自分に勝ちに行く!!

自分に勝ちに行く!!

聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。

 

 

 

 

バレンタインデーに寄せて

 

そんなわけで、子どもの頃から映画好きだった。(どんなわけじゃ。) 


父と一緒に蕨劇場にも行ったし,たくさんのハガキを、洋画の窓という、12チャンネルの深夜番組に出して,試写会も見に行った。けっこう出すヒトが少なかったのか,当たるモンだった。 

昔は、ペアチケットではなくて、試写会のハガキは、ひとりしか入れない。そんな時も、母は、付いてきた。(と、いうより、連れて行ってもらった。か。) 
はがきを、もぎりのヒトに渡して,わたしはここで待ってますから。と母が言うと,もぎりのヒトは,いいですよ。一緒にお嬢さんとご覧ください。と言って必ず中に入れてくれた。母も確信犯だったと思うけど,入れてくれなくても,母なら,待っていたろうな。と、思う。 

小学6年の時に小さな恋のメロディがブレイクして、子ども達にも,外国人のアイドルが出来た。マークレスターだ。 
ビージーズのメロディが耳に残る。何度か期間を開けながらヒットを出している彼らの、2波の時代だ。(1期目はホリディとか、マサチューセッツ、3期は、大好きなサタデーナイトフィーバーの時。) 

そのころから、スクリーンとか、キネマ旬報とか、映画の雑誌が目につくようになった。 

アランドロンとか、チャールズブロンソンとか、ハリウッドスターがグラビアページを飾った。さらば友よも、かっこよかったなぁ。 

ちょうど中一くらいの時に当たった試写会のハガキで、ロミオとジュリエットを父と見に行った。この時は、ペアチケットだったのかな ? 父がゴリ押しで入るのを見た事がないし、そのたぐいを器用に出来そうにない。 

オリビアハッセーの、信じられないほど美しいジュリエットと、ちょっと四角い顔のレナードホワイティングの、なんとも悲しい愛の物語だった。話の途中から、泣き始め,最後は号泣していた。 
家に帰ってからも,寝ても覚めても,ロミオとジュリエット。 
あの時の感動をもう一度とばかりに、スクリーンも買い始めた。 
スクリーンの後ろの方に載っている、アヤシい通信販売の、ブロマイドも買った。 
今見ると,どこが良かったんだろう?と、思うくらい、真四角の顔の、レナードホワイティングにぞっこんになり、下敷きにはさんで,毎日眺めていた。 

死をもいとわない、狂おしい恋。かけた命よりも、なお、大切な他人。 

幼いながらに、こんな人間関係があるのか、と、激しく胸を打たれた。 

ヒトを恋する事に、漠然としたあこがれを抱いた。 

それがきっかけとなったかはわからないけど、買い始めたスクリーンにイラストを添えたハガキを出した。 
そのハガキは、翌月のスクリーンに掲載されていて、驚いた。 

洋画の雑誌なのに,なんでか、12単衣のお姫様を書いたような覚えが。 

この12単衣にフックがあったのか、写真を付けてなかったからなのか、50通ほどの手紙が、届いた。 

たくさん届いた手紙だったが,話をしてみたいと思うヒトは、ひとりしかいなかった。 
そのヒトとは,何年か文通を続けて,今も、年賀状の交換をしている。 

会った事は一度もない。 
でも、これも、ひとつの出会いであり,つながりなのだと、とても、大切に,思っている。

 

バレンタインデーに寄せて。。

 

中学時代初期のわたしは、めがねをかけていた。 
おまけに、長く伸ばした髪を、ダサく、太い三つ編みにしていた。 

もっさりと、サエナイ、中学生の出来上がりだ。 

この頃の写真は,以前,遊びに来た友達に発見され,死ぬほど笑われた。、、、わたしも、つい、つられて、笑った。 

そんなわたしが、恋していたのは,ひとつ学年が上の、エンドー君だった。(そう、ちょいと前の話しの続き。) 

エンドー君の卒業する少し前に,わたしのハートに矢がささり、エンドー君に恋をした。彼は卒業してしまい,そのまま一年を、持ち越した。その当時の、気まぐれの年頃にしては,執念深い、恋ゴコロだった。 

