枕元に置くべき『ブッダのことば スッタニパータ』
人間・ブッダの言葉に一番近いものが記されていると思われる、最初期のパーリ語仏典。基本中の基本。
15年ほど前に、ほとんど仏教の知識がないままに読んだときはよく意味がわかりませんでした。
でも、だんだんわかってきたような・・・。
クリスチャンが聖書を枕元に置いて読むように、
スッタニパータを毎晩何節か読むつもりで、枕元に置い ています(置いてるだけ)。
この仏典は一部を除いて漢訳されてないので、
中国でも日本でもずっと知られていませんでした。
もし、もっと早い段階(平安時代とか)に日本に入ってきていたら、
日本の仏教もまた違う展開になったのではないでしょうか。
パーリ語仏典が面白いのは、比喩や情景描写が
インドくさく豊穣なところです。
たとえば、
無花果(いちじく)の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、
諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、
この世とかの世をともに捨て去る。--蛇が脱皮して旧い皮を
捨て去るようなものである。
この仏典が書かれた頃は、まだ寺院はなくて、
修行者たちは樹の下とか、岩窟とか、庵にいます。
無花果、菩提樹、鳥の声、虫たち、蛇、牛、激しい雨や泥や川・・・
そういった荒々しくて豊穣な自然の中で、
弟子たちはブッダの教えを聞いたのでしょう。
想像すると、うっとりしてきます。
そういう南方的な自然の中で、
「諸々の生存状態のうちに堅固なものはない」という発見をするのは、
中国や日本の風土で感じる仏教と、また一味違うような気がします。
中村元さんの訳が、いま専門家筋でどう評価されているのかは知りませんが、
とりあえず、中村先生、訳してくれてありがとうございました!
(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳 岩波文庫)
423の金言 『いきなりはじめるダンマパタ』
「ダンマパタ」(漢訳だと法句教)は、もっとも古いパーリ語仏典のひとつで、
「スッタニパータ」に次いで人気がある(?)ようです。
この本は、一般の人向けの講座をまとめたもので、
いろいろ脱線したりするのですが、そこが読みやすい。
「ダンマパタ」には短い金言が、全部で423コ書かれていて、その最初のものは
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う――車を引く牛の足跡の車輪がついていくように。
中村元先生は、「心」と訳しているけれど、
筆者の釈徹宗さんは、「精神の働き全体」という意味だと書いています。
確かに。
しかし、ブッダが入滅したあと、300~400年間は
文字にしないで口伝で伝えていたというのだから、
インド人の記憶力恐るべし。
( 釈徹宗著、サンガ)
烏のように厚かましい
恥を知らず、烏のように厚かましく、図々しく、
ひとを責め、大胆で、心の汚れた者は、生活しやすい。
(ダンマパタ 244)
恥を知り、常に清きをもとめ、執着をはなれ、慎み深く、
真理を見て清く暮らす者は、生活し難い。
(同 255)
ゴールデンウィークのあいだ、やっと一息ついて平静を取り戻し、
この数ヶ月のストレスフルな日々を思いました。
不況下のサバイバル戦だからとはいえ、
恥を知らずに売れゆきに執着して、烏のように厚かましくそれを喧伝して、
ちょっとひとを責めたりもしました。
恥を知り、慎み深くあるためには、
(物乞いになる勇気がないならば)、
せめて窓際に飛ばしてもらうしかないのかなぁ・・・。