2024年の夏休みはこれ! 動画作りました。
なんたかんだ言ってさぁ。2日かけて笠ヶ岳まで来たけどさぁ、結構長かったし、アップダウンもそうとうあったよね。
だったら笠新道で一気に登って来た方がその時大変でも8時間くらいでここまで来れるならそっちの方が楽なのかもね。
そう言ったのは、チャリだった。
だってさぁ。鏡平山荘まで5時間かかったでしょう。それで鏡平から笠ヶ岳山荘まで7時間かかって、それで登ったり降りたりが結構あったよね。
だったら一日で上がって行った方が回復も早そうじゃない?
でもわたし達じゃ8時間で笠新道で着かないよ。
10時間かかると思う。と、わたし。
小屋に着いてなっちゃんオレンジ500円也、を談話スペースで飲んでいると、3時くらいから次々と団体さんのパーティが到着してくる。
ガイドさんが明日の予定など一通り説明し終わると、談話室が俄かに賑やかになってくる。
笠新道を上がってきたグループもいて、大変だったと話しながらも元気である。年齢はおそらくわたし達より上な感じで70代前半くらいに見えるが、みなさんイキイキしている。
アドレナリンが出まくっている。
そうなのかなぁ。笠新道の方が2日かけて疲れるより、1日で一気に来た方が疲れが蓄積しないのかなぁ。などと考えていた。
ジュースを飲み終えて雑魚寝部屋に行くと(ここでは大部屋8人用の部屋だった)足先が向かい合わせになっている男性も笠新道を上がってきたのだという。聞けばひとりでの山行で、笠新道がキツかったのでバテてもう頂上にも行かない。明日でいいやと思ってるんですよ。みなさん元気にしてるんでびっくりですよ。明日も動けるかどうか。。そうとうあちこち痛くなると思う。などと話している。
そうだよね。。。やっぱりこんなに遠くまで来て。しかも笠新道はほとんどが登りの長〜い道。疲れないワケがない。
この方が普通である。気がつくと、その方、布団の上でぴくりとも動かなくなっていた。撃沈。
笠ヶ岳頂上が雲から顔を出すと、疲れ果てているにもかかわらず、わたしは一目散に外に出た。
頂上までは小屋から10分程度だと聞いて、空身で登る元気くらいは残っていた。再び登山靴を履いて笠ヶ岳の先っちょにとりつく。
その10分の登りはほぼ岩で、ゴロゴロ転がった岩の固まりを、時に階段のように、時にしがみついて上がっていくのだ。
小屋に着く前の岩の登山道では、小雨混じりになってきて、歩みが牛のようなわたしを叱咤激励していたチャリは諦めて先に行ってしまい、ひとりでフラフラになりながら牛歩で小屋に到着したのだが、なっちゃんオレンジが効いたのか、頂上までの空身ではブーたれずに登って行けた。
しかし頂上はガスっていて景色はゼロ。
高校生の山岳部の学生たちが晴れるのを待っていた。
2897mの頂上は風もなく、寒くもない。見渡しても雪渓もない。
以前なら夏でも雪渓はあっただろうし、気温もかなり低かったんではないか。日本の天候は相当に変わっている。
ガスがさーっと晴れて少しだけ景色が現れる時があったが、全景が見られそうになかったので、あきらめて小屋に戻った。
そして翌日。
もうほぼ登りはなく、長い下りが続く道、と、思っていた。長い道のりでも、心臓をイジメない下りならなんとか降りていける。。。
6時出発でスタートし、笠新道を下り始めた。
テン場まで降りると山岳部の高校生たちがテントをたたんでいた。
