自分に勝ちに行く!!

自分に勝ちに行く!!

聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。

 

 

 

 

モノゴコロついた頃は、すでに母は貸本屋をやっていた。

 

父の稼ぎをフォローするために、始めることになったんだろうか。

 

板の間の隣にあったコンクリの土間の壁面を全部本棚にしたような店のしつらえだった。

 

ちょうど劇画と呼ばれる単行本から、少女フレンドとか、マーガレット、少年チャンピオンや少年ジャンプといったわらばん紙の漫画本が刊行された頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃から宵っ張りで、深夜映画をこたつの上に座ってみる、というのが習慣になって、幼稚園は中退した。(もうひとつ、ナイショな理由もあり。)

昼間は遅くまで寝て、あとは、絵を描いて遊んだり、貸本屋だったので、漫画本を読んだりしていた。かなり自堕落な5歳児だった。

深夜映画と漫画本で、ド近眼になったと思われる。 

今のわたしが出来上がった、大きな要因になった環境だ。 

 

 

 

 

 

先日昔の記憶を呼び起こしたいことがあり、昔の記事を読み返しました。

 

すると、あの頃は鮮明に記憶していたことが、今では忘れていることが多々ある、というオソロシイ事実に愕然としました。

 

これが、トシをとるっていうことなのか。。。。

 

ああ、書いておいてよかった。。

 

それでこの時期に、記憶を呼び起こすべく、昔の自分が書いたものをテーマをまとめてアップし直そうとnote始めました。

文章もあまり書かなくなって、本もすらすら読めなくなってきているし、書かないと書けなくなってくる、というのも身に染みて感じるし。。。

 

自分の記事を読むのも活字を読む習慣になるかなとも思います。

 

よかったら、わたしと一緒に読み進めてください。

 

 

 

 

 

1972年に蕨第一中学校に入学した。

そこには蕨市立南小学校と蕨市立中央東小学校の2つの学校から生徒たちが繰り上がってきた。

 

小学校5年生から159cmの身長のあったわたしは中央東小学校では6年間女子の中で一番背が高かったが、中学校に入ってみたら、わたしよりも背の高い女子が4~5人いた。

 

世界はまだまだ広い。と、思ったものだ。

 

キミ、コヤマさん、タカボー、チーコ、コンバ。

その中に同じクラスになったノリちゃんもいた。

女子の制服は標準服、と呼ばれるボックス型の腰まであるノーカラーのジャケットにダサい追いひだプリーツスカートで、その下に丸襟の白いブラウスを着る。

 

しかし、ノリちゃんのジャケットはウエスト下のミドル丈でパネルラインでシェイプされていた。スカートもすっきりした膝丈でプリーツ巾も広めのタイプ、ふくらはぎのところでソックタッチで留めた白いソックスまで垢抜けて見えた。

お母さんに機械編みのコアラ?のシングルジャガードのセーターなどを編んでもらっていたりしていたので、制服もシルエットを直してもらっていたのかもしれない。それとも特注?

 

1年1組は問題児ばかりを集めたのではないか。と、今でも囁かれているクラスだが、どう考えてもそんな感じの無法者ばかりが集まったようなクラスで、その証拠にというように、外廊下を隔てた1階に図書室のある、離れ小島の2階に教室があった。

 

暴れん坊のユーイチ君をはじめ、そうそうたるヤンチャな男子がおり、生活指導をしている担任のイチカワ先生がいなくなるや、給食のお椀が飛び交う危険地帯であった。

 

恐れオノノいていた女子もしばらくするとそんな状況にも順応し、ハラハラドキドキの毎日を結構楽しめるようにもなった。

 

当時の子供の数はまだ結構いたようで、1学年7クラスあった。

 

ノリちゃんとは席が近く、すぐに仲良くなった。

洋画好きの2人はすぐに打ち解け、蕨駅からは京浜東北線で乗り換えなしで有楽町まで行けるので、よく銀座に3本立ての映画を見に行ったりした。(父がテアトルの株主優待チケットをたまにくれた。)

その時には中坊ながら精一杯のおしゃれをして出かけたものだ。159cmと163cmの2人はよその人からは中坊には見えなかったと思う。

 

 

 

 

マクドナルドが初めて日本進出した頃で映画の後でホットアップルパイを食べるのが楽しみだったし、ito-yaで綺麗な便箋を眺めたり、カラーインクを買ったりするのが楽しかった。

 

ノリちゃんはその後アメリカで結婚し、家を出てから何十年も日本には帰らなかったそうだ。

 

 

 

 

12~3年ほど前に、facebookでリクエストが来て、誰かわからずしばらくそのままにしていたが、のちにノリちゃんだとわかり、交流が再開した。この時ほど、facebookすごい!!と、思ったことはない。

 

 

 

 

その後2019年にヨセミテに行った時、フレズノが近くにあると知り、本当に再会も実現できた。

40年のブランクは、会った途端に巻き戻った。

 

今回ノリちゃんが日本に来るというので、それに合わせて蕨市立第一中学校の同級会をすることになった。

 

ノリちゃんの逸話はいろんな人から話が出てくる。個性爆発してたんだなぁ。

 

ノリちゃんはねぇ。なんか、あたしにとってはね、

ずっと先を言ってるって、うまく言えないけど、そういうヒトだったね。と、いうのはコンキ。

 

なんか迫力があって、とにかく、やりたいことはやる、って感じ。だけど、不良とかっていうのとは違うんだよね。

自由っていう、感じかなー。やっぱり、日本の枠には収まりきらないってヒトだったんだね。と、話していた。

 

確かに、わたしも、高校の制服着て、キンパツのボブヘアのノリちゃんに池袋駅のホームで出会して(でくわして)吃驚したり(1976年あたり)、KISSのコンサート帰りでジーンシモンズみたいな格好とメイクのノリちゃんと蕨駅で出会った時も、さすがぁ~~~。ノリちゃんやなぁ~~~。と、感心したものだ。

今ではキンパツの高校生は珍しくないが、あの頃はそうとうに飛んでた高校生だった。

 

今回は、ロングヘアーの黒髪のストレートヘアに黒のスウェットパーカーを着て登場したノリちゃんはどこか異国の雰囲気を漂わせてエキゾチックであった。

 

みんなのノリちゃんズストーリーをあれこれ聞いて、えーっ!! 覚えてなぁーい。と、連発していた彼女だが、帰り際にこっそりわたしに呟いた。

 

タツにだけ言うけどね。。。わたし、みんなの話、ぜーんぶ、覚えてたぁ。。。恥ずかしくて、覚えてるなんて言えなかったぁ。。。

 

世界は、果てしなく広く、自由だ。

一歩踏み出したら、見えてくるものがたくさんあるのかもしれない。

 

そんなふうに、ノリちゃんを見て、そう思った。

 

 
 
 
恍惚という表題をつけた作品は何年か前の女子美工芸専攻科のOGによるグループ展に出品したものですが、同窓のナオミさんのうちで飼っていた子に瓜二つだったそうです。
 
その子は何年か前に亡くなってしまい、大切な家族を失ってぽっかり穴が空いたようだとナオミさんが話していたのだけど、ご主人と娘さんが横浜の会場だったエリスマン邸においでになり、長い時間この作品を見ていてくださいました。
 
エリスマン邸の展示会の搬出の際にナオミさんの絞りのスカーフとこの作品を交換しました。家族として受け入れてもらえるのは嬉しいことでした。
 
今回の埼玉県立近代美術館に飾った恍惚の作品は、改めてまた作成したものです。
 
以前の手法は抜染で、地色を染めてから漂白糊で白場を抜くやり方でしたが、今回は防染糊で刷毛で地染めをする引き染めのやり方で作成しました。
 
ナオミさんのところにあるワンコはナオミさんの家族ですが、わたしのところにあるワンコは、長い友達の、ユウゾウ、またはコナちゃんです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
埼玉県立近代美術館の一般展示室で個展を初めて開催することが決まり、並べる作品を考えた時に、ようこそ、という言葉の布を入り口に飾りたいと思いました。
 
芹沢銈介の作品に、ようこそ ようこそと、2つのようこそを並べた暖簾があるのですが、それがとても温かい気持ちになり、好きなのです。
 
見に来てくださる方に、ありがとうございますと迎えたいと思いました。
 
麻の生地にエンドウ豆をふたつ並べて、その間にようこそ、の文字を入れてみました。
 
この会場の中を、楽しんで頂きたいと思いました。

 

 

 

 

マチダ先生はパーソナルトレーナー&鍼灸師で、メガロスではヨガとピラティス、マチダスタジオ(3年ほど前に独立もした。)ではバランストレーニングや自重トレーニングでどちらもマチダ先生に身体のバランスを整えてもらっている。

 

何年お世話になっているかはっきりとは記憶にないが、おそらく7~8年は経っているのではなかろうか。

 

2年前からチャリも加わり、マチダスタジオでは、オリジナルグループレッスンなるもので、気の合う仲間たちと結構 気合の入ったトレーニングを指導してもらっている。

トレーニング一筋の、生まれた時からトレーナーだったようなヒトである。

 

このヒトはすごい。と、一目も二目も置いている。

愛想はないが、ホンモノだ、と思うヒトである。

 

 

話は変わるが、、、。

展示会のPRのために、B2版(51.5cm × 72.8cm)のポスターは作ってみたものの、なかなか貼ってもらえるところがなく、貼ってもらうのに本当に苦労した。

まず公共のところは本当に厳しい。上からのお達しがないとダメだそうで、申請にも時間がかかる。

 

だからありがたかったのは、いつもお世話になっている美容院やお花屋さん、リフォームをお願いする工務店さん、ネイリストさん、友達の会社の同期であったオーナーさんのギャラリーのガラス扉、近所のピアノの先生、、、。田端駅前のおためし屋さんにも。。

そしてマチダスタジオのガラスの扉にも貼ってもらえた。

 

うちの近くにさとみ豆腐というお豆腐屋さんがある。

 

わたしは絹の生揚げにハマっていて、行くと必ずそれを買うのであるが、展示会もあと10日間くらい、という時に、お豆腐を買いに行った。

買った豆腐を包んでもらっている時に、何気なく脇の壁を見たら人間国宝の展覧会のポスターが貼ってあった。

ん?と、気がつくと、9月21日で開催日が終わっている。。

じっと見ていたら、お姉さんにお豆腐を渡されて、店を離れて10歩くらい歩いた後に、思い立ってお店に戻り、お姉さんに声をかけた。

 

すみません。この人間国宝のポスターなんですが、、、。。。。はい?、、、。9月21日に終わっています。、、えっ。あっ。すみません!!、、、いや、そ、、そうじゃなくて、、、これから開催するポスターを貼ってもらうことは出来ますか???  、、

 

そういうと、お姉さんは豆鉄砲のような目をして、そのまま奥にいる店長のお兄さんに聞いてくれた。

いいですよって、言ってます。。と、言ってもらえた。

 

ホントですか!! ありがとうございます!! 、、、、すっす、、すぐ持ってきます!!と、踵を返し、ヤモリテープ(シリコンで出来た糊がつかないテープ)とはさみとB2のポスターを持ってすぐに引き返し、ポスターを貼って頂けた。

 

さとみ豆腐さんはA4のフライヤーも豆腐の脇に置いてくれて、お豆腐を買いに来た人がそれを物珍しげに持って行ってくれたそうだ。

 

 

マチダスタジオがある荒川区のトミエスーパーが、リニュアルすることになり、展示会が終わる頃、マチダ先生がたまたまうちの近くまでジョギングでリサーチに来たようである。

その時に、さとみ豆腐に貼ってあるわたしの展示会のポスターを目撃したそうな。

 

ちょうどお豆腐屋さんを探していたらしく、立ち止まり、そこでわたしの展示会の話題をお店のお姉さんと話した後で、お豆腐やら豆乳やらを5000円ほど!! 買って帰ったそうだ。

展示会が終わり、一週間を空けてグループレッスンに行った時に、マチダさんがさとみ豆腐の話をし始めてビックリした。

とにかく、さとみ豆腐は豆腐研究所を謳うほど、豆腐マニアが買いに来る豆腐屋で、たびたびTVにも出る。

マチダさん曰く、極上豆乳が感動ものだった。という。それから毎日通っているらしい。

 

腹筋をしながらみんなもその話を聞いて、場所なども確認したりしている。わたしも明日買おうと誓った。

 

翌日、さとみ豆腐にお豆腐を買いに行った。

するとお姉さんが、この前ね。男性の方がお豆腐を買いにきてね。このポスターを指差して驚いてて、この展示会に行って来たんだって言ってた人がいましたよ。と言われた。

 

咄嗟に、それはマチダ先生のことだ!と、思い、あ、その方ね。男性じゃなくて、女性なんです。と答えた。

お姉さんは、いえ、いえ、女性で走って来て、たくさん買って行かれた方もいましたが、その方じゃなくて、ホントに男性です。

北浦和の美術館に行って来たけど、すごくよかったって言ってましたよ!と伝えてくれた。

 

そう言えば、昔、お隣同士であったオオタワさんにたまたま出会い、すかさず展示会の案内をお渡ししたのだった。

そして、奥様と一緒に、展示会を見に来て下さったのだった。

 

男性が来て、、、と、聞いて、マチダ先生のことだ!と思うなんて、なんて失礼な。。。

まぁ、マチダ先生も、おっさんだかナンダカわからないみたいですけどね!!と、自分のことを言ったりしているし。。。。

まぁ、よし。とするか。。。

 

、、そして、マチダ先生もわたしの展示会にいらしてくれた。

 

トレーニングでどうヒトを変えられるか?    運動で人生はどう変わるのか?  はたまた筋肉はいかにして精神を強くするのか??  

おそらくは頭の中はそんな感じなのではと思うが、ここ北浦和まで、足を運んで下さった。

 

ゆっくりと会場を回ってくださり、感想を述べて下さった。

 

それはこんな言葉であった。

 

タツヤマさんが変わったオバちゃんだとは前から思っていましたけど、こんな作品を作るスゴいオバちゃんだって、初めて知ってびっくりしました。

 

そんなワケで、この6日間の展示会の中で、一番嬉しかったのが、この褒め言葉であった。

 

長文の散文、これもまた大変失礼いたしました!!

心に、翼を持って生きる。

作品展に出した女子美のシンボルアイコン、サモトラケのニケ。

女子美術大学工芸専攻科の時の卒業制作で作ったシルクの着尺である。