自分に勝ちに行く!!

自分に勝ちに行く!!

聞くことは、人を豊かにする。話すことは、人を機敏にする。書くことは、人を確かにする。自分の心の内側を、書くことで確認して行こうと思います。つれづれなるままに、テーマもなく...?.。心の引き出しを増やそうと思います。

 

 

 

 

とにかく走るのはツラいのよ。

 

走るのが楽しくて楽しくて、と、走ることが習慣になっていたのはいつのことだったか。。。

今では走ることに対してのハードルはめっちゃ上がった。

 

いつまで走れるのかなぁ。。。と躊躇しつつもその時期が来るとエントリーはする。。。

 

山中湖1周とは言えど、練習なしで参加するのは無茶すぎる。

慎重派のわたしとしては2月頃から走り始めた、、、、のだが、走ることに対してなかなか積極的になれない。。1週間に1度か2度、それでも風邪をひいて練習を中断したり、雨が続いて走らなくて済むことにほっとしたり、ランスマ見て急にやる気になったり、昔はツラいなんてちっとも思わなかった13.6kmが、遥か遠くに思えるのだ。

 

それはねぇ。億劫になったってことよ。億劫って、年取る一番アブナいとこよね。と、同い年のハガちゃん。

 

山中湖ロードレース、コロナで中止を2回除いて毎年参加していたのと、チャリの十二指腸潰瘍でのうちのドタキャンがあり、今年で27回目になるらしい。チャリは25回目。

気がつくと30年経ったことになる。

 

 

 

 

そりゃあ、トシ取るわけだ!!

 

そして歴史にもなっている。。。

 

今年はなんと、モモちゃんが中学1年生になり、山中湖1周コースに初エントリーした。

まだ1歳にもならない頃からお宿の畳に転がされていたあのちっちゃかったモモちゃんが、身長158cmになって、後少しで背丈も抜かされそうだ。

前日は学校の運動会で800mも走ってきたそうだ。

 

 

 

 

一緒に走る日が来るなんて夢みたいだ。

そんなこともあって、今年も絶対ゴールに辿り着きたい。

 

それだけをモチベーションにして、とにかく少しずつ練習はした。走ってる人は、たかだか13キロくらいで大袈裟な。と思うかもしれないが、還暦もとうに過ぎた身には心臓も、関節も、気力も、いろんなカタチでガタがくるのである。

 

前日はキノシタチームが運動会で、わたしとチャリは渋滞を避けて5時起きで下道を行き、8時には山中湖についていた。ガストで新聞を読みながらゆっくりし、富士吉田のお肉屋さんとスーパーで食材を買い、天祥庵でお蕎麦を食べてから、チェックインまで時間があるのでゴール地点の小学校まで散歩がてらに歩いて行った。

小学校は例年イベント広場になっていて、スポーツグッズやウエアなど激安のワゴンなどが出ていたりするのだ。チャリがランニング用のサングラスをなくした、というのでそんなものでも見てみようと出かけたわけだが、なんとなく、人通りが少ない。いつもなら土曜日も人でごった返しているのだが、ゼッケンや完走Tシャツなどをコロナから郵送で事前に送るようになったので前日に誰もここに来る必然がなくなってしまったのだ。

 

嫌な予感は的中し、なんと、小学校内に入れないようにKEEP OUTのテープが張られて、見張りのおじさんたちも立っていた。ガーン、、!

ワゴンもテントもへったくれもない。閑散とした現場。。。

 

散歩だし、まぁいいかと気を取り直し、2時にペーパームーンのドリームケーキを受け取りに行く。

ここのケーキは半端なくデカい。そして夢のように美味い。

毎年の前夜祭デザートに買っていたのだが、テイクアウトはコロナのせいで予約制になっていて、昨年は買えなかった。今年は大量に買い込んで宿にチェックイン。

 

荷物をあれこれ運び込み、ご飯を作るのも早すぎるし、温泉にでも行って来るかと出かけて見ると、いつも行く石割りの湯が臨時休館となっていた。なぜだ!!    ガーン、、!

 

そんなこんなで全員集合となって、さぁて、いつもの花月園で晩餐がはじまる。

今回走るのはキノシタさん、初出場のモモちゃん12歳、イチゴちゃん、バンさん、まきちゃん、ハガちゃん、チャリ、わたし。

応援団は、ヒロちゃんとハナちゃんだ。

 

イチゴちゃんとまきちゃんはときどき走っていた。と話していたが、バンさんは今回はねー。ダメ~。1回も走ってない。と、自慢げに言う。

ハガちゃんに至っては、今回はとうとう1回も練習しなかった~。走る気力が湧かないのよね。。。ランニングシューズを出したら去年の山中湖のタグがそのままついてた~。夫には 靴もお前も壊れるぞって言われたけど、冗談にならない。。。と話していた。

 

でも、当日は楽しく走るしかない!!

