学問はなどと今更大げさに言うことはないのだけれど、どんな学問でも好き嫌いや利害関係で評価してはならないのは言うまでもない。しかし、大学も人間の社会だからどうしても感情が入る。そこで、感情を排除するために昇格規定がある。

しかし、昇格規定を無視してしまってはどうしようもない。

Y学部長は自分の味方だと、業績など無関係に昇格させてしまう。某助教授が研究業績欄に乗せた著書に発行日が記されていないことがあった。発行日のない著書などありえない。さすがに質問が出たが、Y学部長はあとで調べるといって昇格させてしまった。某助教授は、学部長の取り巻きだったからである。

昇格を審査する場合、一番大事なのは研究業績である。だから、専門あるいは隣接学問の教授が審査する。ところが、業績を審査する専門家がいないといって、業績審査なしに昇格させてしまったこともある。その教員が取り巻き立ったからである。


まあ、ようするにめちゃくちゃなのだ。こんな出鱈目をやっているのが大学教授達とは、学生や世間は夢にも思わないだろう。

こうした、破廉恥さが学生指導に染み出てしまうに違いないと思うのだが。

Y学部長が内規(これまでのルール)を無視して、「本がなくてはだめだ」と言い出したのである。ある助教授がなぜ著書が必要だと聞いたところ根拠を明らかにせず、ただ本が必要だとだけいったという。学部長自身学術書は一冊もないから、自分を自慢するということでもない。どのように考えても理由が分からない。

理由は分からないが、これが、気に入らない教員へのいじめであり、また一つの踏み絵の役割を果たしていることは間違いない。学部長への忠誠心の踏み絵である。

踏み絵になったというのは、昇格のために本を出すことは、S学部長の理不尽な要求に屈するということだからである。教授会である教授が皮肉たっぷりに、「最近薄っぺらな本がよく出される」といったが、実際昇格のためだけの著書としか言いようのない本が続けて出された。こうしたたぐいの本を出した教員は、本を見るたびに屈辱感を感じるのではないかと思う。教授になるためだけに学部長の理不尽な要求に屈したからである。

しかし、どうやらこうした屈辱感も感じない教員が多いように感じられる。研究というのは、つまり研究者は、「それでも地球は回る」といったガリレオの誇りを持っていて欲しいと切に思う。それでなくてどうして学生を教えることができようか。

 大学の学部長が出来るいじめあるいはパワハラはいろいろある。そのさいたるものが、昇格させないということである。大学人として、なるべき時に教授になれないということは、研究その他その人の人生を左右するくらい重要な問題である。

小説『白い巨搭』で描かれた医学部と異なり、文系では通常一定の条件を満たせば、誰でも教授になれる。私の学部では、満5年の助教授経験と「その間に刊行された専攻分野に関する学術論文六編以上(学会発表論文一編以上を含む)又は単独執筆の研究著書一冊以上を持ち」てば、教授になれる。

ところが、Y学部長は、昇格条件を満たしているのに、気に入らない数人の助教授(今は準教授という)を昇格させない。なぜ、そんなことができるのか。それは、学部長が人事権を握っているからだ。

つまり、独裁国家と同じになってしまう。


たまりかねて、私が教授会で「条件を満たしているのに昇格していない助教授がいる。どうしてなのか」と質問した。学部長の答えは、「著書がないから駄目だ」ということだった。

上の規定を読み直してもらいたい。誰が見ても「又は」だから、論文でも著書でもよいのだ。

ようするに気に入らない助教授を昇格させないために強引な論法を使ったのだ。高等教育機関の学部長がこんな乱暴な論理を弄ぶとは信じられない。が、大学でこんなことが現実にまかり通ってしまうのだ。

大学でいじめはあるのか。

学生間のいじめは20数年の勤務期間で1件だけあった。加害学生を呼び出して注意するとそれだけでいじめは終わった。いじめが、起るのはあるていど閉鎖的な集団で、そこになんらかの不満が鬱積している場合である。

大学生の場合には、サークルでも入れば別だが、集団としてのまとまりがあまりないのでいじめは発生しにくい。


では教員間でいじめがあるのか。大学は会社程ではないが、閉鎖的で、不満が溜まっているから当然いじめは起る。ただ、教員は一応教育者だから、良心によってどこまで自制できるかだ。


私が経験したのでは、ある教授から理由がないのに電話で罵倒されたことだった。まだ、大学院生で反論が出来なかったから、我慢したが、公衆電話のボックスではらはら涙が流れた。

聞いた話では、挨拶しても無視されるシカトや自分だけに昼食の時間を与えられないということもあるらしい。


しかし、ここに書きたいのはいじめと言うより、今の言葉で言えば、パワハラである。

その際たるものが、昇格させないということだ。

これについて書く。

もう一紙の記者は、もっと熱心に追求してくれた。

大学当局にも出向き、本人のY学部長にも取材を申し込んだが、本人は逃げ回ってしまって、大学当局も困ったらしい。しかし、ここまで誠意をもって取り組んだ記者には深く感謝している。ここに書けないようなこともあるのだが、このブログはY学部長個人を攻撃したいのではなく、むしろ大学を取り巻く環境がいかに甘いかを告発することにあるので、ここで止めておく。


前にも書いたが、大学の問題は、植芝元教授の盗撮事件や学生の大麻事件のように刑事事件にならない限り、マスコミの関心を引かない、つまり世間の関心を引かないと思われているということだ。


もちろん、有名企業内で生じているいじめや不当労働行為なども陽の目を当たることは稀だから仕方がないことかもしれない。しかし、教育機関という次代を育成する大学などの機関についてはもっと厳しい眼が向けられてよいのではないかと思う。


次は学部長による昇格させないといういはば「いじめ」について書く。