エンドー君はサッカー部に入っていた。校庭で,走り回っている,シロ茶色のスポーツ狩りに、訳もなく、ココロときめいたものだ。 

最初、わたしは,剣道部に入り,( 学校始まって以来の女子部員だった。)下校する時は,何気なく、もたもたして、サッカー部の終了を待ったりした。 

帰り道は,いつも、バスケット部のコンキと、タカ坊と一緒だった。コンキは、登校時も待ち合わせて,毎日一緒に通っていた。 

ごくたまに、エンドー君のグループのひとかたまりが、一言二言話しかけてくれる事もあったりしたので、そんな幸運が,今日も訪れないかと,帰り道は,ワクワクと、うれしかった。 

しかし、わたしは太い三つ編みの、めがねをかけた、デカイヤツで、(そのころは、エンドー君より,大きかったような気がする。) 
エンドー君の注目を得られるような要素は、悲しいほどに,なかったと思う。 

しかし、悲しいかな,経験を積んでいない、その頃の、無垢なわたしは、自分の事を、まるで客観的に見ていなかったと思う。 
今でこそ,じっくりと自分を客観的に判断し,多少のゴマカシは出来るようになったが,幼い頃は,自分をプロデュースすることなんて、全く、思いもよらない。 

自分を知らないまま,&、相手とのコミュニケーションが、ほとんどないまま、バレンタインデーに、チョコと、一ヶ月かかって編んだ,焦げ茶色のマフラーをあげる事にした。(ここまで、読んだだけで、わたしだって、無謀だという事が,今ならば,わかる。) 

コンキも、バスケ部の先輩の、モリタさんに、チョコをあげるというので、お互いに,渡す時に付き添うことになった。 

当日は、寒かった。(2月だし。) 
部活が終わった頃は,日も暮れて,薄暗がりの中を、いつものように、サッカー部の団体と、バスケ部の団体の後ろを歩いた。 

大勢いるので,恥ずかしくて,声をかけられない。コンキが、渡さないと,帰っちゃうよ!!と言うが,(コンキは、スムーズに、人目にもつかず、大成功で渡せていた。) 行け!!と、押されると,すごい力で,コンキにしがみついた。 

しょーがないねー。わたしが渡して来てあげるよ!! と、言って,コンキが、わたしのプレゼントを持って、走って行った。 
袋を渡して,わたしを指差している。サッカー部の2年生全員が,こちらに注目していた。 

頭の芯が、ぐにゃぐにゃになって、気が遠くなりそうだった。 

、、、と、後日談。 

取りあえず,わたしのキモチは,エンドー君に伝わった。そして、ほかの2年生のサッカー部員、全員にも,わたしのキモチは、伝わった。(これは、ほんとにタイミングを逃したわたしのせいで、コンキのせいではなかった。) 

歩いていて,階段で,ほかのサッカー部の2年生に会うと,エンドーくーん、と、からかわれた。 

そして、当のエンドー君本人は,廊下の先の方に,姿が見えて,こちらにわたしがいることに気がつくと,くるりと振り向いて,もと来たコースを戻ってしまうようになった。 

階段で、はちあわせても、逆コースへ戻って行く。 
まるで、逃げるようだった。、、、フラれた。(当たり前か?!) 

そんなにまでして、嫌わなくても,,,。 

そんな仕打ちを前にして,始めての恋の挫折を味わった。 

自分の何が,いけなかったか,何が,悪かったか、何が,足りなかったか,ひたすら考えた何ヶ月間があった。( けっこう内省的な性格なもンで。) 

これも、また、思春期。 

その挫折を乗り越えられた頃,めがねをはずし、見えない視界で、外を歩くようになり,三つ編みもほどいて、髪を長く垂らした。 
ヒトから見える自分のコトも、意識するようになった。 

ちょっとだけ、己を知る、ようになった。

 

 

 

シンドー君のあとにも、ちらほらとお気に入りのオトコの子はいたと思うが,かなり、長い期間、恋いこがれていたのは、エンドー君だ。 

これはさかのぼると、小学校5年生のとき。 

2月か,3月に,その年の良い歯のコンクールで、代表に選ばれた。 

わたしは昔は歯が良かった。その頃は,抜き打ちで,サフラニンテストなる、食紅を歯につけて,磨いているかどうかのチェックをされる時があったが、夜更かしして,歯なんか磨かないで、寝てしまっても,朝食事していても、サフラニンテストで、歯が赤く染まったことはない。 