 

朝起きると外は雨。ちょっと暖房も付けたりして、外はもっと寒いかも。。

去年から、孤独にひとりで走るのをやめた。もう、ロードレースは無理だなぁ、と、 思っていたが、みんなで走ればコワくなかった。

 

 

 

 

ひとりがトイレに駆け込むとみんなで湖を眺めたり、写真を撮ったりなんかして待つ。

みんなトイレが近いので、途中途中で心拍数を整えられる、というワケ。

まわりを見渡すと、みんな思い思いのペースで楽しそうに走っている。走る時もおしゃべりもできたりして。

 

 

いよいよハーフのキノシタさんがスタートして、今年はモモちゃん、ハガちゃんも加わって6人で団子になってスタートの列に加わった。

 

とにかく!! 2時間我慢すれば終わるから!!   と、みんなで声をかけあってスタートした。

その頃には雨も上がり、雲はあるが爽やかな空気である。

余裕のモモちゃんはマキさんと少し先を走っていて、少し離れると歩く、を繰り返している。

ハガちゃんとわたしはゆっくりペースを崩さないように同じリズムで走っていく。

 

練習では8キロくらいから歩いてしまうことが多かったが、4.5キロ過ぎた!!3分の1が終わったよ!!  とか、7キロの表示があったね。半分来たよ!!  とか、9キロ過ぎてあと残り3分の1!!とか声をかけ合って、いつのまにかゴールが近づいていた。

 

1周のコースの曲がり角が過ぎると、ここからは気力だね。と、ハガちゃんと、最後の坂道を二人で気合いで登っていく。

どちらかが歩きそうになると、どちらかが合いの手を入れる。はっはっ。(ハガちゃん)はっはっ。(タツ)はっはっ。(ハガちゃん)はっはっ。(タツ) 

大きな声の息を吐きながら、足を前に出して、腿を上げて、この坂道をありったけの動力で登っていく。

 

今までこの坂をこんなに足を上げて上がって行ったことはなかったなぁ。

 

ゴール手前でDJの私らを励ます声が響く。みんなてを振って声援に答えてる。

思わずハガちゃんと手を繋いで、残る全速力でゴールまで走った。

 

、、、って、そんなに走れるなら最初から本気だせよ!! 、、、、ってか。

 

しかし、ひとりじゃないレース、やっぱ。来年もエントリーしたくなってる。。

 

モモちゃんもバンさんもまきちゃんもイチゴチャンも4人で繋がってバンザイポーズでゴール!!

 

やっぱりさぁ。いろんなことに億劫になるのはやめよう。

動いてみると、内側からパワーって、湧いてくるんだ。

 

 

 

3連休と言えばじっとしていられない。

 

今回はシマフクロウが見られる宿がある、ということで、へえー。シマフクロウ、見てみたい。と、北海道羅臼へ。

 

東側はねー。雪はあんまりないと思うんだー。とはチャリの言い分。

女満別空港からレンタカーを借りた。

そしていざ、羅臼へ。

 

道中、美幌峠と、お天気の摩周湖にも立ち寄る。

展望台からみえる群青色の摩周湖と、周りの樹氷の白いコントラストが見事である。

旅のしょっぱなから、こんなに心躍る景色に出会えるなんて、やっぱり北海道はすごい。

 

海沿いの道に入ると、今年の流氷は浜にびっちりと接岸している。ただ空と流氷だけの景色なのに、飽きもせず車の窓から海を眺めていた。

 

https://youtu.be/y9I3U7cyCUc

 

鷲の宿へは3時に到着。小屋にはすでに窓際に三脚を立ててセッティングしている人などがいる。

おおよそ予想はしていたが、やっぱりシマフクロウを見にくる、イコールいい写真を撮りたい、という人たちが訪れる宿なのだろう。

 

バカチョンカメラ+iphoneしか持ってないわたしたちは完全にアウェイなのである。

 

うちらの部屋は別館と言われ、スタッフのおばさんの車についていく。距離として1.5キロくらいの場所にあった。

お部屋は暖められていて、窓を開けると流氷の海が目の前にある。

完全武装で持ってきたありったけの防寒具を身につけ、用意ができるとすぐに本館の方へ戻った。

 

