ドイツレストラン、シーキャッスルに関しては2023年2月、筆者7冊目の本『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』 にさらに詳しく書いて収録しました。

 

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2023年元旦の放送の「孤独のグルメ」再放送でお店はまた取り上げられました。

その日このページの閲覧は1600人を超えました。恐るべき井之頭パワー

 

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愛すべきシーキャッスルは11月いっぱいで閉店となります。

「過去45年間に117回開催されたビール祭りでは、多くのお客様と共に楽しいひと時を過ごしてきました。

この度、私たちの体力も徐々に限界に近づき、誠に残念ではございますが、11月下旬をもちまして65年の長い物語の幕を下ろす事にしました」 同レストランFBより。(2022年11月23日 追記)

お店の人は高齢です。最後にどっと押し寄せるのは止めましょう。

 

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鎌倉駅に降りた時、見た覚えのある人がいると思ったら由比ガ浜のドイツレストラン、シーキャッスルの女主人であった。思わず挨拶すると「今日もこれからお店に向かう」との事であった。もう90歳に近いはずで杖をついていたが、声は極めてお元気そうだ。質実なドイツ婦人は毎日公共交通手段で通っているのか?最後は数分の徒歩?

 

写真は2017年、開店60周年の時。今年は65周年を迎えた。


このレストランは1957年開業で、今年65周年を迎えた。素晴らしいことはその間ずっとこの女主人と兄弟がずっと1代で経営を続けてきたことだ。
筆者は時折ここを訪問したが少し前に訪問した際は、日本人と変わらない日本語を話すマダムに、思い切ってドイツ語で話しかけてみた。彼女は「おっ」という表情をしてドイツ語で答えてくれた。そして心を開いてくれたようだ。

これまでもいろいろ昔のことを聞くが、なんとなくはぐらかされる。


何度か話して分かったことは、一家は1939年68月の欧州戦争勃発の直前に、シベリア鉄道を使って下関に着いた。その後ドイツへの帰国が困難になる。

父親はドイツ大使館に勤務した。本人は日独の二世で翻訳関係の仕事をしている。

戦況の悪化で疎開したのは軽井沢であった。ドイツ大使館は河口湖に疎開し主たる外交官もそれに従い、河口湖周辺に疎開した中では特異な行動である。キャリアの外交官ではなく、ナチスに対しても好意を抱いていなかったことが軽井沢疎開の理由と筆者は考える。

 

家族が7人いて彼らに食べさせることを考えると、日本の終戦後も、両親はドイツには戻らずに日本で暮らす道を選んだ。外交官は例外なく「好ましからぬドイツ人」として祖国に送還されたが、日本に縁のあるドイツ人は滞在が認められている。

 

最初は逗子にお店の様なものがあった。子供たちに食べさせるために作るのがメインで、その一部をお客さんにも提供するという形であったよう。とても控えめな方々なので、筆者もこの位にしておく。

 

ドイツ的ではなく「シーキャッスル(SEA CASTLE)」という英語の店名にしたのは、当時は日本にいたドイツ人は経済的余裕はなく、訪問者はほとんどがアメリカ兵だったからということ。開店した頃のお店の看板を見ると英語でSea Castle Open Everyday(シーキャッスル 年中無休)と書かれ、コカ・コーラの大きなロゴと写真が写っている。

 

また二人の息子が通った学校は山手のセント・ジョセフ・カレッジであった。そのため、得意な言葉はドイツ語ではなく英語となる一方、卒業生の繋がりは強い。


海からはわずかに内陸寄り


2019年11月15日には「孤独のグルメ」で井之頭五郎さんが訪問したのはよい記念だ。カーラおばさんはかたせ梨乃が演じていた。カーラさんの負担にならない範囲で、多くの人に訪問してもらいたい。そしてこのお店は鎌倉の文化財に指定したい!2013年にはアド街ックでも取り上げられている。

 

料理は質実でインスタ映えなどは無縁だ。

 

同レストランについては書籍の中でさらに詳しく。書いています。

 

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