エナメル質がしっかりしているらしく、磨かなくても,ツルツルしていた。 

さすがに今は,磨かないと気持ち悪いし、虫歯も治療のあとがあるが,その頃は虫歯の一本もなかった。 

それで、別の小学校で、とりおこなわれる,表彰式に出かけたのだった。 

その時,一学年上のエンドー君と、一緒に行った。話したこともない、知らない人だったので、先生と,エンドー君と,静かに並んで歩いた。どこまで行ったのか,覚えていないが,徒歩で,かなり、歩いた。30分近く、歩いたように思う。 

エンドー君は,顔中そばかすだらけの、色白な、オトコの子で、スポーツ狩りにした髪の色も、シロ茶っぽい、色だった。 
ちょっと、外国の、ブサイク系のオトコの子みたいな感じ。(わんぱくフリッパーという外国のTVドラマがあったが、それに出てくる,バド、に似ていた。、、、知らないだろーなー。) 

町中の良い歯の子供が、勢揃いして,表彰状や、トロフィーをもらった。 

わたしも、6位に入賞して、トロフィーをもらった。それは、小さいものだったが,すこし,重たかった。(今となっては、どこにあるのか、わからない。) 

会が終わって,すこし暮れかかった帰り道を、また、先生と,エンドー君と帰った。わたしは,表彰状と,トロフィーの入った箱を持っていた。 

持ちにくそうにしていたのか、それに,気がついて,エンドー君は、持ってあげようか?と、言って,トロフィーを持ってくれた。 

そして、着ていたジャンパーのジッパーを開けて,そのトロフィーの入った箱を、大事そうに,お腹にしまい込んでくれた。 

わたしは、ありがとう。と、言って,エンドー君を見た。 
彼は,そばかすだらけの顔をくしゃっと崩して,いいよ。と、言ってくれた。そばかすの中に、顔がなくなってしまうような、いい笑顔だった。(どんな笑顔じゃ!) 

この笑顔が,わたしのハートに火をつけた。その瞬間、ドキンとした、気がする。 

別れ際に,その、暖まったトロフィーを受け取って,訳もなく、うれしかったことを覚えている。 

6年生の卒業が近く,そのあと、卒業記念(?)のフォークダンス大会が催された。卒業式のイベントだったのかも。なんだったのか,よく覚えていない。 

エンドー君は、卒業して,蕨第一中学に行ってしまう。お別れだ。 ( っつーか、それまでの間も,無交渉。) 

5年生と,6年生は、同じ輪の中で踊る。わたしは、なんとか、エンドー君と,オクラホマミキサーを踊れないかと、神様に祈るようなキモチだった。 

練習の時は、合同ではない。本番は,一回こっきり。 
コロブチカの曲が流れて,輪になった男女が左右にパートナーをすり替えて行く。近くに見えていたエンドー君は,どんどんと、遠くに移って行ってしまった。 

そして、オクラホマミキサー。今度は、逆回りで,エンドー君は,どんどん近くに見えてきた。 
あと、もう少し,もう少し,と、ドキドキした。 

曲が,このまま、終わらずに,続け,続け。と、祈った。 
あと、4人、5人、あ、あ、あと、3人だ!! 

と、思ってたところで、ご想像の通り,見事に音楽は途絶えた。 

エンドー君は,ごく,近くにいる。彼は,全く,意に介していなそうだ。 

そこで、また、音楽。お約束の、マイムマイム。だんだよー!!! 

なんだか、やたら陽気な音楽に振り回されながら,わたしの恋は,1年を繰り越すことになるのであった、、、。 

続くーー。

 

バレンタインデーに寄せて。。。

 

幼稚園の時に,同じ組だった、シンドー君に恋したのが,思い起すと,初恋だったのかなー? と、思う。 

近所に住んでいて、いじめっ子のオオクラ君(?)と、いつも一緒にいたオトコの子だ。 

色が白くて,鼻が悪いのか,なんだよ。と、いうのを、だんだよ。と、特徴あるしゃべり方をする子だった。 

シンドー君のどこが気に入ったのか,今、考えても,よくわからない。 

誕生パーティをすることになり、母が,わたしが呼びたいお友達に,招待状を作ってくれた。(4月2日生まれのわたしは、クラス替えの前に誕生日が終わってしまう為,あまりお祝いを友達からしてもらうことはなかった。これは、記憶に残る,小さい時の誕生日パーティだ。) 