中へ入ると食堂が、観察小屋のようである。

大きな窓の前には30cm幅くらいの棚が設てあり、簡易なテーブルにもなるし、カメラのセッティング時の荷物台にもなる。それが細長く作られた小屋にびっちりと大きな窓が並ぶ。

窓の前には川が流れていて、その中央に石を並べていけすのように形作っている。そこに岩魚が集まるのを、シマフクロウは知っていて、毎日ここに現れる、というワケらしい。

そのいけすをポイントにしてライトが照らされるように川に向かって照明器具がセッティングされていた。

 

宿のおかみさんが、タツヤマさんはここの席二人ね。一つの窓に3人なのでもう一人来ますからね。と、言われた。

ちゃんと決められた席があるんだ。と、ちょっとほっとする。なぜなら、写真を撮る気まんまんでいる人たちの熱気が、なによりもすごいのである。。。。

 

夜行性のシマフクロウが夕方から姿を現すはずはないのに、なんだかわたしもワクワクして、ただ流れる川とその前に立つ木を眺めて飽きない。

テーブルには観察ノートなるものがあり、それをぱらぱらめくると、何月何日、6時 シマフクロウ1羽 魚獲りにくる。

9時 シマフクロウ2羽 キツネ来て逃げる 12時 シマフクロウ 4時 シマフクロウ 魚とる 4時45分 シマフクロウ 子供などと書いてある。

 

キツネが来たりすると、絶対シマフクロウは来ないからね。そういう時はあそこのバケツに石が入っているからキツネの近くに投げて追い払うのよ。と、宿のおかみさんが教えてくれる。キツネもシマフクロウを狙うのではなくて、魚を獲りにくるのだから、その仕打ちはかわいそうと言えばかわいそうだが、ここにくる人たちは、とにかく、シマフクロウを撮りたいのである。

 

そのうちに夕食の時間となり、席について食事。

外を見るとすっかり暗くなっている。外の照明も点いて、雪と、川と、木が、美しく照らし出されている。

 

さて、いよいよシマフクロウ本番である。わたしとチャリもフリース着て、ダウン着て、レインジャケットを着て手袋と帽子を被る。

他の人たちはお宝のバズーカカメラを取り出して、試し撮りなどを始めている。

 

食事が片付け終わると、ずらりと並んだ大きな窓のサッシをおかみさんが外し始めた。

大きな窓ガラスである。下に落とさないかとヒヤヒヤしたが、ものすごいチカラで外していく。

横に立てかけたサッシを移動させようとしたら、わたしでは持ち上がらなかった。

恐るべし。おかみさんのバカヂカラ。。

 

窓の上にビニールシートが丸めてあり、それをロールカーテンのようにするすると下ろすと、少しは寒さが和らいだ。

 

泊り客だけなのかと思いきや、そのうち外からも次々と予約していた人たちがやってきた。ガイドさんに連れられた白人グループの9人ほどと、中国人の家族連れやカップル、外からの参加者はほぼ外国の人たち。驚くなかれ、そのひとたちもみなバズーカカメラを持ってゾロゾロと中に入ってきた。

 

小屋の中は、20人ほどにもなっただろうか。

 

みんなやる気満々である。

真似してわたしもiphonを覗き、ちょいと外を映してみる。ズームを最大にしても、たいした写真は撮れなさそうだ。

 

シマダさんという若い女性が隣の席であった。とてもかわいらしい。彼女もバズーカカメラを持参していた。聞くと、ここに来てカメラにハマり、バズーカレンズも大枚をはたいて手に入れたそうな。

6月に初めて訪れて、9月と、そして今回と。3つの季節のシマフクロウを撮るのだと言う。

 

前に来た時はカメラの扱い方や、生き物を写す時のコツなどをここで会った人に教えてもらったと話していた。

生き物を写す時はその被写体が動いたら、カメラをその動きに合わせて一緒に動かしていくのだそうな。露光は外の照明の80ヘルツ?に合わせるらしい。

 

長い夜は始まった。メインは今からなのだった。

 

シマダさんとは暗闇の中でいろいろ旅の話などあれこれと話が弾み、眠くもならずに時間を過ごした。

9時、、、シマフクロウは出てくる気配はない。。10時、、、無の境地で川の脇にある木を見つめる。。。11時。。。ぽろぽろと脱落し、部屋に寝に行く人や自分のホテルに帰る人が出てきた。。。

