徳島県鳴門市のドイツ館を訪問。人生初の四国上陸だ。

ここは第一次世界大戦中、中国の青島で捕虜になったドイツ兵約1000名が収容された板東俘虜収容所があった。

捕虜達によって演奏会がしばしば開かれ、日本のみならずベートーヴェン「第九」、アジア初演の地として有名である。記念館である「ドイツ館」は立派な建物。姉妹都市であるリューベックの市庁舎を模している。現在の建物は2代目で1993年竣工と意外と新しい。

それにしても今から100年以上も前、当時はかなりの田舎であったこの地に連れてこられたドイツ兵たちは、相当不安だったのではないか?

 

 

 

館内の説明を受けた後、続いて訪問したのは近くの大麻比古神社の境内の奥の散歩道にかけられた石橋、眼鏡橋とドイツ橋。木橋も含み10個の内ふたつが残る。

ドイツ兵が設計施行した石積アーチ橋で現在この二つが残る。状態はとてもよく100年以上前のものとは思い難い。似た話として第二次世界大戦で箱根に疎開していたドイツ海軍兵が掘った阿字ヶ池がありすでに紹介した。

 

ドイツ館で聞いた話では青島で捕虜となったドイツ兵の内、生粋の職業軍人は100名ほどで他は徴兵された者であった。彼らは元々パン屋であったり、ソーセージを作っていたり、そして建築関係の仕事をしていたからそれらの技術が収容所で生かされたのだ。

 

眼鏡橋

 

こちらがドイツ橋。今は通れない。

 

橋のたもとには旧字で「独逸橋」、ドイツ語でDEUTSCHE BRÜCKEと彫られた石が残っている。ある地元の方が近くに倒れてあったのを見つけたそうだ。自分的には今回の訪問で最も嬉しい発見だ。

 

松山・丸亀及び板東の各収容所で亡くなった11名の兵士の慰霊碑で1919年に捕虜の手によって建てられた。現在は隣に新しい慰霊碑も建つ。

 

兵舎第5棟の跡。片側は当時の煉瓦の基礎部分?

 

これらは場所が異なるが、参加したバスツアーのお陰で、それぞれの場所に案内してもらえた。またボランティアのガイドがついてくれたが、彼女に密着し、その言葉をひとことも聞き漏らさないようにした成果だ。

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら (アマゾン)

本編に興味を持った方にお勧め『第二次世界大戦下の滞日外国人』 
(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)は こちら