それを横目に進んでいく。
最初は大きな岩の積み重ねを越えていく。手で支えられる高さはないので岩に立つ足はぐらつく。慎重に慎重に岩の塊を踏み締める。
この日は晴れて、これから下っていく稜線がなだらかなカーブを描いて遠くまで続いているのが見渡せる。
下りなので喘ぐこともない。やっぱり下りは気持ちいいなぁ。などと思いながら快調に進む。
途中何度か山岳部高校生に抜かれては抜き返し、何度も出会う。そこは中高一貫の学校らしく、後発の新人たちを連れているチームがもう一つあり、そのグループを所々で待機して待つのである。後発のグループには中坊の1年生らしき子もいて、背もまだ伸びていない男の子は先輩たちに守られながら一生懸命連なっていた。
先発隊は後ろが追いつくとすごい勢いでザッザッザッと斜面をあっという間に降りていく。それがまた、忍者みたいである。
岩場が終わるとハイマツの樹林帯になり、そこも眼下の景色よく、空は晴れて快適な稜線が続く。
この分なら、意外と早く下までいけるかも。。。なーんて余裕な気持ちになっていた。
3時間を越えたあたりで笠新道を登ってくる人たちとすれ違うようになってくる。
みんな全身汗だくでマジ顔である。こんにちはー。と言っても、。。ちは。。。くらいしか聞こえてこない。
やっばり登りはキツそうだね。とすれ違う人に会うたびにチャリと声を交わした。
杓子平というポイントにつくと、また先発隊の高校生が休んでいた。後ろがなかなかこないので時間を持て余している様子である。
地図をみたらあとは森林帯を下るだけのようだ。ほぼ細かいカーブの急踏らしい登山道がゴールまで続いている。
しかし、実はそこからが地獄の黙示録だったのだった。
えんえんと、そしてまたえんえんと、それでもまだえんえんとくねくねと下る道は続く。いくら進んでも終わりが見えない。。。えんえんと、、、またえんえんと。。。。えんえんと。と、一句。
森林帯を2時間歩いて、あとどれくらい続くのか途方もない気持ちがした。
足がすでに踏ん張れなくなっている。ポールで体重を支えながら降りるが、足が言うことをきかない。。バランスを崩しそうになる。
足に力が入らなくなってそれがあまりにも辛い。ここで転んだりしたくない。一歩が慎重になり、歩みがまた遅くなる。
うしろからチャリが、オラオラー、ちゃんと歩けよォ!!と檄を飛ばすが、それにブーたれる余裕もなし。顎から汗が滴る。
ただひたすら、このツラさを早く終わらせたい。その一心で足を動かした。
小屋を出てから7時間、笠新道の登山口に到着した。た、た、、助かったぁー!!
入り口にある湧水をがぶ飲みして、頭から水をかぶった。
あんなに水が美味しかったことはない。
13年前への念願のリベンジ。
本当に登りはキツいし、下りはツラい。
だけど、頑張れば、ゴールはちゃんと、そこにある。。。
あっ。駐車場まではそこからさらに1時間だった!! キビシィーッ!!!
今回の笠ヶ岳登山計画に関しては、かなり慎重になった。
なんたってすでに若くない。
それでもって多少若い?頃からの ヘタレ山好きである。
山登りが好きなのかというと、登りはキツい、と思う。
じゃあ下りが好きなのかというと、下りはツラい。
山が楽しいなと思うのはそれらをすっ飛ばして、山の稜線歩きが気持ちいいのである。
しかしだ!