 

私たちもその日の朝は3時起き。完徹できるのか、不安になる。。。

 

そんな時に、にわかに後ろで小競り合いの声が、、、。

ガイジンさんグループの一人が、寝に行った人の空いた席につこうとしたのを、関西弁の女性が咎めたことから言い合いになったらしい。

 

泊り客は最初から席が決められていて、外からの人たちは当然端の方の場所になる。

3脚をたててセッティングしている彼女の場所は1人抜けて2人で使っている。

ガイジンさんが、いなくなったのだから、ここはフリーだ。というのに対し、違う!!ここはリザーブシートだ!!と、激しく抵抗。

 

結局彼女は勝ち抜いて、ガイジンさんは引き下がった。これは、シマフクロウに対する気持ちが、彼女の方が優った、ということだと思った。主張するガイジンに対して、怯まずに抗議出来る人、すごいぜ!と思った。

 

そんなこんなでワサワサして、小屋の気配を感じるのか、感じないのか、シマフクロウは一向に姿を見せず。

 

わたしとチャリも限界を迎えていて、席を取られてしまうかもだが、部屋に戻って仮眠してこようと決めた。

シマダさんは徹夜を決めていて、わたしたちは車で別館へ戻った。

 

部屋に戻るとお風呂が入れるとわかったので、ほぼ行水で温まり、3時に目覚ましをかけて寝る。一瞬で熟睡の境地に入った。

チャリはほんとに戻るとは思っていなかったらしいが、わたしは3時の目覚ましで飛び起き、すぐにあれこれ着込んで準備、しかたなくチャリもまた服を着込んで車で戻る。車で乗り込むと、ライトでシマフクロウが逃げてしまうと言われていたので、途中で停めてこようと思っていたが、停められる場所がない。ライトを消して走れないタイプの車で、ライトも消えてくれない。仕方なくそのまま入っていったら、宿のおじさんが出てきてめっちゃ怒られた。

 

還暦過ぎの2人が小学生みたいに怒られることがあるんだなぁ、と思いながらも、すみません、すみません、、。を繰り返しながら小屋に入った。

 

中に入ると外してあった窓ガラスは はめ込まれていて、中は思ったより暖かかった。

 

外から来ていた人達は全員撤退していて、ガイジンさんもいなかった。残っているのは4〜5人くらい。

みんな、ギリギリな感じで机に突っ伏して寝ていた。

 

小屋の中はひときわ静かで、シマダさんが起きて、小声で、まだシマフクロウは来ていません。と、教えてくれた。

 

そこからまた流れる川と雪と木をひたすら眺めながらシマフクロウを待つ。日の出を過ぎると、イッツ、タイムである。残るチャンスはあと2時間。。

 

しかし、わたしは来る!と確信していた。

 

観察ノートを見ると、明け方の4時5時にはシマフクロウは必ず姿を見せていた。おそらく、小屋の中の熱気が消えないと、シマフクロウはやってこない。。。

 

6時、9時、12時にも現れた日は、平日だったり、来客が少ない時だったんではなかろうか。。

今日のように、あれだけ人数がいて、ワサワサしていたら、シマフクロウも気になったはずだ。

 

おかみさんの弟さんらしい、わたし達を怒ったおじさんが、みんなの代わりに寝ずにずっと窓の外を凝視している。

 

そのおじさんが突然、カム!と囁くように言った。

 

その瞬間、寝ていた全員ががばっと起きてカメラを構える。窓が一斉に開く。全員がカメラを覗いた。

息を殺して木に止まるシマフクロウを見つめる。

 

シマフクロウは、しばらく川の方を見ながらこちらの窓も伺って、川の後ろの方へ移動した。いつ来たのか、全く見えていなかったが、そこにはもう一羽のシマフクロウがいて、2羽で並んで話しているようにも見える。それから、意を決したように1羽がいけすの中に飛び込んだ。そして一瞬で魚を掴んで上がって来た。

 

捕まえた魚を、シマフクロウは食べずにそのまま足で掴んで飛んで行く。

後からもう1羽が後を追った。。

 

その間3分くらいか。

後で聞くと、今頃はシマフクロウの求愛期間で、オスはメスに魚をプレゼントするらしい。

 

思った以上にシマフクロウは大きく、その存在感は強烈であった。

 

そのショットが撮れると、カメラを片付けて寝に行く人もいた。あと残すは1時間ほど。

わたしはシマフクロウを見られたことで目がらんらんと冴えた。

 