何人かのお友達と一緒に,シンドー君も招待した。 
近所だったので、母と一緒に,招待状を届けに行った。 

当日,母は、買ったばかりの、箱形のオーブンで、(コンロの上に乗せて使う,全く旧式のもの。)スポンジケーキを焼いてくれて,それに、ホイップクリームを2段重ねで塗ってくれて、ケーキのようなもの、を作ってくれた。 

部屋も,折り紙を輪にして繋げ,飾り付けした。 

こんなに、華々しい誕生日パーティは、子供時代は,これだけだったと思う。 

時間になると,お友達が,つぎつぎにうちにやってきて、ちらし寿司や,サンドイッチや、卵焼きなどが、並べられた。 
わたしも、持っているおもちゃは,全部ひろげて、みんなをもてなした。 

時間がすぎても、シンドー君は,来ない。 

ちょっと、こどもゴコロに、ドキドキ、ワクワク、していたのに、会が始まっても,シンドー君は、来なかった。 

シンドー君が,来ていないことを、母に伝えたいのに,恥ずかしくて,伝えられない。でも、ココロは、そのことで、いっぱいになっていて、ちっとも、楽しめない。 

そんな感じで,時間が過ぎた。 

食べ物も,なくなって,ケーキにも、ろうそくが立てられて,皆におめでとうと言われながら,吹き消した。 

ケーキも、切り分けられた。 

来なかったシンドー君を思って、ブルーな気分のままだった。 

さて、お誕生会も、そろそろおひらき,という頃に,こんにちはー。という女の人の声がした。 

ハーイ、と言って,母が出て行く。 

すみませーん。今日,お誕生会に呼ばれてること,忘れちゃってて,わたし、出かけちゃってー。それで、子供に留守番言いつけていて、、、。この子,出かけられなくて,ずっと、泣いてたみたいで、、、。 

横には,激しく泣きはらした、シンドー君がいた。(まだ、幼稚園生。) 

会は、終わってしまっていたので,泣きはらしたまま、シンドー君は,お母さんと帰って行った。 

その日の、お誕生会は,気もそぞろで終わってしまったが,わたしのココロは、満たされていた。 

ここに、シンドー君も,来たかったんだ。ここで、シンドー君も,遊びたかったんだ。 

それが、わかっただけで,わたしはとても、ほっかりした。

 

 

 

 

わたしが子供だった頃、ちまたにはさほど情報も多くなく、TV番組も映画も大人も子供もおんなじものをみていたような。。。 

だから、時間ですよ!では8時台でもお父さん向けのサービスタイム(入浴シーン)があったり、時代劇では女が帯をくるくると巻き取られて手込めにされる、などというシーンも普通に見ていた。木枯らし紋次郎、セクシーで、子供心に好きだったな。。。 

町の映画館には大人も子供もみんなで見に行った。

 

https://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10628443356.html

大人向け、とか、子供向け、とか、そんなジャンルはあまり関係なかった。 

宵っ張りのこどもだったわたしは母と一緒に深夜映画を幼稚園くらいで見ていた。 
禁じられた遊び、とか、ジェルソミーナの道とか、わんぱく戦争とか。 
まだ価値観も定まらない時期に内容をどのくらい理解していたのか不明なのだが、それでも今あるわたしの一部になっているのだと思う。

https://ameblo.jp/ni3tttym/entry-11455625305.html

蕨映画館には父が映画好きだったのでときどき連れて行ってもらった。 

怪獣映画ではゴジラにでてくるザ・ピーナツの小人の双子がファンタジーで大好きだった。 

おそらく映画館ではなくて、夏休みにTVで見たんだと思うが、何気なく見てあまりに恐ろしく、そのあと、夜、しばらく寝られなくなった映画がある。 

円谷映画の怪奇もの「マタンゴ」という映画である。ご存知だろうか。。。 

この映画でのトラウマはずっと長く続いたが、いつだったか、なにげなくチャリが「マタンゴ」の話をし始めてビックリしたことがあった。 

なんと、チャリも子供の頃に「マタンゴ」を見て恐ろしく、トラウマになった、と言うのである。 


茨城にそのとき行ってたんだけどさぁ。田舎の家だったからトイレが外なんだよ。あんなの見せられてさぁ。夜トイレに行くのがほんとに怖かった。。。という。。 


わたしはその記憶をとどめたまま、高校生くらいの時になぜか再放送されていた「マタンゴ」をふたたび、見た。 


ストーリーは「東京島」をホラーにしたような作品である。https://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10658306121.html

