大学のキャンパスに残る歴史的建造物を求めて、今回は明治学院大学の白金キャンパス。

梅雨の日、雨の合間の曇り空の中の訪問。晴れの日が理想だが賢いスマホは悪条件でも、なかなか良い結果を出してくれるから。

 

<明治学院記念館>

 

同大は正門近くに3つの歴史的建造物が立ち並ぶ。

圧巻は通りからもよく見える「明治学院記念館」。1890 (明治23) 年に建てられたネオゴシック様式の建物。建物の前は数十メートルに渡って芝生が植えられていて、遮る物なく正面から撮影できる。

 

おとぎ話の中に出てくるような建物だが、背景のビルが都心であることをどうしても実感させる。東京都「景観上重要な歴史的建造物等」に指定。

 

<明治学院チャペル(礼拝堂)>

 

1916 (大正5) 年に落成し、後に両袖を拡張。設計者は今も根強い人気のウィリアム・メレル・ヴォーリズ。ヴォーリズ自身の結婚式にも使われた。彼は本拠地滋賀県、避暑地軽井沢で多くの建築物を残しているが、東京は意外と少ないと思う。

 

訪問した平日の昼頃、ミサが行われていた。東京都「特に景観上重要な歴史的建造物等」に指定。

 

2階部分はハーフティンバー様式だ。

 

<インブリー館>

 

1889 (明治22) 年頃に建てられた、日本に現存する宣教師館の中でも有数の歴史をもつ貴重な建物。白金に校舎が出来たのは1887年であるからその2年後だ。ウィリアム・インブリ一博士の住まいであった。白の下見板張りの壁は近づいて見ると、若干の傷みが見える。これが写真ではなく、実際に見る嬉しさ。

創建時の場所から現在の場所へ200mほど「ひきや」された。

 

またA.K.ライシャワー博士の住所も学院内にあったが取り壊され、1965(昭和40)年、現在の東村山校地にライシャワー記念館として建築された。移築ではない様だ。

 

<明治学院大学の起源>

 

明治学院歴史資料館の中には展示室があり、誰でも訪れることが出来る。

そこには「明治学院発展系統図」というパネルがある。それによると明治学院のルーツはジェームス・カーティス・ヘボンが1863年、横浜で開いた「ヘボン塾」を起源とする。日本の開国(1853年)から間もない時期であった。江戸幕府が終焉する明治元年は1868年である。

 

最初にへボンが神奈川施療所を設けて医療活動を開始した宗興寺に建てられた碑。

 

1877年にアメリカ長老教会、アメリカ・オランダ改革派教会、スコットランド一致長老教会の3会派が協力して築地に「東京一致神学校」を設立。「明治学院発祥の地」の碑がある。白金に移ったのは1887年のことであった。

 

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