さぁー。また。来い!来い!と念をかける。

 

来るぞ来るぞ!と心で叫ぶ。。

 

5時30分くらいだろうか。

視界に大きく広げた羽が見えた。

 

今度はわたしが

カム!と言った。(おじさんのマネをした。)

 

まわりにも緊張感が走った。。

 

1羽のシマフクロウが枝に止まる。

しばらくは動かない。窓を開けたこちらにも警戒しているのか。表情は読めない。

 

息を呑むようにシマフクロウを見つめる。

 

静寂の中、シマフクロウは羽を広げて川沿いに降りて、じっといけすを見つめる。ライトが照らされて彼には見えにくいのだろうか。

 

それから彼はいけすに飛び込み。一瞬にして上がって来た。気がつかなかったが、片方の足に2尾の魚を捕らえていた。

1尾が爪から逃れて雪の上で跳ねている。

シマフクロウにはそれは見えなかったのか、その魚には目もくれず、爪に食い込んだもう1尾の魚を嘴に移し、それを飲み込んだ。

 

そして去って行った。。。羽を広げると、その姿はいっそう大きい。。

 

それは、静かな、静かな感動であった。

 

自分が、何か、自然のひとつに、なったような気がした。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと書きたいと思っていたレビュー、3回目の鑑賞の後に書く。(つまり、3回も観た。)

 

1回目は、面白かったのか、面白くなかったのか、さっぱりわからなかった。

わからなかったが、妙に引っかかり、今度もう一回観てみようと思っていた。Amazon prime。

 

ところがまた観ようと思った時には期限切れになっていてプライム特典では観られなくなっていた。

そして2回目は1年後くらいに観たのだったか。

 

なんでこの作品に魅力を感じていたのか、なんとなく、わかったような気がした。

圧がすごいのである。つまり、なんらかのエネルギーが充満している。。

 

うまく説明がつかないまま、時はまた流れ、3回目をチャリと観た。

 

あっ。何のことを言っているのかって?  

映画、「菊とギロチン」のことである。

 

 

 

 

 

 

 監督、脚本は瀬々敬久。

時は大正末期。

 

関東大震災は甚大な被害を与えたばかりでなく、その影響は、社会主義者の弾圧や、在郷軍人などによる朝鮮人の虐殺事件など、多くの問題を引き起こし、社会秩序が乱れ、あちこちに不穏な空気が流れた。

 

無政府主義者を謳う「ギロチン社」。自称詩人のヒガシデ中濱鐡が、そのアヤシイ結社のリーダーを勤める。

 

軍資金がなくなると、偉いさんを強請っては金の無心。テロルなる強硬手段での革命を唱えるが、本人は煽るばかりで子分たちは失敗ばかり。クズ男ばかりである。

 

理想と現実の欲望が噛み合わず、空回りばかりの未熟な集団だ。(実存していた。)

 

銀行頭取を襲撃するも相手を間違え、仲間は散り散りになり、ヒガシデ中濱と、ウラナリ大二郎は東京近郊に逃亡した。

 

一方で、花菊は貧しい農家の後家嫁であったが、暴力的な夫に耐えきれず、子供を置いて家をでた。

そして、その村に訪れていた興行の女相撲の旅の一行に加わった。

 

玉岩興行は地域のヤクザの元締めや相撲好きの地主などの贔屓を受け、土地を転々としながら興行を続けている。

戦争の色濃い時代、警察の監視や狭量な在郷軍人の偏見の視線を交わしながら、日々を上手く立ち回り、稼ぎを作っていた。

 

女相撲は江戸末期より昭和30年代頃まで地方にはかなりあったようだ。実は、それらはその時代、逃げ場のない女たちのセーフティネットにもなっていたのだという。遊女であった十勝川や、花菊のように家を捨ててここに来た小桜や。貧しくて腹一杯食べたいと門を叩いた者もいる。。

 

ここにいる女たちは誰もが人に言いたくない過去や現実から逃げて来ていた。

 

そんなワケアリの女たちだが、だからこそ、強くなりたい、と、心底思っているのだった。

 

ヒガシデ中濱は主義者ではあるが、自堕落で女好き、夢は語るが実行はしない。

大二郎は中濱の計画に乗り、人を一人殺していた。

 

逃げ延びた場所で中濱と大二郎は合流した労働運動社の村木と和田とで女相撲を見に行く。

見せ物的な余興と思っていたが、女たちの戦いは真剣そのもので会場は白熱した。

 

