「ブッダの言葉」認定をめぐる難しさ(新アジア仏教史03)
『新アジア仏教史03 仏典からみた仏教世界』(佼成出版社)を
やっと読み終えたが、おもしろかった。
以下は「第2章 初期経典と実践」(馬場紀寿著)の備忘録。
昨今、「お釈迦さまの本当の教え」的な話が人気だ。
阿弥陀・観音勢力の強い日本にあって、いわゆる初期仏典を
”本当”に近いと見るのはざっくりいって正しいと思うし、
私も”本当”を知ってびっくりした過去があるのだが、
その本当具合は一筋縄でいかないことがだんだんわかってくる。
・お釈迦さま自身が書いた仏典はなくて、弟子が口頭で伝えた
・しかも、その後に教団分裂でできた各部派が作った仏典
(主に説一切有部と、上座部=スマナサーラ長老のとこです)
しか残っていない
・その部派も、認定「ブッダの言葉」をいろいろ追加していった
岩波文庫に入っているパーリ語仏典の訳が”本当”っぽい=古いイメージが
あったのだが、それも根拠のないイメージで…。
靴の底から足を掻くじゃないけれど、
お釈迦さまは近づくほど遠くにいってしまうのでした。
しかし、この馬場紀寿先生(東大東洋文化研究所准教授)は、
まだ30代なのに立派なかたですね。
2008年に出たこの本はとても面白そう。
『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社)。
もう書店にも版元にもないようで、古書も1万円以上して泣けるけれど。
テーラワーダ協会の佐藤哲朗さんも激賞
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20080809/p1
これは読むしかないね。
以下は、『新アジア仏教史』からの自分用メモなので
読んでもつまんないです。
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・お釈迦さま入滅後、わりとすぐに第一結集、という伝承。
そのあと第二結集(部派によって仏滅後100~200年説でバラつき)。
・アショカ王(BC.3世紀)の碑文
「7種の法門」と呼ばれるいくつかの経典名を挙げ、
これらを学習するよう勧めている。
少なくともこの時点で、現存経典の一部が成立または作成され始めていた。
「律の称賛」「聖者の系譜」「未来の怖れ」→増支部に収録
「牟尼偈」「沈黙経」「ウパティッサの問い」→スッタニパータに収録
「ラーフラに対する教え」→中部に収録
※経典の比定は近代の学者によるもので誤ってる可能性もある
・教団が部派に分かれる(アショカ王の頃から徐々に)
それぞれが三蔵(経=四阿含・律・論)をまとめて「ブッダの言葉」と認めていた。 多くの仏典が後代に伝わったのは、説一切有部と上座部大寺派
↓
ここで三蔵が揃ったのだから、仏典編纂をやめればよさそうなものだが、
その後も各部派が、次々と「ブッダの言葉」を加えていく。
・説一切有部が「小阿含」または「雑蔵」と呼ばれる経典集をまとめる
「感興偈」「到彼岸」「長老偈(テーラーガーター)」
「長老尼偈(テーリーガーター)」「義品」「牟尼偈」などの韻文経典
この「雑蔵」に加えて「菩薩蔵」を編纂して、
三蔵を五蔵に拡大しようとした系統があったようである。
さらに、在家信者に人気のある経典を集めて「大経」と呼ばれる
経典集を編纂していたことも明らかになっている。
・上座部も同じように「ブッダの言葉」を追加していった
三蔵成立後も、まず「本生(ジャータカ」が、次に「無碍解道(むげげどう)」
「義釈」「経集(スッタニパータ)」「法句(ダンマパダ)」「感興偈」
「如是語」「天宮事」「餓鬼事」「長老偈」「長老尼偈」「譬喩」が追加された
これらが小部としてまとめられ経蔵が5部に(遅くとも5世紀初頭までに)
↓
ブッダゴーサ(430年前後)が登場。
経蔵を5部にする定義を積極的に認めつつ、三蔵を「全てのブッダの言
葉」と定義。それ以外の仏典(もちろん大乗仏典も)をブッダの言葉と認めな
いことに。
・仏典を拡大し続けた系統と、仏典を閉ざした系統の両方が存在した
例えば法蔵部は三蔵に「呪蔵」「菩薩蔵」を加えて五蔵に
(同書年表ではBC.200年頃)
おそらく大乗仏典も、こうした部派の経典制作という流れの中から発展したのであろう。

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