https://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10658303619.html

金持ちの若者たちがある日、ヨットで海に繰り出して難破してしまう。 
たどり着いたのはジャングルのような無人島である。 
彼らは食料やそこに住む人間はいないかと探しまわるが、その島には奇妙な形をしたキノコの群生が繁るだけであった。 

探してきたものの中にやはりこの島に漂着したものたちがいたことを示す数々が残されていた。しかし、その人間たちがここで暮らした形跡がない。 

やがて、持っていた食料が底をつくと、若者たちは群生するキノコを食べるようになって行く。 

そしてそれを食べたものたちは、欲望の化身のように、むきだしになっていく、、、のであった、、、が、、、、!!!!! 

ギャアーッッツツツッッッツツツッ!!!! ダメッツツツツ!!! ダメッツッッッツツ!!! 
それを食べたら、、、アッアッあぁあーーーーーーーーッツ!!! 

トラウマ必至、、、の、この恐怖。 


小学校低学年くらいの時に見たような気がするが、そんな頃にあんなオソロシイものを見たのかと思うとゾッとするほど怖かった。 

怖いのは、キノコではなく、むきだしになった人間の醜さ、なのであった。。。 

今見ても、絶対、オソロシイと、思う。 
文句なく、合格、です。

 

 

 

 

 

2015年04月30日 リブログ

 

子供の頃に見た子供番組やアニメには、自分の倫理観や価値観を作るに至った影響力があったのだと思う。 

今ではオブラートに包んだような表現しかされなくなっているかもしれないが、わたしが子供のころ、アニメにもいじめなどは平気で出て来た。

貧乏や差別や嘘や偽善や暴力なんかも、物語の中に当たり前のように出て来て、そんなものを何気なく目にしながら「世の中」には、説明出来ない不条理なものがあるということを感じていたように思う。 

録画してあったのだけどまだ見ていなかった是枝裕和監督の2005年に発表された  ドキュメンタリー番組「シリーズ憲法~第9条・戦争放棄・忘却」を見た。 

是枝監督が「誰も知らない」の作品の国際映画祭をいくつかまわる世界旅行の際に、かねてよりテーマにしてみたかったという日本の国家をドキュメンタリーで描いてみる。という試みの実現として作った作品であると後のインタビューで話していた。 

最初は天皇制について描いてみようと思っていたけれど、小泉元首相が憲法の条文を、前文(戦争放棄の箇所)を割愛してイラク派兵のための文言として使ったことに、衝撃を受けたという。小泉元首相の一種高揚した表情を見て、非常に危ないなと思った。と、語っている。 

それで、憲法を扱おうということになった。スポンサーからは、両極の見方を取り入れて作ってくれと言われたそうだ。どちらかに偏ると、このテーマの場合、放映する場が少なくなる。 

それで、各国の映画祭を回りながらかつての世界大戦の傷跡を取材することと、あわせて自分の個人史として、その中にある戦争、その反省、そして憲法へと思いを進めてみることにしたと語っていた。 

ドキュメンタリーは、思ったように進まないのが面白いんですよ。最初の予定通りになっちゃったら、それこそ、つまらないものになってしまうと思うんだけど、ながらで撮って、それくらいの力の入れ方が、このテーマにはちょうどいいんじゃないかと思いましたね。。。 


そのドキュメンタリーのなかで、一番印象深いのは、是枝監督が子供の頃に見て忘れられない衝撃を受けた、という「帰って来たウルトラマン」の第33話「怪獣使いと少年」という話である。 

これには、ちょっとの話の説明であったが、わたしも衝撃を受けた。 



戦争で両親を亡くした孤児の少年が、ある時、怪獣ムルチに襲われ、それを金山老人が助ける。 

金山老人は実はメイツ星人で、地中に埋まってしまった宇宙船が見つからず、自分の星に帰れないままになっていた。 

少年は金山老人のために一緒に穴を掘り始めた。 

しかし、少年の奇行に、周りからは少年が宇宙人であるとの噂が広がり、執拗ないじめに遭うようになる。子供達からは殴る蹴るの暴力を受け、大人からはパンも売ってもらえない。。 