なかでも顔立ち美しく、色気もある十勝川は土俵に鯛が投げ込まれるほど人気者であった。

 

中濱と大二郎は、女たちのアツさに触れて、共感し、女相撲の一行に関わるようになっていく。

 

大二郎は花菊に、中濱は十勝川に興味を持ち始めるが、十勝川には秘密があった。

十勝川は朝鮮人であることを隠し、興行の裏では客を取って身体を売っていたのだ。

 

そんな中、偏見の塊のような在郷軍人の飯岡は、女相撲の中に朝鮮人の女がいることにこだわり、風紀を乱すと名指しをし、十勝川にサディスティックな執着を持って監視するようになっていく。。

 

そして。。。。‼️‼️ぎ、ぎ、ぎゃあ〜〜〜、ッッッッ‼️

 

て、て、天皇陛下、バンザーイ!!、、、

、、、、。

 

 

オンナひとり助けられないで、何が、革命だぁっ!

 

 

映画のジャンルとしては、群像劇、ということなのだろう。

複雑なストーリーが入り組んで、ひとつのストーリーになかなかまとめられない。

それが、レビューを描きずらい理由の一つなのだろう。

 

しかし、その時代の女の生きづらさや、若者たちの時代に対する焦燥、戦争で壊れかけた人間の歪みや、日本人の狭量さなどが、沸騰するようにフツフツと浮かび上がってくる。

 

それらが関東大震災の社会主義者への弾圧や、警察本体?や在郷軍人による地元民を巻き込んでの朝鮮人の虐殺事件など、偏見や嘘が蔓延した時代を作っていたのではなかろうか。

 

誰もが幸せではなく、鬱憤を抱えていた時代背景。。。

 

人々を顧みない政治と、その現実から乖離した世の中と。

 

そこにリアルに生きているのが、「自分を生きる」覚悟を決めた、オンナたちである。

 

ラストのウラナリ大二郎がいい。

花菊に自由に生きることを諭し、花菊への花道をボッカーン!と作ってやる。。

 

これはマジにスカッとした。

そしてとてもいいシーンであった。。

 

それぞれの人間たちを描いて映画は3時間越え。

ゆめゆめ油断するな!

最後まで観れたものが、いい知れぬ感動を得られる。

 

ギロチン社の面々の結末で流れるテロップも、誠に物哀しい。。

 

合格です‼️

 

大好きだなー。この映画‼️

 

ちなみにこの映画から、福田村事件の映画が作られることになったそう。

キャストもいろいろかぶっている。

2つをセットで観るもまたよし!

 

 

 

 

 

9日目 ブエンカミーノ 1月6日

 

 

 

 

そもそもなぜ、急にポルトガルへ行こうとなったのか、というと、ヨーコちゃんである。

 

ヨーコちゃんはジョシビの工芸科の同級生である。昨年始めにグループ展をした折、わたしがこのブエンカミーノの話しをして、そこを歩いて見たいんだ。と、話した時、えーっ!行く時は教えて。あたしは歩かないけどゴールで待ってるから。と言ってた。

じゃあ、サンティアゴ デ コンポステーラで落ち合おうね!と、盛り上がった。

 

秋になって、ヨーコちゃんと会うと、タツ、ポルトガルいつ行くのよ。ちゃんと決めてくれないと予定が立たないじゃない。と言う。。

えっ。。あっ。。そんなに真剣に考えていたワケでもなかったんだけどなー。と思いながら、それをチャリに話した。

えー。そんなこと言ったって、休みだって自由にならないしー。とぶつぶつ言いながらチャリがパソコンでポルトガルを検索し始める。

 

ほっておいたら、しばらくたって、あのさー。今年はさー。年末年始は5日を休めば10日間の休みになるみたいなんだよ。。と、明らかに興奮してる顔でそういう。

 

えーっ。年末に行くの?急すぎない?ヨーコちゃんだって、そこまで近々には考えてないんじゃない?

 

でさー。航空券の往復が12月はなんだか安いみたいなんだ。

雨季らしくてさ、観光客が少ない時期なんじゃないかなぁー。

航空券の値段を聞いて、行けないこともないなと感じたわたしも、ちょい乗り気になる。

 

で、もってヨーコちゃんにLINEすると、あたしはまだ仕事してるからさぁ。来年の春までは無理なのよ。

だから行くなら行って。あたしはさ、タツ達がゴールを踏む時に合わせて行くから。。

 

乗り気になったら、2人は止まらない。

 

刻々変わる航空券の金額に落ち着かず、結局薬局、ポルトガル行きのルフトハンザの航空券をゲットした。

その時期11月中頃。

 

何も調べてない。情報全くないポルトガルの航空券を手に入れた。

 

そのチケットの内容をよく見ると、ミュンヘン経由、行きは3時間トランジットがある。

 

帰りもミュンヘン経由で、18時間のトランジットが入っていた。

もしかして、帰りのトランジットの長さが、安さの理由だったのかな?

