人の人生には思わぬ不条理に巻き込まれるブラックホールがあるものだ。
昨年6月に起きたあおり運転で家族4人が死傷した事件の初公判が行われている。
事件のあらましはこうである。
昨年6月5日午後9時半頃、パーキングエリアで通路を塞ぐように車を止めて煙草を吸っていた男(石橋被告)に被害者(萩山嘉久さん)は注意した。
嘉久さんは夫婦と子供二人の家族4人でディズニーランドへ行った帰りであったという。
注意されたことを逆恨みした石橋被告は車を急発進させて嘉久さんの車を追い、約700mの区間にわたって、規制速度を40キロ近く超えながら妨害を4回繰り返し、追い越し車線上に停車させた。車を降りた石橋被告は車のドアを開けさせると、嘉久さんの胸ぐらをつかんで「けんか売ってんのか。殺されたいのか。高速道路に投げ入れてやんぞ」などと怒鳴り、車外に引きずりだそうとした。
直後に大型トラックがワゴン車に追突し、嘉久さんと妻の友香さんが死亡、娘2人もけがを負った。
朝日新聞より引用
この裁判で争われるのは、危険運転致死傷罪に問えるかというポイントであるそうだ。
初公判では、石橋被告は事故直前のあおり運転はおおむね認めたとある。
検察側としては一連のあおり行為に事故の原因があるとして危険運転致死傷罪の成立を主張。
同時に危険な場所に車を止めさせ、萩山さん家族をその場に留まらせたことから、監禁致死傷罪でも起訴している。
一方、弁護側は、危険運転致死傷罪については、「自動車が走行していないので成立しない」として無罪を主張している。
また、監禁致死傷罪についても、「監禁には当たらない」として検察側の主張を退けている。
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なにおーっ!!!
法律というのは、過去にあった事柄をふまえて出来て行くルールで、これから起る様々な問題や事件に関して用意されているものではない。
明らかに石橋被告の狂気の行動が萩山さん家族に甚大な恐怖と悲惨な結果をもたらしたことに間違いはなく、被告の罪はその4人の被った恐怖と絶望を考えただけでも相応の重い懲罰を与えるべきであると思う。
と、いうより、もう2度とシャバに出してはいけない。とさえ思う。
なによりも、こういった「本人」の人生への不満感が、関係もない他人にぶつけられる不条理が、世の中では度重なり起るからである。
つまりは、はけ口を探している。そういったたぐいの犯罪である。
それを思うと、この事件は人ごとではないのだ。
いつ何時、それが自分の身に降りかかるかもしれないのだ。
裁判とは、過去の事例を見ながら、そこから出来上がった法律に準じて人を裁いて行くものである。
しかし、この事件を冷静に見てもなお、危険運転致死傷罪は当てはまると思う。
2台はエンジンを止めていたとしても、すぐにまた運転を継続する場所にいる。
しかも、そこは、みだりに車を停車などさせては行けない場所である。 そういう意味でも運転継続中と言っていいだろう。
だとすると、その車は停車しているのではなく、「停車させられていた」のであり、危険運転致死傷罪だけでなく、当然、監禁致死傷罪にも当てはまる。
そして、止まっているはずがない場所に車が停車しており、突っ込んだトラック運転手に対しても石橋被告は危険運転傷害罪が成立すると思われるし、その運転手に与えたトラウマに対してもその罪はけして小さくはないと思う。
そして亡くなった萩山さん夫妻の現場での緊張と恐怖は想像するわたしたちにも十分に伝わってくるし、怪我をした娘さんも「このままでは殺される。と思った。」と話している。
致死傷ではなく、殺人を予告しているともとれる発言をしているし、被害者はその恐怖を感じている。
自分の「内側」に向けた怒りを、他人に吐き出すような人間には、断固厳しい判決を下してほしい。
人間が社会の中で暮らして行くということのひとつのルールは、「出来るだけ他人様には迷惑をかけないで生きる。」ということなのだから。(もちろん、社会が支えるべき方たちもいますが。)
この事件、最後まで見届けたい。
萩山さんご夫妻のご冥福をお祈りするとともに、残されたご家族もどうか、心を強く持って前に進んでもらいたいと、祈る。