悪いけど、よそで買ってちょうだい。と、追い返される。 

しかし、そんな中でも、少年を気遣う人はいた。 

坂田アキはパンを買い、少年を追ってパンを譲ってあげる。 
少年に優しくしてくれたのは、金山老人と坂田アキだけであった。 


少年が宇宙人だと言う噂に町中の大人たちも大騒ぎし始め、少年が取り巻かれているところに金山老人が自分こそ宇宙人であると告白する。 

大人たちの視線は恐怖と興奮に変わり、金山老人をボコボコにしたあげく、ついには警官が発砲する。。。。!!!! 

金山老人であるメイツ星人は怪獣ムルチを封じ込めていたのだ。 

その死によって、怪獣ムルチが地中からはい出して暴れだす。。。!!! 

そして。。。。。!!!!!! 


確かに、この話には、人間の愚かさが描かれている。 

差別意識、集団意識、自主規制、排他主義、、、。。。 


昭和30年代にはまだ声を大にしては言えないそんなものが、日本人の根幹に残っている。 
(多分、今でも。) 


是枝監督は、各国を回り、その中に「戦争への忘却」を見つめる。 

戦死して行ったものは「英雄」ではない。どちらの国の戦死者も、愛する家族を持つ、普通の人間であった。

9.11の犠牲者の碑には、亡くなった人の名前の上に「9.11の英雄たち」と 記されている。
その脇に、「わたしの息子が他の国の誰かの息子を殺すための理由になって「英雄」などと呼ばれたくない。」と書かれたメモが貼られている。。。

たくさんのユダヤ人が収容所へ送られたウイーンでも、ユダヤ人墓地は荒れ果てていた。 

民間人も巻き込んだ沖縄では、アメリカ人兵士も、在日の人の名も、沖縄の民間人も、日本人兵士も、全員の名が分け隔てなく石碑に刻まれているという。 


忘れてはいけないものはなにか。 

歴史を振り返ると、確かに、教えられるものがある。

はっと、気がつくことがある。
そう、忘れてしまっていることに。。。

わたしたちは、振り返り、考え、足踏みをしながら進む必要がある。 

そして、先のドラマの興奮する大衆の集団意識の中にいても、まっすぐに透明な瞳で前を見つめることではないかと思う。 

正しいと思うことを、言い続けられるかどうか、見つめ続けられるかどうか、、、、。

坂田アキが、しなやかに、そうしたように、、、、、。

自分の培って来た価値観と倫理観で、考えて行きたいと思う。 

その指針には、やはり、「戦争放棄」の第9条が、真ん中に立っている。

 

2年保育の幼稚園は家の裏にあり、歩いて2分もかからない場所にあったけど、1年半でやめてしまった。

残りの半年ほどはかなり自堕落な生活をしていたように記憶している。
わたしが映画好きになったきっかけの時期でもある。

 

 

 

子供の頃は宵っ張りで、(今も。) 深夜映画などを見ては、次の日に幼稚園に行けなくなったりした。 

幼稚園をやめてしまった2年保育のうちの半年間は、たいてい、昼過ぎまで寝ていたようである。だいたい、当時、深夜映画が始まるのが、1時くらいだったんじゃないかな? 終わるのが3時なので、その頃に寝たのではないかと思う。(番組の時間割については、調べていないので、正確な時間は不明。) 
母も、一緒だったような気がするが、母は、父を送り出した後は、きっと、昼寝もしてたんじゃないかと思う。 

その頃のうちは、父の会社が建てた、掘っ建て小屋のような長屋で、トタン屋根の2階建てだった。 

隣がクリーニング屋さん、その隣がパーマ屋さん、その隣がペンキ屋さんだった。 

その長屋には小学校4年生まで住んでいた。 

長屋は、うちを建て直した後も、うちに隣接してそのまま残り、パーマ屋さんなどは、80をすぎてからも尚、パーマ屋の看板を掲げていた。話し相手がほしい、おばあちゃんの常連さんが、お客として訪ねて来ていた。毎日家の前を掃いていたし、会うと,にこやかに挨拶をしてくれた。 

