先に「終戦時、軽井沢のアメリカ人資産 Part 2」の中で戦前、レーモンドが軽井沢に所有していた別荘は1372番と899番と書いた。これらは1939年頃の「軽井沢別荘案内図」で位置と彼の名前が確認できる。(ただし同地図には1372番はふたつある)

一方南ヶ丘に建てた「夏の家」は別荘で兼夏の仕事場としても使われていたが、昭和12年(1937)の離日後間もなく売却されたので先の地図にはレーモンドの名前は無い。こちらは現在はタリアセンに移築され、昨年は重要文化財に指定された。筆者は昨年レーモンドの愛弟子北澤興一さんの説明会に参加し、訪問記も書いた。こちら

 

釜の沢レーン方面の1372番についてはGHQの写真が残っているが、非常に見にくく、雪がうっすらと積もる中、南向きに2階建ての輪郭がぼんやりと確認できる程度だ。GHQのリストではレーモンドの所有となっている。

 

一方雑誌『国際建築』の1935年10月号にはレーモンドの設計した別荘として、次のような記述がある。残念ながらハウスナンバーは書かれていない。

「ミス ウォーカーの夏の家

軽井沢の町の付近ではあるが、ちょっとこのあたりでは想像の出来ない眺望の良い丘の中腹に建てられている。南は居ながらに競馬場や新ゴルフ場を越して矢風、荒船、物見の諸山、右手には浅間から晴れた日には遠く八ヶ岳までも眺めることが出来る」

当時の「町」は今の旧軽井沢のことだ。ここがこの1372番を指しているのではないか?なお「ミス ウォーカー」と当時女性が別荘を建てたとすれば間違いなく、宣教師だ。

 

下はレーモンド別荘のあった場所と推測される場所の現在の写真である。右横からの撮影になる。奇しくもデザインが似ている気がする。ここからなら当時競馬場や新ゴルフ場が見えたのではなかろうか。

 

つまり1372番はレーモンドが設計した「ミス ウォーカー」の家というのが筆者の説である。レーモンド自身が「夏の家」を持ちながら、さらに別荘を持ったというのも考えにくい。しかしいくつか憶測を含むので、情報をお持ちの方にご教示いただければ幸いだ。

 

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