2500m以上の山々が連なる北アルプスは、その稜線まで行くのが大変なのである。
なんだったらロープウエイでそこまで連れてってくれるなら、それが一番いい、のかもしれない。
笠ヶ岳には笠新道という直登の登山道があり、ほぼ7〜9時間ほど、とにかく登り続けて進む近道コースがあるのだが、登りが苦手なわたしとしてはそれが(おそらく)9時間も続くとなるともう帰っては来られない。
なので、そこまでをくの字に向かう鏡平を経由して弓折乗越を通って稜線沿いに笠ヶ岳に向かう道を選んだ。
それと深夜に車で新穂高温泉に向かい、早朝から歩き始めるというハードスタートはやめて、朝出発して昼に新穂高温泉登山口から1時間ほどのところにある、わさび平小屋に1泊することにした。
そうすることで鏡平山荘までの道程が短くなるし、寝不足のまま長時間登るということを避けられる。
北アルプスはコロナ以降、それまでの山小屋の在り方をガラリと変えた。(その後他の山小屋もみんなそれに続いた。)
それまでは山小屋は、基本予約なしでも泊まれる何かの時のセーフティネット的な役割を持っていた。
急な天候の変化や、疲労などのアクシデントを回避するため、山小屋は定員以上になっても泊まりたい登山者を受け入れる必要があった。
なので、夏の繁忙期などは、普通に「布団1枚に2人ね。」などと寝床を割り振られた。「布団1枚に3人ね。」と、言われた事態もある。
それがコロナ後、まず、山小屋は完全予約制になった。
そして料金は約、倍になった。ほぼ一律、15000円。これを高いと思うか、妥当だと思うかはそれぞれ意見が分かれるところだと思う。
しかし、わさび平小屋も鏡平山荘もトイレを全て洋式にして、建物もリノベーションしてキレイに快適になっていた。
北アルプスはヘリでの物資の運搬が可能なので、利用者から充分なお金が入れば、宿泊者に対する還元が充分になるだろう。
ただ、それが払えない人たち、又は払いたくない人たちは、テントを背負って行かなければならない。
山は場合によって過酷である。
ならば、セーフティネットとしての山小屋の役割はどこへ行ってしまうんだろうか。
ともかく、山では3泊して笠ヶ岳に登頂した。めでたし。
弓折乗越の稜線は天空散歩であったが、思っていたよりアップダウン激しく、笠ヶ岳山荘までかなり時間がかかった。
到着してもアドレナリン全開で楽しそうな他の登山者たちを横目に500円也のなっちゃんオレンジを放心状態で飲んでいた。
今も昔も山の天狗にはなれてはいない。
山から山へと続く稜線を歩くのが楽しいと知ったのは15年くらい前からだと思うが、ある時、チャリが6泊7日の北アルプスの縦走を計画した。
その前年には初めて北アルプスの縦走にチャレンジし、新穂高温泉からわさび平を抜け、槍ヶ岳のシルエットが美しい鏡平、鯨の背中のような双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、天国の庭園と呼ばれる雲の平、日本最高標高にある温泉の高天原温泉を結ぶ稜線を歩いて面白かった。
天気に恵まれ青空の下を、ある時は喘ぎながら、ある時は鼻歌を歌いながらの天空散歩の贅沢な遊びを知って、縦走の楽しさを知った。
そして翌年の6泊7日の計画は、北アルプスの逆側、つまり富山側にある室堂を出発点とし、立山の雄山を拝み、五色温泉で湯に浸かり、スゴ乗越、薬師岳、太郎岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六小屋から弓折乗越を越えて笠ヶ岳まで、という6泊7日の大縦走を計画したんだった。
当時はまだ週2~3回くらいは走っていたし、スポーツクラブ通いもしてたし、多少は若かったのでやる気まんまんでスタートしたのだった。
忘れもしないその準備をして新宿発の深夜バスに乗る前の暑さ。これから何日も同じモノを着続けないといけないというのに、アゴから汗が滴り落ちた。
眠ったのか眠れなかったのかわからない夜が明けると室堂に着いていた。
東京の気温が嘘のように、しんと冷えた空気の室堂を出発して、ゴールの笠ヶ岳を目指して歩き始めたのだった。
(13年前の記録、つけとくもんだな!! )
歩いて行く稜線の先に常に見えていたのはゴールに待ち受ける笠ヶ岳だった。
お姫様が被るような編笠の美しい形をした山で、凛々しく先鋭的な槍が岳も北アルプスの王者であろうが、笠ヶ岳もまた他を寄せ付けない優雅な美しいシルエットを持っていた。
