日本におけるドイツレストランは、第一次世界大戦中に捕虜として日本に連れて来られたドイツ人によって始められたと言える。東京ではレストラン ケテル、ローマイヤーがオープンした。他にもラインゴールド、フレッダーマウス(コウモリの意味)というバーもあった。ドイツ人外交官、ビジネスマンでにぎわった。スパイゾルゲも常連客であった。

本編ではこれらと対象に、これまで注目されてこなかった横浜の状況をみていく。

 

1 ジャーマンベーカリー 

 

第一次世界大戦後に日本にやって来たウィリー・ミュラーが始めた。本店は銀座5丁目にあり横浜の弁天通り1丁目(山下町の中ほど)に横浜支店があった。

 

当時の広告には「ライトランチ(軽食)、レストラン、ソーダ・ファウンテン、喫茶」と書かれている。ソーダ・ファウンテンは清涼飲料水を供給するための簡易な装置で、日本では資生堂パーラーが最初に導入した。

店内の写真を見ると道路に面して曲線のあるコーナー、大きな窓、四人掛けのテーブルなど今でもカフェとして通用しそうだ。

 

フランツ・メッツガー(後述)が還暦の時(1944年)は、戦況も悪化し食糧難の時代にもかかわらず、ジャーマン・ベーカリーを借りて大きなケーキを自分で作り、ふるまったという。店は戦時下でも終戦近くまで営業された。

メッツガーは食料調達に関してはドイツ海軍とか特殊ルートもあり、多くの外国人のビジネスが立ち行かなくなる中でも手に入れることが出来たという。

ミュラーの妻は日本人(シマ)で終戦は、夫婦で疎開先の河口湖で迎えた。シマは1939年10月、ドイツとフランスが戦争を始めた直後に、フランスで逮捕(拘束)されたエピソードがある。

独逸大観 1937・38年(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 

2 カフェ ハンブルクとハンブルク レストラン。

 

山下町143番(加賀ビル)にあり、1932年建造のタイル張りの加賀ビルは2000年頃迄残った。現在の中華街の善隣門をくぐったすぐ右側の場所である。当時すでに周りは中華料理店が多く、異彩を放つ感もある。

ハンス・ヘンシェル商会も同じ住所に登録され、洋酒、食糧品の輸入を行っていた。飲食店のオーナーもヘンシェルだ。ハンブルクの出身か?商会の方は1940、41年のJapan Directoryで確認できるが、以降戦時中も続いたのかは確認できない。

 

その場所が興味深い。道を挟んだ反対側、今は横浜大飯店の場所には「平安楼」があった。(山下町154番)

1935年頃の中華街大通りの絵葉書を見ると、善隣門の左手の旅館のような建物が平安楼。市会議員をつとめた沼田安蔵の経営で、店内には洋室、和室、日本庭園などを備え、目黒雅叙園にも負けない設備を誇ったという。そして道の反対側に「Holstein Beer」(ホルスタイン・ビール)の看板が出ている。ホルスタインは1879年にハンブルクで創業の現在まで続くドイツビール銘柄である。ここがカフェ・ハンブルクであったことが確認できる。

今の中華街の一等地ともいえる入り口にあったのが、カフェ ハンブルクとハンブルク レストランであった。

 

現在の善隣門。1930年代は左に平安楼が、右にはカフェ ハンブルクが入る加賀ビルがあった。

 

3 ハンザバー

 

カール・ウィルリッヒによって経営され中区日本大通り58番にあった。日本大通りが、横浜球場(公園)に突き当たる所である。(現在「日本大通ビル」のある場所か)

カール・ウィルリッヒは1927年に来日して、1937年に神戸でウエートレス、島内カネと同棲を始める。同じ年に横浜に来て「ハンザーバー」を開業する。いわゆるバーだと思うが、当時の警察の記録では”特殊飲食店”となっている。

店は仕入れ価格の高騰など(原文は”資材関係等”となっている)で営業不振に陥り、これを償うため暴利を得ようと企て、1941年12月1日より1943年7月18日の間、ビールの最高販売価格を超えた値段で販売し、超過額7777円の不正利益を得たとして検挙される。いつ彼が釈放されたのかは不明だ。

 

4 フランツ・メッツガーのデリカテッセン

 

フランツ・メッツガーは第一次世界大戦中、中国の青島で日本軍の捕虜になり、日本に連れてこられて抑留されるが、1919年に解放されると、広島で旋盤の機械を買って事業を始めた。

後に日本女性と結婚し、元町でデリカテッセンの店を始める。明治屋で働いていた捕虜仲間ヘルマン・ヴォルシュケからソーセージの作り方を教わり一時期店は繁盛する。地元で「ドイツ食堂」と愛された。

彼は1945年5月29日の横浜大空襲まで、横浜に留まっている。

 

店は元町3丁目123にあり、現在は文房具販売の銀座伊東屋がある。

 

メッツガー家に関しては拙著「続続 心の糧(戦時下の軽井沢)」に詳しく書いている。

1947年創業の「ザ・ホフブロウ」はこちら

 

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