釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -49ページ目

感動した・・・『パーリニッバーナ 終わりからの始まり』

5年も前に出た本だけれど、今頃読んで、素晴らしいと思った。


あまり一般向けの本を書いておられないので、
下田正弘先生のことをよく知らなかった。
『シリーズ大乗仏典』『新アジア仏教史』の編集をしていらして、
その両方がえらく面白いので、
この『パーリニッバーナ 終わりからの始まり』を読んでみた次第だ。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=00811722007


「シリーズ仏典のエッセンス」は、
初期仏典を一般向けにやさしく解説したもので、
数年前にスッタニパータとダンマパダのやつを読んだ記憶がある。
いま思えば、前田專學先生が責任編集で気鋭の仏教学者が書くという
たいそう贅沢なシリーズだ。しかも1000円+税という安さ。


細かいことでなくて、その仏典が言わんとしていることや、
私たちの生にどう関わるのかという本質に切り込むのを意図して、
「仏典のエッセンス」が編まれたのだと思う。
ただ、数年前の私は仏典そのものをちゃんと読んでなかったので、
このシリーズを読んでもピンとこなかった。


いま「パーリニッバーナ」(=漢訳でいうと遊行経、
岩波文庫では『ブッダ最後の旅』)を知ったうえで
この下田先生の本を読んで、いろいろ発見したし、感動した。


体裁は初心者用に見えるけれど、むしろ、仏典自体は読んだ人や、
半端に仏教用語を知ったすれっからし(私だ)が読むべきものだと思った。


もう明け方だ。中身に触れるパワーがないので続きは後日・・。


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行=形成作用って何なのさ?

こんなことに興味がある人が何人いるか知らないが

「行」がよくわからない。


十二縁起の

無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死

の「行」はたいてい「形成作用」と説明されているが、

形成作用って何?とますますわからなくなる言葉であった。


昨日の続きで、『新アジア仏教史03 仏典からみた仏教世界』の2章で、

馬場紀寿先生がこんなふうに書いていて、へえ、と思った。


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無知に基づいて生じる「行=諸形成作用 samskara」は、
バラモン教において「自己を作り上げること samskriti」と

同じ意味の語彙である。

バラモン教でも仏教でも作り上げることによって次の生存が起こる。
ただし仏教の場合、作り上げることは無知に基づく、
と付け加えるのである。


(※梵語がうまく表示されずアルファベットになってしまいますが)

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バラモンは、祭式によって次にいいところに生まれ変わるのが良いこと。

でも仏教では、次に生まれ変わってもロクなもんじゃない、

もう生まれ変わらずにすむ方法を教えよう、と説くわけですね。


それから、仏教でいう四つの苦、「生・老・病・死」は、
ウパニシャッドでアートマンを形容する
「不正・不老・不病・不死」を反転したものという指摘(後藤敏文氏)

も重要だと書いていた。


そのように同じ語彙を使っていると、

当時のバラモンをはじめインテリ層は

「ああ、あのことね」「バラモンに喧嘩売ってるわけね」というのが

すぐにわかったりした・・・はすですよね?


しかし、一概に喧嘩を売っていたわけではなくて、

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バラモン教の世界観を批判する一方で、
初期経典における在家信者の生活規定は従来のバラモンの生活規定と
ほとんど変わらず(中略)
言説としてバラモン思想を批判しつつも、
実際の実践としては穏健な立場をとり、倫理的立場を固守したという点で、
行為の善悪を否定するシュラマナと一線を画していたのである。


(同書より)

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あんまり書くのもあれなので、同書を読んでみてください!