2500mの天空の空に映えて、歩く視線の先には常に笠ヶ岳が佇んでいた。
何がいけなかったんだろうか。ちゅうか、やっぱり山をナメたらアカン。
日をめくる度に全身疲労がボディブローのように効いてきて、太郎小屋から黒部五郎小屋までのコースは中でも1番の長距離なのだが、歩いても、歩いても小屋に着かず、結局10時間くらいかかって小屋に到着したんではなかったか。
途中で出会ったおじさんが心配して小屋の外でわたしたちが到着するのを待っていてくれた。
その頃から顔がむくんで目が腫れぼったくなり、呼吸も浅くなってきた。肺が膨らまない。山に入って4泊目。
今から思うと高山病だったのか。
チャリはそれでも笠ヶ岳に向かいたいようだったけれど、まともに呼吸が出来ず、肺に空気が入らない気持ちの悪さで双六小屋で絶不調。笠ヶ岳を断念した。
ルートを変更して、翌日はヘロヘロで新穂高温泉登山口に降りた。
笠ヶ岳への分岐となる弓折乗越では、しょんぼりした背中でベンチに座る写真が残っている。。。
笠ヶ岳へのゴールは持ち越しになったまま、何年も時が過ぎていった。
おまけに確実に年もとり、体力的にも深山に入る北アルプスは「もうムリかねー。」と話には出るが実現させられるとは思えない。。。
しかし、今年の夏休みはその思いを叶えるべく、笠ヶ岳にチャレンジを決めたのであった。そう。今やらないとハードルはもっと高くなる。。。
あの時、ずっと笠ヶ岳をゴールと決めて、その姿をずっと見つめながら歩いた。
だから、なんとしても、そのゴールを踏もう。
その稜線を踏みしめに行こう。
つづく~~ 。
とにかく走るのはツラいのよ。
走るのが楽しくて楽しくて、と、走ることが習慣になっていたのはいつのことだったか。。。
今では走ることに対してのハードルはめっちゃ上がった。
いつまで走れるのかなぁ。。。と躊躇しつつもその時期が来るとエントリーはする。。。
山中湖1周とは言えど、練習なしで参加するのは無茶すぎる。
慎重派のわたしとしては2月頃から走り始めた、、、、のだが、走ることに対してなかなか積極的になれない。。1週間に1度か2度、それでも風邪をひいて練習を中断したり、雨が続いて走らなくて済むことにほっとしたり、ランスマ見て急にやる気になったり、昔はツラいなんてちっとも思わなかった13.6kmが、遥か遠くに思えるのだ。
それはねぇ。億劫になったってことよ。億劫って、年取る一番アブナいとこよね。と、同い年のハガちゃん。
山中湖ロードレース、コロナで中止を2回除いて毎年参加していたのと、チャリの十二指腸潰瘍でのうちのドタキャンがあり、今年で27回目になるらしい。チャリは25回目。
気がつくと30年経ったことになる。
そりゃあ、トシ取るわけだ!!
そして歴史にもなっている。。。
今年はなんと、モモちゃんが中学1年生になり、山中湖1周コースに初エントリーした。
まだ1歳にもならない頃からお宿の畳に転がされていたあのちっちゃかったモモちゃんが、身長158cmになって、後少しで背丈も抜かされそうだ。
前日は学校の運動会で800mも走ってきたそうだ。
一緒に走る日が来るなんて夢みたいだ。
そんなこともあって、今年も絶対ゴールに辿り着きたい。
それだけをモチベーションにして、とにかく少しずつ練習はした。走ってる人は、たかだか13キロくらいで大袈裟な。と思うかもしれないが、還暦もとうに過ぎた身には心臓も、関節も、気力も、いろんなカタチでガタがくるのである。
前日はキノシタチームが運動会で、わたしとチャリは渋滞を避けて5時起きで下道を行き、8時には山中湖についていた。ガストで新聞を読みながらゆっくりし、富士吉田のお肉屋さんとスーパーで食材を買い、天祥庵でお蕎麦を食べてから、チェックインまで時間があるのでゴール地点の小学校まで散歩がてらに歩いて行った。
小学校は例年イベント広場になっていて、スポーツグッズやウエアなど激安のワゴンなどが出ていたりするのだ。チャリがランニング用のサングラスをなくした、というのでそんなものでも見てみようと出かけたわけだが、なんとなく、人通りが少ない。いつもなら土曜日も人でごった返しているのだが、ゼッケンや完走Tシャツなどをコロナから郵送で事前に送るようになったので前日に誰もここに来る必然がなくなってしまったのだ。
嫌な予感は的中し、なんと、小学校内に入れないようにKEEP OUTのテープが張られて、見張りのおじさんたちも立っていた。ガーン、、!