しかし、わたし達には超ラッキーであった。

 

ミュンヘンにはマナベファミリーがいる。

チャリの還暦にはドイツに行き、マナベさんのお家をベースにさせてもらい、一緒にハイキングに行ったり、自分達だけで3泊くらいの旅行をしたりした。

マナベさんにこの日の予定と、会いたい旨を連絡すると、すぐさま、空港で拉致してうちまでお連れしますから!と、嬉しいメールが来た‼️

そう、旅のラストはミュンヘンである。。

 

ここから本題。

 

リスボンまで戻ったわたし達は、マナベファミリーへのお土産調達に町に繰り出し、あれこれと悩みながら買い物した。

ドイツには美味しいものがいっぱいだし、かと言ってお土産になりそうなグッズは見つからない。

ならば、ポルトガルのワインと、チーズと名産品のはちみつとオリーブオイルはどうだろう、と、ここがいい!と思ったお店のお姉さんにいろいろ聞きながらそれらを選んだ。

 

荷物を抱えてホテルに戻り、荷造りする。

 

なんたってチャリは10キロ、わたしは9キロ(羽田では8キロだったか帰りは9キロになっていた)の荷物ゆえ、ザックはぱんぱん。

 

自分のとこのお土産は買わないはずだったのに、チャリが自分が持つと言って聞かず、オリーブオイルとワインは2つずつ購入した。

日本に持ち帰り用は、ザックの奥に、登山用の毎日履いていた靴下を履かせてクッションにし、着る物でぐるぐる巻きにして収納。

 

マナベさんのところへのチーズとはちみつはいつもバイキングの朝食のパンをゲットしていた折りたたみのどんぶりにパッキング。

 

それとワインとオリーブオイルはザックの脇のポケットに差し込み、荷物預かりの時に手荷物のリュックに入れて抱えていく。と、チャリ。

 

わたしも何気なくそれを聞く。

 

空港で荷物を預ける時、これはダイレクト日本ではありません。ミュンヘンで一度受け取ります‼️と、注意深く言う。

 

ミュンヘンでは1泊するので荷物がないと困るのだ。

 

ちゃんとミュンヘン行き荷物のタグを見せてくれる。上手く行った。

 

今日は順調だね。などとリラックスムードで空港カフェでランチしたりしてから出国口に向かう。

 

新年もまだ早々の時期なので人も多い。

ゴムロープで作られた通りを並びながら、ふと横の注意書きを見ると、機内に持ち込めないものが書いてある。。。

 

、、、ン?、、、

 

。。。チャリ。。嫌な予感がする。。

 

瓶の機内持ち込みって、ダメなんじゃなかったっけ?

チャリの表情もさーっと変わった。

 

絵を見ると、ワインの瓶には⭕️がついていて、何かコメントが書いてあるが意味はわからない。

不安の中、列は自分達の番になり、あの⭕️が、栓が開いてないものはよし。であってくれ、と、祈る。

 

わたしは何ごともなくクリアして中に入った。

 

チャリはなぜかまた捕まっていて、ボディチェックを受けている。

それからチャリの荷物を入れたケースが機械の中からやって来て、2つの分かれ道の 「チェックあり。」の方に流れて行った。。

 

ボディチェックが終わったチャリが荷物の方へ向かうと、すでに2本の瓶は没収されそうになっている。

 

管理員は包み紙のワインボトルを、まるで自分のもののように持っていて、まさにどこかへ持ち去ろうとしている。

 

と、いつもならこういう時に反抗はしないはずのチャリが、すごい勢いでその管理員に両手を伸ばして、もう一度チェックインし直してくるから‼️

それをバックしろ!らしいことを叫んでいる。

 

少し離れた位置でわたしはそれを見ていた。。

 

その彼から、その2本を奪いとると、すごい勢いで人混みを掻き分けて、再びのチェックインに向かって行った。。

 

かくして、ワインとオリーブオイルは、チャリに渡した わたしのレインジャケットに包まれて、エコバッグで2重に縛り、リュックに無理矢理 押し込んで、荷物預かりの機械にベルトコンベアされて行ったようだ。

