席)は満席でした。(1階はS席8000円です=売上800万円)
これだけお客様を呼べるのは私が知らないだけで有名な歌手さんなのかも知れません。

曲目

モーツァルト:愛の神よ 「フィガロの結婚」より
モーツァルト:とうとう嬉しい時が来た ~ 恋人よ早くここへ 「フィガロの結婚」より
ドニゼッティ:騎士はそのまなざしに 「ドン・パスクワーレ」より
ドニゼッティ:さあ受け取って、あなたは自由よ 「愛の妙薬」より
グノー:宝石の歌 「ファウスト」より

---休憩---

チレア:私は創造の神のいやしい僕 「アドリアーナ・ルクヴルール」より
プッチーニ:歌に生き、愛に生き 「トスカ」より 
プッチーニ:お聞き下さい、ご主人様 「トゥーランドット」より
レオンカヴァッロ:鳥の歌 「道化師」より
プッチーニ:ある晴れた日に 「蝶々夫人」より

アンコール 二曲

こういう声質をなんと呼ぶのか詳しくないので知りませんが、ドラマチックではなく、軽いわけでもなく、綺麗で可愛らしい透き通るような声を年齢を感じさせずに維持している、という声です。若い時はもっと若々しい声だったかも知れませんが、「今でも変わらない声」です。年齢を重ねても衰えもないし重みも増していない。なによりその証拠に、「フィガロの結婚」の伯爵夫人を最初に歌い、二曲目がスザンナです。そして、あろうことかアンコールでケルビーノを歌いました。そんなプログラムを組む人が世の中にいるとは驚きです。そして、全部、似合っていた。そういう声なのです。ケルビーノを得意とする(単にレパートリーに入れているだけではなく)メゾソプラノでも、年齢を重ねて熟女の声になったらもうケルビーノは聞けたものではないという経験をしましたが、この方は違います。50歳は越えている手をしていますが(女性の年齢は手と首のシワで分かります)十分ケルビーノです。(若い頃はもっとケルビーノだったとは思いますが今でもOKなのです)

それでも一番良かったのは『ある晴れた日に』でした。蝶々夫人は若い日本人の歌手さんに歌わせたい、と最近の若い実力のある日本のソプラノを見て思いますが、アンドレア・ロストがこの年齢でこの声で若い蝶々夫人を歌えるのを聞いてしまうと、この人に勝つのは相当難しい、と思わざるを得ません。この人が若い時に蝶々夫人を演じた姿を観たことは無いわけですが、十分想像できます。というか、今でも容姿を別にすれば同じなんだと思います。パンフレットの別の写真も実に可愛らしいです。




しかし、

30年前の写真をチラシに使うのはどうなのか、と(音楽家はそういうのが非常に多いですが)。


あと、本人がステージで自分で言っていましたが「ステージで声楽家がおしゃべりするのは珍しいと思いますが」、マイクを持ってそれぞれのアリアの舞台でのエピソードを話しました。お喋りの得意な人とそうでない人というのはいるものですが、そのお話のセンスがまた年齢を感じさせました。要するに西洋人のパーティーでのスモールトークなのです。日本人のもっとも不得意なもののひとつ。それをまた通訳を介してするものだから笑うタイミングもはずしているしそもそもの「ノリ」が生まれない。そういうセンスは「古い」と感じます。観客の年齢層がそもそもお年寄りなのでそれで良いのかも知れません。(私も年齢は彼女より上だけど)


さて、本日の本題はそれくらいにして
実は当日「集団的自衛権」について考えさせられる事件が会場で起こりました。

どういうことかというとにゃーの隣に座っていたご老人がにゃーのカバンがはみ出して自分の足にあたって迷惑だと難癖をつけてきたのです。
実際はみなとみらいの二階席というのは舞台方向にひねって設置されているので、そのとおりの向きに座らなかったご老人がにゃーの方に足をはみ出していた、ということなのですが、外国産のにゃーにそんな理不尽なことを言ったら反撃されて引っ掻かれるのは火を見るより明らか(笑)

私は「自分で解決するだろう」と見込んで黙ってましたら、ご老人はにゃーの隣に私がいるのを気づいて黙りました。

すると今度はにゃーは私に「どうして私が攻められてる時に助けに来ないの?」と言いました。

私は「集団的自衛権を禁止されてるので手が出せないからです」
「そもそも、私が手を出さなくても私がいることで相手は攻めるのをやめたでしょう?私が控えていることが相手に分かるだけで相手は自分の行動を反省する機会が生まれて結局こちらから攻撃しなくて済むんです」と答えました。

にゃーはやっとこのことの正しい意味を理解しました。しかし、もともとにゃーには助ける必要がありませんが。自分でするから。


最後までお読み戴き有り難うございました。

■ 追記(2015.8.30)
『「フィガロの結婚」の伯爵夫人を最初に歌い、二曲目がスザンナです。そして、あろうことかアンコールでケルビーノを歌いました。そんなプログラムを組む人が世の中にいるとは驚きです。』と書きましたが、以前大隅智佳子さんが伯爵とスザンナとケルビーノを続けて歌ったのを思い出しました。こちら。
歌える人は歌えるものなんだな~感がします。世界のオースミならではか。