80歳も過ぎた頃に、ムスメさんに説得されて、引っ越して行った。スゴイキャリアウーマンだ。 

パーマ屋さんが越してくれたので、ようやく、築50年の古い長屋は、取り壊された。 

その長屋の一角に、まだ住んでいた、幼稚園中退時代の話。

隣のクリーニング屋さんが、火事をだした。 

その発見に、一役になったのが、わたしの朝寝坊だった。 

その日も相変わらず、宵っぱりのわたしは、昼過ぎまで寝ていたらしい。日がスッカリ高くなった頃に、2階で寝ていたわたしは、目をこすりながら、起きて行った。 

わたしが降りて行くと、母が、びっくりした。 

なんと、わたしは、もくもくした煙と一緒に降りて来たらしい。 

あわてて母が、外に飛び出ると、隣の2階から、黒い煙がもうもうと出ていた。(この情景は、わたしの記憶の中に、ちゃんとある。) 

119番には誰か連絡していたのか、すぐに消防車が来た。近所中の人が集まって、バケツで水を撒いた。

放水する水で、安普請のうちの天井は落ちそうになり、近所のシミズさんのおじさんが、(長身) うちの天井が抜けないように、ずっと押さえていてくれた。 

火の手が収まった時は、家の中が、びしょぬれだった。 

わたしが大事にしていた、ボタンの目がひとつとれたうさぎが、すすでよごれて、ぼろぞうきんのように、2階の隅にころがっていた。 

畳なんかは、乾かして何日も外に干していたような記憶がある。 
天井には、取り壊すまで、ずっと、シミズさんの、真っ黒い手形がついていた。(シミズさんのうちは、鉄くず工場だった。) 

当時は、火災保険とか、あったんだろうか? 大変な火事になったが、修理されて、そのまま、長屋は使われた。 

家が乾くと、天井も抜けなかったし、畳も同じものが敷かれたのでは? ( ここのところは定かでないし、当日は、どこで寝たんだろうか?と、疑問はつきない。 ) 

とにかく、父も母も、トモコが、寝坊したまま起きて来なかったら、家は全焼だった。と、いつも、この話がでると、英雄のように、褒めたたえてくれた。 

だから、朝寝坊が悪いと、思った事はない。

 

 

 

 

追記
これをアップしたら姉からコメントが来て、その日は日曜日ではなかったとあり修正しました。

姉の談話

noteの火事の記事読みました。

あの日、学校からの帰り道、先崎さん(せんざき)のおじさんに、典子ちゃんの家、家事で大変だよ。
と言われて、急いで帰って、ビックリしました。
学校に、連絡とか無かったんですかね?
何にも知らずに帰ったからか、光景は何も覚えていないけど、二階の部屋が水浸しで、箪笥に水の染みができていたのを覚えています。
怖かったね!


私が学校からの帰り道に、甘納豆屋さんのおじさんから教えてもらって、ビックリしたのよ。

だから、平日で、間違いない。

 

 

 

 

期日前投票に行ってきたと言う友人が、「投票用紙がまだ来ていなかったから、身分証明になるもの持っていかなくちゃと思って用意していったのに、何にも見ないでスルーで投票できちゃったのよ。びっくりした。」と、話していたのを聞いて、本当に背中がザワザワしてしまった。

 

今回の選挙はこの時期に急な、一方的な首相の一言で決まった。

 

豪雪地帯の大雪、受験生たちの一番シビアな時期、そして時間をかけて準備をさせない短い選挙期間。

 

さらにそんな杜撰な選挙が罷り通ると言うのは、公正な選挙が本当に行われるのかが不安である。

本来ならば、せめて投票用紙が全国に配布されるまでは、正しく投票ができる選挙期間を取るべきのはずである。

 

何かがおかしい。何かを急いでいる。そしてそれを明かさない首相は全く信頼に値しない。

 

ふと、選挙の時に交わされるみんなの言葉が気になった。今の政権が良くないとは思うけど、他の野党で入れられるとこないよね。。。。と。

もしかしたら、この言葉、どこかで、誰かに、洗脳されていたのかも。。。と。

 

田中真紀子さんが、発言していた。

 

