ヒトラー政権掌握後ひどい迫害を受けたが、日本にいたユダヤ系ドイツ人は、当初はドイツ人の親睦団体に加入できないなどの嫌がらせはあったが、国外追放などのひどい迫害はなかったようだ。
 
しかしそれが変わるのは1941年4月2日付けで「ワルシャワの殺戮者」と呼ばれるヨーゼフ・マイジンガーが、大使館警察主任として日本に赴任して来てからだ。
 
内務省警保局編『概況』1942年度は次のように報じている。
「マイジンガー昨年赴任以来、反ナチス容疑者に対しては機会ある毎に本国帰還を命じる。1942年1月1日付けをもって本邦在ユダヤ人116名のドイツ国籍を剥奪。」
 
そして対象のドイツ人全ての名前が載っている。一番多いのは何故か神戸だ。神奈川県は以下のようだ。
 
横浜(13名)
ゲルハルト・セレシュター
シャルロッテ・セレシュター
ジークフリート・コールン
エルサ・コールン
レオ・リーベルワルト
ステファン・ローウェ  歯科医 山手6番→軽井沢 こちら
アドルフ・メイベルゲン 商人 軽井沢2453番(終戦時半田善四郎の貸別荘)
メタ・メイベルゲン   同妻
ハインツ・メイベルゲン 同子供
フリードリッヒ・ネツテル 
レオポルト・パテック
ヒューゴ・ステルン   日独製作所技師 本牧元町349 ユダヤ人で終戦時は軽井沢2468番の半田善四郎の貸別荘
ロベルト・ステルン   子供
 
葉山
マックス・フリードランデル 無職 葉山町堀ノ内986 終戦時軽井沢1413番
藤沢
エルンスト・ストエリー
茅ヶ崎
テオドール・ステルンベルグ 東京帝大教師 軽井沢1313番に別荘を所有したが、鵠沼で終戦を向かえた様。

名前の右側に住所などを書いたのは、筆者がその後の消息をつかめたユダヤ人だ。1943年9月時点で、山手には2家族3名が、葉山、茅ケ崎には各1名が無国籍として住み続けている。
また山手236番に住んでいた、ヘルマン・バウムヘルトは東京で国籍を剥奪されているので、このリストには載ってこない。こちら
さらに終戦時の軽井沢で一家族が判明した。
 
筆者の調査は完全ではないが、かなりの数の消息不明のユダヤ人は、まだ渡航可能で迫害も緩いとされた上海にでも渡ったのであろうか?
 
なお1945年8月の『在留外国人リスト』には、マイジンガーによって国籍をはく奪されたユダヤ人の内、ドイツ人の欄に再び名前の載る者がいる。同年5月のドイツの敗戦で、ナチス派のハインリッヒ・シュターマー駐日大使が、他の外交官から忌避され、マイジンガーの国籍剥奪も白紙となったのであろうか?
 
付け加えるとこの時に東京では、以下のな音楽家が国籍を剥奪されている。
レオ・シロタ:  ウクライナ出身のピアニスト
レオニード・クロイツァー: ロシア生まれドイツで活躍したピアニスト
ヨーゼフ・ローゼンストック: ポーランド生まれの指揮者でNHK交響楽団の基礎を作り上げた。
 
参考文献 
『東京のハーケンクロイツ』中村綾乃

内務省警保局編『概況』1942年度他

 
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら