解雇理由で翻訳がないということに対しては、翻訳があることを明らかにし、専門的過ぎるというのは、専門的でどこが悪いというと、学部長以下黙ってしまった。翻訳に関しては、そういえば、先生から翻訳書を貰ったことがあるなどと言い出した。あげたことなどなかったけれど。


個別の解雇理由が反論されると、次には「総合的にみて駄目だ」といいだした。確かに総合的というのは便利な言葉である。反論ができない。


そこで、総合的に駄目だと言われてもなにがなんだか分からないというと、とにかく「総合的に見て駄目だ」という。私の後で何人かやはり不当解雇されたが、いつも「総合的」という言葉が使われた。便利な言葉だと学習したのだろう。


結局は水掛け論になり、私は解雇されてしまった。


このあとのことは差しさわりがあるから、伏せるが、もちろん、不当に解雇されて黙っていたわけではない。

昨日書いたように、定年延長否認という形で解雇されたのだけど、解雇理由が、驚くべきものだった。


延長の否認は委員会が決定したのだと学部長がいうので、「否認の理由はなんですか」と聞いた。何かいろいろ言っていたけど、もっとも肝心な研究業績の否認理由が驚いた。

学部長はこういった。

「先生は、翻訳がない。また、研究が専門的過ぎる」。


翻訳がないというのは、事実誤認。延長する時に、履歴書に研究業績表をつけるのだけど、私の社会科学の分野では、翻訳は業績とはいえないので、業績表のうしろの方に記入していた。それを、見落としてしまったのだ。初めから否認する積りだったのだから、ろくろく見もしなかったのだろう。


しかし、もっとびっくりしたのは「専門的過ぎる」という理由。専門性がないという理由なら分かるが、専門的過ぎるといって非難するなど、大学の教員ならありえない。これは褒め言葉だからだ。


反論したら、どういったか。それは明日書く。

実は、事前に解雇されるという情報をある人から知らされた。本来、解雇か否かは、委員会で決めることだから、事前に分かるのはおかしいのだけれど、委員会は学部長の言いなりだからこういうことになる。


その人は「学部長に謝罪したらどうか」というアドバイスをくれた。アドバイスは嬉しいけれど、謝罪など出来るわけはない。

しかし、何人かの友達に意見を聞いてみた。「生活があるのだから、頭を下げても仕方がないではないか」という者もいた。たしかに、金銭的なことを考えると、かっこのいいことばかり言っていられない。でも、その時思ったのは、学生の顔だ。講義では、偉そうなことをいっていて、実際は理不尽に簡単に屈するのでは、学生に会わせる顔がない。そこで、アドバイスを断った。


ここで解雇の運命は決まったも同然だった。

そして、案の定、定年延長を否認され解雇された。

これまで書いてきたような、昇格をさせないという「いじめ」も当人にとっては、結構辛いものがある。給与における教授と助教授の差は、それほどないから金銭的な辛さではない。

研究業績において、助教授より教授の方がすぐれていると思うのは、世間の誤解である。しかし、世間はそうは思わないし、研究者仲間ですら、そうは思わない。だから、辛いのである。


しかし、金銭的にダメージを与える最たるものは解雇である。

大学の教員は恵まれていて、大学が存続している限り、リストラはないし、セクハラや犯罪を犯さない限り首にはならない。いくら、横暴な学部長でもこれは出来ない。職員は島流しにされることはありうるが、教員はない。その学部に雇用されているからである。


そこで、気に入らない教授を解雇するのは、定年延長の際である。定年延長は私の学部では数年延長するのが慣例である。そこで審査がある。ここでも教授昇格と同じように、研究業績、教育業績、学部貢献などが審査される。審査があるけれども、形式的である。よほど問題がない限り、教授になった時点で、これらの基準をクリアしているのが普通だからである。

しかし、教授昇格をさせないのと同じように、定年延長を認めないということはできる。


そこで学部長は、私が定年を向えると、延長の否認をした。待ってましたということだろう。

明日からはこれについて触れる。

Y学部長の、業績や経験関係なし、ただ自分に忠誠を誓うか否かだけで決められる教授昇格に屈服する教授は多い。

しかし、中には毅然とあるいはたんたんとY学部長のいじめに屈しない教員がいる。


今大学には外部評価といって、第三者が大学の施設や教育内容などいろいろと評価する制度が出来た。何年かに一回行われる。私の学部の評価報告に「年齢が高いのに教授になれない助教授が何人かいる。なぜなのだろう」と書かれた事があった。


その教授になれない助教授たちこそ、屈しない教員なのである。同期の教員が教授になっているのに、いつまでも助教授でいるのはやはり辛いと思う。しかし、彼らは、学部長におもねることはしない。


不思議なことに彼らは、教授になった教員よりもはるかに、研究業績も多く、学生にも慕われている。私は影で応援するしかないのだが、彼らは、教員として立派だと思う。これまで、大学教員のマイナス面ばかり書いてきたがこういう教員もいることを忘れないで欲しい。