 

割れても責任は持てない、と言われたのを、それでもいいと言い張ったらしい。

わたしは中にいたのでそこまでは見ていない。

 

しかし、人間、どうしても、ねばならない時は、あんなに激しくなれるもンなんだな。。

 

あの両手を差し出してワインを絶対渡さない決意のチャリは、ど迫力だったなぁ。と、今でも目に焼きついている。

 

笑えるが、あっぱれ、をあげよう。

 

かくして、マナベファミリーとは、ほんとに楽しい、素敵な夜を過ごしたのであった。

 

マナベさん、ロベさん、ユイちゃん、ありがとう‼️

 

10日間の旅、あたふたしたけど、面白かった‼️

旅は、やっぱり、人生を豊かにしてくれる。

 

めでたし。めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

服部文祥が、鹿性の生き方について、何かの本に書いていた。

鹿は撃たれて死ぬその瞬間でも生きることに集中している。

そして昨日のことも明日のことも考えていない。

 

つまり、人間以外の生き物は人生設計などはあるべくもない。

 

出来るものなら、今だけに集中する、そんな生き方をしてみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、人間はあれこれと生きる算段を考える。

 

山で狩りをして暮らす熊爪には、集落で暮らす人たちのようには生きられないと感じている。

 

こんなきれいな血が、鹿の中にも、熊の中にも、自分の中にもたっぷり満たされている。

俺たちみんな、この血を入れておく袋みたいなものかもしれん。袋が飯を食い、糞をひり、時々他の袋とまぐわって袋を増やしては死んでいく。

熊爪はそのように考えると、生き物というのはそんなものなのだと不思議と合点がいくような気がするのだった。

 

 ともぐい 河崎秋子著 冬山の主より抜粋

 

どこかで生まれ、捨てられ、山で暮らす男に山での生き方を叩き込まれながら生きてきた熊爪は、日々狩りをしながら、それを捌き、食い、皮や干し肉を売る為にだけ山を降りる。

 

白糠の町には、鉄道が作られ、炭鉱が出来、下界の集落も人が増えて来る。酒に酔った男達が獣臭い熊爪を冷ややかに一瞥する。

 

集落一の金持ちである商店で皮や肉を売り、山での話しを聞きたがる店主に付き合って酒や馳走をもてなされ、銃弾や米を買い、山へ戻る。

 

そんな暮らしをしている。

 

穴入らずという冬眠をしない熊に襲われた男を山で拾うことから、熊爪の平穏な山暮らしがズレ始める。。

 

なんと言っても、この小説のキモは、壮絶な熊の恐ろしさ、迫力、存在感である。

特に、こんなに最近ニュースになる熊での被害と相まって、臨場感ある恐怖である。

 

特に拾った男への熊爪の荒っぽい対処は余りの強烈さに卒倒しそうになる。

 

穴入らずのよそ者の熊の退治に向かった熊爪は、穴入らずとまた別の赤毛の熊の争いに巻き込まれ、大怪我を負うことになる。。。

 

あらまた、ストーリーを全部言っちゃってー。と、思うなかれ。

 

話しはここから、ずっとディープな領域に入って行くのだ。

 

そう、人は何かに関わらなければ生きていけない。。

 

獣のように生きてきた、その哲学を持って生きていた熊爪が、それまでと同じように暮らせなくなっていくとしたら。。

 

鹿であれば、過去も、未来もなく、撃たれて動けなくなっても、生きることしか考えていない。

そして、それは熊も同じ。

自分を傷つけた者にさえ、恨みなどはない。。

 

しかし、人間は、関わり合う事によって、その感情は憎しみや諦め、裏切りや欺きなど、いろんな感情が溢れ出す。。

 

熊爪が関わることになった陽子との暮らしの果てこそ、ある意味、獣の選択であったのだろうか。

 

ラストの展開は、ひどく揺さぶられるものがあった。(理解しがたいような、理解できるような、、)

 

前半のワイルドな展開と、後半の魑魅魍魎な妖しい展開が、その物語を一気に読ませる。

 

人間はあれこれと生きる算段を考える。。。

逆に言えば、人間はあれこれと死ぬ算段を考える。。。

 

特筆すべきは熊爪の相棒、名もなき犬の存在である。

犬好きには、彼の一つ一つの行動や仕草は、愛らしすぎる。

 

飛行時間15時間をぶっ通しで一気読み。

退屈しない時間であった。