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「ブッダの言葉」認定をめぐる難しさ(新アジア仏教史03)



新アジア仏教史03 仏典からみた仏教世界』(佼成出版社)を
やっと読み終えたが、おもしろかった。

以下は「第2章 初期経典と実践」(馬場紀寿著)の備忘録。


昨今、「お釈迦さまの本当の教え」的な話が人気だ。
阿弥陀・観音勢力の強い日本にあって、いわゆる初期仏典を
”本当”に近いと見るのはざっくりいって正しいと思うし、
私も”本当”を知ってびっくりした過去があるのだが、
その本当具合は一筋縄でいかないことがだんだんわかってくる。


・お釈迦さま自身が書いた仏典はなくて、弟子が口頭で伝えた
・しかも、その後に教団分裂でできた各部派が作った仏典
 (主に説一切有部と、上座部=スマナサーラ長老のとこです)
 しか残っていない

・その部派も、認定「ブッダの言葉」をいろいろ追加していった



岩波文庫に入っているパーリ語仏典の訳が”本当”っぽい=古いイメージが

あったのだが、それも根拠のないイメージで…。
靴の底から足を掻くじゃないけれど、
お釈迦さまは近づくほど遠くにいってしまうのでした。


しかし、この馬場紀寿先生(東大東洋文化研究所准教授)は、
まだ30代なのに立派なかたですね。
2008年に出たこの本はとても面白そう。
上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社)。
もう書店にも版元にもないようで、古書も1万円以上して泣けるけれど。


テーラワーダ協会の佐藤哲朗さんも激賞
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20080809/p1
これは読むしかないね。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


以下は、『新アジア仏教史』からの自分用メモなので
読んでもつまんないです。

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・お釈迦さま入滅後、わりとすぐに第一結集、という伝承。
 そのあと第二結集(部派によって仏滅後100~200年説でバラつき)。


・アショカ王(BC.3世紀)の碑文
 「7種の法門」と呼ばれるいくつかの経典名を挙げ、
 これらを学習するよう勧めている。
 少なくともこの時点で、現存経典の一部が成立または作成され始めていた。

  「律の称賛」「聖者の系譜」「未来の怖れ」→増支部に収録
  「牟尼偈」「沈黙経」「ウパティッサの問い」→スッタニパータに収録
  「ラーフラに対する教え」→中部に収録

   ※経典の比定は近代の学者によるもので誤ってる可能性もある


・教団が部派に分かれる(アショカ王の頃から徐々に)

それぞれが三蔵(経=四阿含・律・論)をまとめて「ブッダの言葉」と認めていた。 多くの仏典が後代に伝わったのは、説一切有部と上座部大寺派


ここで三蔵が揃ったのだから、仏典編纂をやめればよさそうなものだが、
その後も各部派が、次々と「ブッダの言葉」を加えていく。


・説一切有部が「小阿含」または「雑蔵」と呼ばれる経典集をまとめる
   「感興偈」「到彼岸」「長老偈(テーラーガーター)」
   「長老尼偈(テーリーガーター)」「義品」「牟尼偈」などの韻文経典
    
   この「雑蔵」に加えて「菩薩蔵」を編纂して、
   三蔵を五蔵に拡大しようとした系統があったようである。
   さらに、在家信者に人気のある経典を集めて「大経」と呼ばれる
   経典集を編纂していたことも明らかになっている。


・上座部も同じように「ブッダの言葉」を追加していった
   三蔵成立後も、まず「本生(ジャータカ」が、次に「無碍解道(むげげどう)」
   「義釈」「経集(スッタニパータ)」「法句(ダンマパダ)」「感興偈」
   「如是語」「天宮事」「餓鬼事」「長老偈」「長老尼偈」「譬喩」が追加された
    これらが小部としてまとめられ経蔵が5部に(遅くとも5世紀初頭までに)
      ↓
    ブッダゴーサ(430年前後)が登場。
  経蔵を5部にする定義を積極的に認めつつ、三蔵を「全てのブッダの言  

  葉」と定義。それ以外の仏典(もちろん大乗仏典も)をブッダの言葉と認めな 

  いことに。


・仏典を拡大し続けた系統と、仏典を閉ざした系統の両方が存在した
     例えば法蔵部は三蔵に「呪蔵」「菩薩蔵」を加えて五蔵に
            (同書年表ではBC.200年頃)

おそらく大乗仏典も、こうした部派の経典制作という流れの中から発展したのであろう。



   


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