ブログネタ:幸せってなんですか? 参加中
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犬が満足していることが出来れば、本当は人間は幸せのはずなんだと思う。
犬が幸せそうなのは、食べている時、寝ている時、散歩で野放しにされる時、人間にかまってもらえる時
でしょう。
人間も同じだと思う。
だから、幸せは身の回りにあるという青い鳥の話は本当だ。

犬の幸せなんて空しいと思うのは、若いからだろう。

私のように歳をとると、食べる、寝たい時に寝る、話し合い手がいれば、もうそれで十分幸せ。
情けない幸せなんていわないで欲しい。

幸せの極意はここにあるのだから。

みじめさから逃れるために、よくやられるのは、クラブやホストクラブで誉めそやしてもらうことだろう。

うそだとわかっていても、褒められればみじめさから脱却できる。

人から無視される人間が、ブランドもので身を固めるというのもあるだろう。


でもこういうのは、無駄だとは言わないが、一時しのぎだし、結局は、酒が冷めたあとのような悪い気分が

残るだろう。


みじめさから脱却するには、『己が道』を持つしかない。難しいけどこういう人は一杯入る。

マニヤックに趣味に生きてもいいし、ボランティアに情熱を燃やすのもよい、また宗教のような世俗的な価値とは無縁な世界に生きるのもよい。


これが出来れば、人と比較しないで済むから、間違いなくみじめさから逃れられる。

過保護な親、大学にも という記事が朝日に大きく載った。

「教科書はどこで買うの」

「休むので先生に伝えてください」

という親がいるというのである。

これはもちろん極端だろう。


私も以前入学式に予想の3倍くらいの親が来て呆れたことがあった。

当時は、大学生は大人だろうという思いがあったからだ。


しかし、最近はそう思えなくなった。学生が幼稚化したのと意欲がなくなったのが原因だ。

それで、クラスの学生指導には、父兄と連係プレーを考えることあり、実行もした。

親と共同作戦をしなければ、学生指導が出来なくなるからだ。


新聞には過保護者の実例として以下の例が挙がっていた。


今日は休講だと子供が言っているが本当か

成績を教えない。進級したのか

バイトばかりしているようだが授業に出ているだろうか


こんな質問をするくらいわが子に関心を持つ親は私なら大歓迎だ。

学生は子供だという認識をしなくては駄目な時代になった。

今日のヤフーを見ると、人気ドラマ「ごくせん」に和田という精神科医がクレームをつけて話題になっているようだ。

不良は心が綺麗で、進学校の生徒は、暗い攻撃性を秘めているという描き方は、間違っている。勉強する生徒の方が、統計的にまともだ。

といっている。


この意見は一般論としては正しい。

賛否はあるようだが、私は二つのことを思った。

一つは、勉強しない生徒(不良ではない)の方が心がやさしいといえなくもないということだ。それは、阪神大震災のときボランティアをやった進学校の生徒はほとんどいなかったという事実。

第二に、あんな漫画ドラマで進学校の生徒は暗いなどと思う人はいないということと、勉強嫌いな子が自分たちのよい面を感じられるのならよいではないかということだ。


ドラマは、みていてほっとするものがあればいいのではと思っている。




みじめな気持ちは、人との比較から来るんだね。

まあ、例えば、1000円持っている人が、10000万円もっている人の前に出るとみじめだけど、

その1万円持っている人が、100万円持っている人の前ではみじめなのだ。

みんな比較から来る。比較するのは人間の性質だから、しょうがない。


昔魯迅という人が精神的勝利法ということをいった。周りを見回すと無意識にこの勝利法を使っている友達がいるのではないか。

勝利法 例をもてない男に取ると

1 今はもてないが昔はお前よりもてもてだったと思う。

2 今はもてないが、そのうち偉くなってお前よりもてるようになると思う

3 もてるとかもてないとか人生の大事に比べればつまらないことだと思う

4 お前より、俺の友達ははるかにもてると話す


どうだろうか。

続きは明日