ワゴンもテントもへったくれもない。閑散とした現場。。。
散歩だし、まぁいいかと気を取り直し、2時にペーパームーンのドリームケーキを受け取りに行く。
ここのケーキは半端なくデカい。そして夢のように美味い。
毎年の前夜祭デザートに買っていたのだが、テイクアウトはコロナのせいで予約制になっていて、昨年は買えなかった。今年は大量に買い込んで宿にチェックイン。
荷物をあれこれ運び込み、ご飯を作るのも早すぎるし、温泉にでも行って来るかと出かけて見ると、いつも行く石割りの湯が臨時休館となっていた。なぜだ!! ガーン、、!
そんなこんなで全員集合となって、さぁて、いつもの花月園で晩餐がはじまる。
今回走るのはキノシタさん、初出場のモモちゃん12歳、イチゴちゃん、バンさん、まきちゃん、ハガちゃん、チャリ、わたし。
応援団は、ヒロちゃんとハナちゃんだ。
イチゴちゃんとまきちゃんはときどき走っていた。と話していたが、バンさんは今回はねー。ダメ~。1回も走ってない。と、自慢げに言う。
ハガちゃんに至っては、今回はとうとう1回も練習しなかった~。走る気力が湧かないのよね。。。ランニングシューズを出したら去年の山中湖のタグがそのままついてた~。夫には 靴もお前も壊れるぞって言われたけど、冗談にならない。。。と話していた。
でも、当日は楽しく走るしかない!!
朝起きると外は雨。ちょっと暖房も付けたりして、外はもっと寒いかも。。
去年から、孤独にひとりで走るのをやめた。もう、ロードレースは無理だなぁ、と、 思っていたが、みんなで走ればコワくなかった。
ひとりがトイレに駆け込むとみんなで湖を眺めたり、写真を撮ったりなんかして待つ。
みんなトイレが近いので、途中途中で心拍数を整えられる、というワケ。
まわりを見渡すと、みんな思い思いのペースで楽しそうに走っている。走る時もおしゃべりもできたりして。
いよいよハーフのキノシタさんがスタートして、今年はモモちゃん、ハガちゃんも加わって6人で団子になってスタートの列に加わった。
とにかく!! 2時間我慢すれば終わるから!! と、みんなで声をかけあってスタートした。
その頃には雨も上がり、雲はあるが爽やかな空気である。
余裕のモモちゃんはマキさんと少し先を走っていて、少し離れると歩く、を繰り返している。
ハガちゃんとわたしはゆっくりペースを崩さないように同じリズムで走っていく。
練習では8キロくらいから歩いてしまうことが多かったが、4.5キロ過ぎた!!3分の1が終わったよ!! とか、7キロの表示があったね。半分来たよ!! とか、9キロ過ぎてあと残り3分の1!!とか声をかけ合って、いつのまにかゴールが近づいていた。
1周のコースの曲がり角が過ぎると、ここからは気力だね。と、ハガちゃんと、最後の坂道を二人で気合いで登っていく。
どちらかが歩きそうになると、どちらかが合いの手を入れる。はっはっ。(ハガちゃん)はっはっ。(タツ)はっはっ。(ハガちゃん)はっはっ。(タツ)
大きな声の息を吐きながら、足を前に出して、腿を上げて、この坂道をありったけの動力で登っていく。
今までこの坂をこんなに足を上げて上がって行ったことはなかったなぁ。
ゴール手前でDJの私らを励ます声が響く。みんなてを振って声援に答えてる。
思わずハガちゃんと手を繋いで、残る全速力でゴールまで走った。
、、、って、そんなに走れるなら最初から本気だせよ!! 、、、、ってか。
しかし、ひとりじゃないレース、やっぱ。来年もエントリーしたくなってる。。
モモちゃんもバンさんもまきちゃんもイチゴチャンも4人で繋がってバンザイポーズでゴール!!
やっぱりさぁ。いろんなことに億劫になるのはやめよう。
動いてみると、内側からパワーって、湧いてくるんだ。