野党は頼りないのは当たり前なんです。だって、経験がないんだから。。。だからこそ、国民が育てていかなくちゃいけないんです。。。そうやって与党に太刀打ちできるくらいの力を持たせないと、与党に勝手をさせることになる。。。

 

10年も前になるのか。

日本国憲法施行70年のポスターを日弁連が募集しているのをたまたま見つけ、ふーん、と思い、やってみようと思った。

 

度々与党の側から発せられる耳障りのいい方法での憲法改正論が活発になっている頃で、憲法は勝手をしたがる権力から国民を守る大切な、それこそ、手放してはいけないものなのだ、と、心から気づいてほしい思いからだった。

 

コピーを考える時に、ひたすら悩んで、エッジーすぎるかな?と、思いながらもそれに決めた。

その時に上の手紙も添えた。わたしの心からの思いである。

 

絶対に金賞を取る気合いで応募したが、4位入賞に終わった。

 

しかし、これは金賞を取るために作成したものではない。

全ての人に、日本国憲法の大切さを知ってもらいたかったからだ。

 

今回のわたしの心のザワつきは、おそらくそれを何かしら感じる人には届いてくれるのではないかと思う。

 

国論を2分するような政策を、語ることなく信任をせよと言うこの国のリーダーを、わたしたちは、絶対に信頼してはいけないのだと思う。

 

応募した時は「わたしたち個人を守るのは 政治家ではなく 平和憲法です。」だったのだが、こう変えた。

 

日本国憲法施行80年 わたしたち個人を守るのは 政治屋ではなく 平和憲法です。

 

小さな波紋を揺らしてはねるうさぎに、人々の無関心を呼びさませたらと願いました。

 

しっかりと、これからの日本の未来を正しい判断で、導いてほしい。

投票所に、足を運んでほしいです。

 

書かずにはいられない気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間に日本はこんなに堕落してしまったんだろう。

 

わからなければ何をやってもOKという組織ぐるみで勝手なルールを作り、裏金を集めた自民党。

その議員たちを再び日本の未来を作るべきポジションに公認する厚顔さ。

 

おまけに統一教会との癒着まで発覚し、未だに縁を断ち切れない。

 

その自民党に合流した維新は身を切る政策と言いながら社会保険料の申請を誤魔化していた。

 

そしてこれからの選挙の結果で高市首相は、私を信任してくれれば、国家を2分するような政策を推し進める、と話した。

それを維新もアクセル役になる。と話している。

 

怖すぎる。やばすぎる。

 

信頼も何も、それが出来る誠実さを一つも持っていない2つのにわか合流組織に、国民までが、OKと言ってしまうほど、劣化してしまっているのだろうか。

 

それだけではない。メディアも腰抜けである。本当に今、ここに起こっていることを、どこの報道もダンマリなままである。

 

内閣府の車が130キロのスピードで大事故を起こし、人がひとり亡くなった事件は、その後何の報道もない。

なにか、日本が揺らぐような事柄が、私たちの知らないところで起こっている、ということだ。

 

それって、日本はすでに言論統制されているって言うことなのではないだろうか。

 

今、ここにこうして思うことを思ったままに書ける自由が、日本にはある。

なぜなら、日本には日本国憲法があるからである。

 

日本国憲法第21条によって、1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。と、2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。と定められている。

 

そしてまた、日本国憲法第14条によって、すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

と、定められている。

 

今回の選挙において、ヘイトスピーチかと思うような野蛮な発言もあり、いつから日本人はこんなに敵対心をあおるような人間性になったのかと感じたりする。

 

政治は国民が選んだ人たちが、国民の望む形の、国の運び方を審議するものである。

 

決して、他所の国の指示で、政治のゴリ押しをしていいわけがない。

決して、自分達の勝手な決定で、第三者の存在(国民全員)を軽んじるような政治はしてはならない。

 

グローバル社会においての日本の立ち位置も、辛抱強い対話を繰り返すことでしかないと思う。

弱い経済、物価高対策、消費税、少子化、人手不足、過疎化対策、そして世界に蔓延るきな臭い空気。。。。

 

この現状を本当に人気投票のような形で決めてしまっていいものか。本当にちゃんと見て、日本の未来のために、投票所に足を運んでもらいたいと思う。

 

この先の日本が、正しい方向に、進みますように。

 

祈るしかない。