文部科学省に取り上げて貰えなかったので、公益通報者保護法の精神により、いわゆる四大新聞に手紙を送ってみた。そのうち、2紙から会って話を聞きたいという反応があった。


X紙の記者は、私の説明を聞くなり、「もしジャーナリストなら間違いなく解雇になる」といった。「でも大学ではどうなんですか」と質問された。そこで、大学内では取り上げてもらえず、文部科学省も私学という理由もあり、取り上げて貰えなかったと言う話をした。


大学は甘いという顔をされた。編集部で検討するという話で別れた。

しかし、掲載は見送られた。おそらく、盗作は疑いがないが、ニュースバリューがないということだったのだろう。


文部科学省と同じように、大学の教員、特に私学の教員は、ニュース価値がないのだとつくづく思った。


他の1紙については、明日書く。

文部科学省は、大学教授の盗作に関しては甘いというか、無関心であると昨日書いた。

少し、正確さに欠けていたので訂正をして置く。

もし国公立の大学の問題であれば取り上げたかもしれないということである。私の大学は私学なので、なるべく問題はその大学で解決して欲しいという理由があった。

もう一つは、「盗作自体は取り上げるほどのことはないが、大学の品位を汚しているのは明らかだから、別の部署に相談したらいいのではないか」と文部科学省の担当官が付け加えたことである。


しかし、私は他の部署には相談に行かなかった。仮に取り上げてくれても、大学に対して勧告し、大学はうやむやにしてしまうことが明らかだったからである。


私学だからというのも私学には干渉しないという方針ならそれはそれでよいと思うが、問題が盗作という教育の基盤にかかわるものの場合には、取り上げるべきだと思う。私学助成金という国民の税金を私学に助成しているのだから、監督すべきものと思う。助成金額は、学生一人当たりつき1万円を越えているはずのである。


さて、文部科学省が取り上げないので、公益通報者保護法に従い、マスコミに働きかけることにした。マスコミの対応は次に書く。

教授にとってもっとも恥ずべき盗作に対して、大学内部での自浄作用が無理なことはよく分かった。学部長というトップの問題でなく、1教授の問題であるなら、自浄作用が働いたであろう。事実、解雇や厳重注意の例はあった。

しかし、すべての委員会の人事権を握っている学部長の問題を任命された委員が客観的に裁くことなど出来るわけがない。親分を裏切るようなものだからだ。頼るとすれば、教授たちの勇気ある良識だが、そんな勇気を持つ教授は少数に過ぎない。


そこで公益通報者保護法の手順にしたがって、文部科学省にこの問題を持ち込んだ。公益通報者保護法によれば、所属機関で告発を取り上げない場合には、外部管轄機関に委ねることになっているからだ。


文部科学省の係員は丁寧に応対してくれた。しかし、驚くべきことをいった。なんといったか。

「この程度の剽窃はよく持ち込まれるが、問題にするほどのことはない」


大学の教授のモラルをいかに文部科学省が低く見ているかよく分かった。文部科学省がこのような見方をする以上日本の教育がよくなるわけがない。

大げさに聞こえるかもしれないが、盗作は「泥棒」だから、泥棒が学生を育ててよいといっているのと同じではないか。

私は極端だろうか。

学部長たる教授が、盗作を行うことは許せないと思った。

大学がよって立つ学問を愚弄し、学生が被害者になる。こうした問題に対しては民間企業と同じように大学にはコンプライアンス委員会というのがある。いはば、この種の内部告発の窓口である。

 しかし、委員会の結論がどのようになるかは初めから分かっていた。委員長は学部長が任命したものであり、学部長に不利になるような結論を出すわけがなかった。

 それにしても委員長の意見というより学部長擁護の弁解はお粗末だった。いささか専門的な議論を除けば、次のようなことをいった。

1 この程度の剽窃はみんなやっている。

2 盗作論文を掲載した編集者が悪い。


 

同僚教員の名誉のために言って置くが、私の知る限り盗作を含むこんなにひどい論文を書くものは一人もいない。また、編集者の責任だなどという論法は前代未聞である。


今政界では小沢問題で揺れている。その是非は別として、民主主義の基本として政治の権力者に対してチェック機能を果たす検察がある。しかし、大学には制度はあるが、上に述べたように構造的に機能しないのである。これでは、大学がよくなるわけがない。

なぜ、盗作が生まれるのだろうか。

最近学生がやる一番の盗作はネットで見られる論文をそのままコピーしたり、いくつかの論文を繋ぎ合わせたりすることである。彼らは、論文を書く能力がないので盗作せざるを得ないのだろう。


教授が盗作するのはどういう場合なのだろう。学生に見られる意味で論文を書く能力がないというのはまず考えられない。一応、大学の教員が書く論文というのは、多少とも新しい見方がなくてはならない。そこで、新しい見方ができない場合、よい着想の文献があるとそれを真似したくなるということはある。


しかし、私が取り上げた教授の盗作はそんなある意味高度なものではない。盗作文の中で「科学」を「化学」と「器械」と「機械」と間違えたりしている。つまり、内容がまったく理解できていないのに、理解していると思い込んでしまっているようなのだ。自分の無知を知らないほど恐ろしいことはない。


その上、論文の書き方のごく初歩を知らないようなのだ。引用があっても本文中にそれを示す印(数字など)がない。ワープロに漢字のないない名前が出てくると名前をひらがな表記にしてしまう。「はじめに」があって、中間がなく、いきなり「まとめ」になったり、ほとんど論文が終わりそうになったところで、論文のテーマが出てきたりする。


どうして、大学の教員の最低の知識である「論文の書き方」を知らない教授がいるのだろうか。謎である。


こんな教授に従う学生は悲劇というほかはない。