終戦時ドイツ人シリーズも兵庫県に来た。

GHQにより没収された資産は管理番号136番から175番の40軒である。数では軽井沢を上回る。六甲山、有馬の様な内陸の個人別荘から、海沿いの生田区を中心に法人の建物まで県全域に広がっている。その六甲であるが、明治の末期、別荘の総数は56戸で内ドイツ人は9戸を所有していた。

ここでは155番から170番の港湾地帯を中心に紹介する。なお筆者は関西地方の地理に疎いので、地図を睨んで場所を確認しつつの投稿である。

 

GHQ資料の地図。番号は資産の管理番号

 

管理番号から主だった所有者を取り上げる。

156番、157番 エリーゼ・ユーハイム (Elise Juchheim)  灘区

第一次世界大戦の捕虜として日本に連れて来られたカール・ユーハイムが興した菓子店「ユーハイム」だが、カールは終戦前日の1945年8月14日に亡くなるので、妻エリーゼの名義となったのであろう。エリーゼはおそらく商売を続ける必要上ナチ党婦人会に属したので、「好ましくないドイツ人」の範疇に入れられ、資産は没収対象となったと思われる。また一号店は三宮にあったので(後述)、こちらの2軒は支店とか自宅か?

 

158番 イリス商会  灘区

日本最古の商会で今日も存続。当時の本社は丸の内。

 

163番 クラブ・コンコルディア  生田区

ドイツ人の社交場として横浜にはクルップ・ゲルマニアがあり、神戸にはクラブ・コンコルディアがあった。

設立以来、何度か場所は変わったようだが、この最後の建物の敷地には当時の礎石銅版が残る。GHQが残した写真では空襲による全壊は免れた様だ。戦前の写真と比べると手前の壁の曲線がそのままである。

 

 

164番 ドイツ人学校 生田区

すでに「戦時下のドイツ人学校神戸の疎開」で紹介した。

 

165番 ドイツ総領事館 生田区 東町115番 

1943年にはカール・アウグスト・バルザー総領事以下13名のドイツ人、10人の日本人が勤務する大所帯であった。

GHQの写真では完全に瓦礫と化した様だ。

 

 

167番 ウインクラー商会 葺合区 (現在の新神戸駅の北)

横浜で知られた商会であったが関東大震災で神戸に本社を移した。戦時中も神戸が本店で横浜が支店であった。今も続く会社は横浜が本社に戻っている。

 

168番 エリゼ ユーハイム 生田区

ユーハイム1号店は3階建ての洋館で谷崎潤一郎の「細雪」にも登場する。

 

補足

有名な北野町の異人館「風見鶏の館」は1909年頃にドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマスの自邸として建てられたものである。トーマス一家は第一次世界大戦中にドイツに帰国し戻らなかったそうだ。その後所有者も移転したのであろう。そのためか今回のGHQの没収リストには載っていない。戦後トーマス氏の娘カルボー夫人の記憶などに基づき保存修理がされた。

また同じく有名な「うろこの家」はドイツ人・ハリヤーの邸宅であった。

明治時代のドイツ人の洋館が復元、保存されているのは日独にとって良き時代の象徴であろうか。

 

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本編に関連する『第二次世界大戦下の滞日外国人』 
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